人類が新型コロナウィルスに翻弄された1年が終わろうとしている。あっという間の1年だったというのは今年に限ったことでもない。
私の生活は、コロナ以前も世間から距離を取っていたので、影響は普通と比べて小さかったのだろうが、それにしてもコロナ禍のおかげで近年になく気づきが多く学ぶことの多かった1年だったと思う。
振り返ってみると、コロナのおかげで自分自身と向き合い、自分の生き方への問いかけることが多かった。私は、この新型コロナウィルスとは自然(あるいは神)の啓示であるように思う。
以下、いくつかの気づきを書き留めておきます。
- 国際的鎖国状態
パンデミックによって国境は閉鎖され、国内でも移動が制限され地域で生活することが多くなった。
アメリカに駐在中の次女夫婦は3月に一時帰国の予定だったがキャンセル。妻も9月に次女にところへ訪問する予定だったがそれもキャンセルとなった。
国内の旅行も制限されたので、春以降は近場の山々を歩いた。近い所に魅力のある自然があることを再発見することができた。 - 自動車の運転を卒業
のちに2020年は、新自由主義とそれにともなうグローバリズムによる地球環境の破壊が極限に至った年と、その反動としてのコロナ禍の発生と定義づけられる年となるだろう。
そんな中、資本主義の弊害に関する情報をたくさん学んだ。グレタさんやホセ・ムヒカさんも含まれるが、その中で宇沢弘文先生の思想に再会した。「自動車の社会的費用」を40年ぶりくらいに読み直し。
現代の自動車社会が環境や市民生活に与える影響を再認識したのと12月半ばにちょっとした事故があったことがきっかけとなり、自動車の運転を止めた。
深く考えてみると私は、初めから自動車には縁のない人間だったことに気づき行動を変えることができて良かったと思う。 - 酒を止める
10月に発泡酒類の税率が変わったことで、酒税について勉強してみたら、日本の酒税は逆進的であることを初めて知った。消費税という逆進税制を進める政府や自民党にも困ったものだが(これも資本主義者たちが政治を動かして格差を広げているのだが)ビール類に関するものも同様であることを知った。
飲酒に関して私は40代までは毎日晩酌をしていたが、50代半ばから健康情報から飲酒と睡眠の質の問題を知ってから、平日の飲酒をやめ週末の2日だけ飲むようにした。そうすると睡眠の質が目に見えて向上した。
さらに今年の酒税改正によりビールを止めたが、特に苦にもならないのでついでに日本酒もやめてみたら、食事の味がより美味しく感じられるようになったのでこれもやめた。
お祝いとか特別の機会があるときには飲んでいるが、その時も特別にお酒類が美味しいと思うことがない。量も日本酒の燗で1合半で十分である。
よく、お酒が料理を美味しくするというが、逆で料理がお酒を美味しく飲めるというのが正しいのだろう。
そういえば谷口雅春さんは、「酒タバコは良心を眠らせる」と言ったがその通りだと思う。 - 里山再生
山歩きをしていると山の荒廃が目につく。コロナ禍が広がる前の1月中旬、山歩きの途中に義父が開墾していた里山を訪問した。背丈以上の笹薮が茂り、踏み込むのも難しいありさまだった。
特に目的があるわけでもないが、義父が心をかけていた土地なのでとりあえず、笹薮の刈り取りを始めた。
一年間通ってみて樹が大きくなりすぎて夏には日当たりがほとんどないことが分かった。義父は果樹を栽培したかったらしいが、夏の日照がなければ無理だ。
しかし、その里山には、山桜があり新緑があり秋には黄葉があるという魅力をもつ。たまに訪れて、しばし憩いの時間を過すのもいいなと思っている。
帰りには檀特山に登るのも楽しみだ。 - 人間の再生能力と医療
最近のことだが、朝起きると顔が腫れていた。寒い時期なのに何か虫にで刺されたのだろうか、原因は定かではないが次の日には右目が塞がり左目もかなり塞がってきた。私は、日頃から谷口雅春さんの「生命の実相」を信じているので一向平気だったが、周りの妻やら母がやかましく医者へ行くように命令する。素晴らしい教えも信じるのは可能だが他人に教えることは難しい。
そうして放っておくと数日で今まで何もなかったような状態に戻った。
ヒトがケガや病気で本来の状態から外れるとき、それを修復するという機能は人間にはない。どんなに医療が発達しても自分を治すのは自分に与えられた神であり仏性である。
それを信じないでうっかり医療が人間を治すと勘違いすると、本来の人間の機能が果たせなくなり症状は長期化あるいは難病化する。
今年は一回もカゼをひかなかったのでこの消息に気づかなかったが年末になってようやく気づくことができた。
病を得ることはこうした消息に気づくありがたい機会なのです。
こうして一年をふり返ってみると、いろんな問題(コロナ、事故、病…)が起こり、それの意味に気づくことが人生そのものである、ということが分かった。
たしかに人間は生きているだけで恩寵であり、感謝すべきことがわかった一年であったことに気づいたのでした。