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今年11月に、高倉健さんが亡くなりました。以前2回にわたって高倉さんのインタビューの記事を紹介しました。そのインタビューが読売新聞に出たのが15年前のことでした。
このインタビューの記事を再読して思うのが、日本の「
やっと、金儲けの上手さだけでは、心の豊かさを生み出さないことに、少しずつ気がつきはじめたのではないでしょうか」という健さんの期待にもかかわらず、さほど変わっている気がしません。もう一度読み返してみましょう。

戦後55年間、経済的な豊かさばかりを追い続ける風潮や、学ぶ楽しみを置き去りにし、(例えば、言葉を学ぶ楽しみはその先にある経済のためではなく、まずその言葉の持つ文化を学び、感じることになるでしょう)、成績を数字でしか評価してこなかった教育は、先人たちの持っていた心意気を失わせ、有り余る商品に囲まれながらもなお不安を拭えずに暮らす、貧しさをもたらしたのではないでしょうか
だがやっと、金儲けの上手さだけでは、心の豊かさを生み出さないことに、少しずつ気がつきはじめたのではないでしょうか。ブラウン管に映る、お金を繰り、また繰り損なった人たちの表情。あまりにも情けなく思えてくるのは、僕だけでしょうか。含羞という言葉の意味を、とっても深く考えさせられます

健さんは、本当に日本人がかつて持っていた志を失ったことを大変残念に思っていたのだと思います。その気持ちが映画の画面に現れて聴衆の気持ちを引きつけてきたのですね。含羞という言葉のよく似合う人でした。
このインタビューでの発言は、俳優としての健さん以上の意味を持つほどの重い言葉だと噛み締めています。
健さんこの遺志を引き継ぎ、及ばずながら人間の幸せについて引き続き考えていきたいと思います。

本日もお読みいただきありがとうございました。