日々の気づきノートです。

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過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

核兵器禁止条約

核兵器禁止条約発効

1月22日、核兵器禁止条約が締約国で順次発効している。



ヒロシマ・ナガサキで初めての核兵器が使用されて75年を過ぎてやっと人類が核兵器の危険性を認識し、行動を開始したということは人類の先行きについての暗い話題の多い中で唯一といっていい明るい話題だ。

そのような中で一番の当事者であるアメリカと日本が条約に参加していないことは残念なことだ。

日本政府はいろいろな事情があって、参加していないのだろうが、私は、日本人という枠を越えて人類の一員として今回の快挙を祝っている。

核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者への償いになる唯一のこと

広島・長崎原爆投下から75年になる今年、世界で唯一の被爆国の首相である安倍氏は恥ずかしげもなく2つの式典で人に何の感銘も与えない同じコピペスピーチを繰り返した。



それに対して同じ8月6日、ニュージーランドのアーダーン首相はツイッターのビデオメッセージで「核廃絶にむけて必要不可欠のステップとしての核禁止廃絶条約への参加」を呼びかけていた。



このスピーチでは、まず最初に、世界が新型コロナウィルスに直面しているこの時期に広島・長崎の原爆投下を思い起こすことから語り始めます。

世界が新型コロナウイルスに対応するチャレンジに直面し続けるなか、広島と長崎への原爆投下から75年を迎え、世界で起きた出来事の破滅的な影響を思い起こさせます。

広島・長崎だけではなく、太平洋における核実験による被害にも言及し、現在1万3千発の核兵器が存在しているが、その巨大な破壊性のため核による戦争に備えることはいかなる国にも不可能であることを指摘し、

備えることができないのなら、食い止めるしかないのです。

と結論づける。
「備える」ことができないのであれば廃絶するプロセスを進めるしかない。
きわめて論理的な帰結です。

核兵器根絶に向けて必要不可欠なステップとして、そして全ての核保有国の核兵器ゼロの達成を含めた地球規模の交渉を求めて、他国もこの動きに加わり、このランドマークな条約を広めることを要請します。このことが唯一、広島と長崎への原爆投下や、太平洋などでの核実験によって苦しめられた人たちに対する報い、レガシーとなるのです。

アーダーン氏はニュージーランドの首相であるとともに地球に住む一人の人間として発言している。新型コロナウィルスや核兵器、気候変動などの問題は、一国だけでは解決できないという考え方に立っている(もっともアーダーン首相は世界で最も早くコロナ禍を収束させたニュージーランドの指導者でもあったのだが)。

このようにアーダーン氏が新型コロナウィルスや広島・長崎やその後の核実験の経験から、核兵器が使用できないものであることを明らかにしたうえで核兵器を廃絶するためのプロセスを明確化し、知的なスピーチによって人々に考える機会を与えてくれた。
これこそ一国かつ世界の指導者の役割だと思う。

私もこのメッセージを読んで、自分自身が地球に生きる一つの生命であることを認識して行動していこうと思った次第である。

広島平和記念式典首相あいさつ

広島・長崎に原爆が落とされ、日本が敗戦して75年になる。高齢化により生存被災者が少なくなり、経験と教訓が忘れられることを懸念する声が多い。



安倍首相のあいさつに今年も核兵器禁止条約に関する言及はなかった。

短いスピーチなので全文を引用して彼が何を考えているのか、考えてみたい。

本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

形どおりのお見舞い。

 新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。

この式典とは何の関係もない、新型コロナウィルスについての言及。日本政府はボーッとしてる現状で、いきなり世界の人々の話を出す意義とは何だろう?

 75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。

この惨禍を引き起こした要因に言及もせず、「先人たち」による復興と平和に言及していることは、「また同じことが起こるかもしれないけれど、その時はまたよろしく」と言われているような気がしてならない。現在のコロナ禍や大雨災害への政府の対応を見ると本当にこの人に任していていいのか、という気がする。

 広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。

「国際社会が現在行なっている努力を着実に前に進めることが我が国の使命」とはどういうことだろう。普通は唯一の被爆国の日本が先頭を切ってというのが当りまえじゃないのだろうか。言いたいのは国際情勢に乗り遅れない程度に、ということではないだろうか。

 現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
 特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
 本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。

現状において日本が核廃絶に向かって汗を搔いているという姿は見当たらない。アメリカに忖度して黙っているか、核全廃条約に反対するありさまである。
国際社会で沈黙しながら、国内でこんな大口を叩けるもんだとあきれる。

 「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
 被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。

被爆者訴訟の被告は常に国や行政であったことを忘れたようによくこんなことを言えたもんだと感心する。

 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

広島まで出向いてよくこんな実態の伴わない空虚なスピーチができたもんだと感心する。
私は、やる気のないことを「誓う」などといったことは人間が人生において決してしてはならないことだと思っている。こんな重い言葉を軽くしゃべってスタスタ去っていく首相を見てこれも才能かと感心した。

あらためて全体を読んでみて、安倍首相としては「広島・長崎・原爆」というようなものは他人事なんだということがはっきり分かった。

21世紀の戦争と平和 その1

現政権になって集団的自衛権の容認をはじめとして、昭和の敗戦の記憶を忘れているような行動は気にかかる。現代の日本人が真になすべきなのは戦争前後の近現代史を検証し、その教訓を学ぶことです。
このことこそが歴史から学ぶという知性的な生き方だと思います。
元外交官の孫崎亨さんの「21世紀の戦争と平和」



“横畠内閣法制局長官は、…2016年3月18日の参院予算委員会で、「憲法上あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えていない」と発言したのです。(p11)

これは、以前の記事にも書きました。「日本政府が核兵器禁止条約に反対するわけ
実にゆゆしき内閣法制局長の発言ですが、広島・長崎の原爆の被災国である日本が取るべき選択とはとうてい思えないのですが、まともな説明もなく戦後の日本の取るべき政策をゆがめてゆきます。

また、集団的自衛権については、

“樋口洋一東大名誉教授は、集団的自衛権は他衛権だが、他国を助けるのでもなく、他国の秩序をめちゃくちゃにしたのが現代史の事実」と発言しました。

ということで、集団的自衛権を行使するということは紛争を大きくするだけで何を良いことはないということです。

“安全保障とは、岡崎(久彦)はゼロサムゲームだというのに対し、孫崎はそうではない、と主張する。孫崎は、戦略とはかつては「相手より優位に立つ手段」とされていたが、今では「相手の動きに応じて自分が最適の道を選択する手段」へと理解が深まっている、という(p128)

今の国際社会はどこかの同盟に枠組みに入っていれば安心だというような時代ではない。流動的な国際力学の中で自国のリソースをいかに有効に使うか、というマインドで考えるべきでしょう。ところが日米同盟という固い枠に捉われてしまうと自分の持つリソースの多様な使い方を見出すことができなくなってしまう。結局は米国のいいように使われて日本が滅びることになってしまうだろう。

“もう一つの違いは、国際政治に対して岡崎が「リアリズム」の考えなのに対し孫崎は「複合的相互依存関係」の関係に立つことである。(p128-129)

リアリズムは現実を正しく見ようとする姿勢ではあるが、現実を固定的に見ると、多様な視点を失い、自分の持つリソースに使い方が画一的になる。その結果、多様性を見失い自滅する。

孫崎さんは、ここでクラウゼビッツの「戦争論」の要点を挙げる。
“〇戦争とは、相手に自分の意志を強要させるための力の行使である。
〇この目的を確実に実施するために、敵を無力化しなければならない。これが軍事行動の本来の目的である。
〇戦争は政治的行為であるばかりでなく、本来、政策のための手段であり、政治交渉の継続である。
〇いかなる者も戦争によってなにかを達成したいか、どう戦争を遂行するかの考えなしに戦争を開始してはならない。(p133)

最後のポイントが特に重要で、憲法解釈を変更する前に、昭和の戦争で何の構想もなく戦争を始めた日本の経験をまず検証することが必要だったのです。

日本政府が核兵器禁止条約に反対するわけ

広島に原爆が落とされて72年目の日を迎えました。

私は、世界で最初に広島、長崎で核兵器が使用され大きな被害を被った日本は、世界において核兵器の禁止を最も叫ぶべきであるし、世界の核兵器の廃絶のリーダシップを取るべきだと今まで信じて疑ったことがありませんでした。

ところが、国連の「核兵器禁止条約」の採択で日本は反対に回りました。それで採択された後は、署名しないというのです。現政権の人間は何を考えているかを探ってみたいと思います。

内閣の法律チェック機関である内閣法制局。歴代内閣法制局が違憲としていた日本の集団的自衛権を合憲と解釈した初めての長官である横畠裕介氏が核兵器の所持、使用について2016年3月18日の参院予算委でこんな発言をしています。



  • お尋ねの憲法上の制約について申し上げれば、先ほどお答え申し上げたとおりで、我が国を防衛するための必要最小限度のものにもちろん限られるということでございますが、憲法上全てのあらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えておりません。(2分30秒以降)議事録
そういうことなのです。
政府は、憲法上、核兵器を所持はもちろん使用も禁止されていないと考えているのです。
だから、国連の「核兵器禁止条約」に反対し、署名しないのですね。

集団的自衛権が憲法に違反しないという詭弁を無理やり通して、今や、日本政府は核兵器の所持、使用も憲法に違反しない、と言い始めました。

彼らは、世界で唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約に反対し加盟しないということが、どれだけ大きな損失であるということが分かっているのでしょうか。

そして口先では「核廃絶」と唱えているのですが、そういう人の心はどうなっているのでしょうか。嘘をつくと身体と心を傷つけます。そのことを知らない人々は、知らず知らずに人言としての自分を貶めている気づかないのです。本当に気の毒なことです。

大臣や長官と呼ばれるような人であっても、自分自身を偽るようなことをして自分を傷つけているのであればその人の人生に何の意味も見出すことはできません。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
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