日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

感謝

1時間半も休ませていただける

7月18日のNHK ETVの「こころの時代」で正眼寺住職・正眼僧堂師家・山川宗玄老師のインタビュー「日々是好日-生かされて生きる」があり、印象に残ったので、書き留めておきます。



若き日に山川老師が正眼時に入って雲水として修行を始めた頃の話です。一番下っ端ですから、夕ご飯を食べ風呂に入るのも最後、その後も夜の座禅があるから寝るのが夜中の2時頃だった。そのお寺では起床が3時半だったので1時間半しか眠ることができない。
家を出る時には、3年間は家に帰らないと言って出てきたが、1か月生活してみたがとても続きそうにない。一計を案じた山川さん。とても勤まりません、とは言えないので修行中に倒れてしまえば、しかたがないと許してもらって家に帰ることができるだろうと考えた。
そこで、いままで以上に働き座禅もしっかりやって、人の分まで手伝ったが倒れない。いくらやっても倒れない。そして、気がついたころには修行をやっている限り大丈夫なんだということがわかったのだそうだ。
1時間半の睡眠も1時間半しか、ではなく1時間半も休ませてもらえる、と思えるようになってきた。

そして、それまでは自分が修行しているという考え方だったが、修行させていただいているのだと気づいたのです。また、身体を使っているのではなく使わせていただいている、と思えるようになったのだそうだ。

同じ事をしていても、それを不満に思うこともできるし、感謝することもできる。
自分の境涯を不幸であるとしか思えない人は、足りないことを一生懸命に探している。自分を幸せだと思っている人は、恵まれて部分を探して感謝している
どちらも同じ境遇なんだけれど見る方向を変えるだけで人生は一変するのです。これは本当に大事なことだと思いました。

本日もお読みいただきありがとうございました。 

スッキリした人生のために

ブログネタ
「ライブドアブログのここが好き」を教えてください! に参加中!
ブログを始めて1年と少しですが、Livedoor blogを始めたおかげでITテクニックをたくさん覚えさせていただいています。
当初は、日々の気づきの備忘録として使ってたのですが、画像の添付とか、Google driveの情報とのリンクとか便利な機能を使えるようになってきました。公開してますが自分の整理用が主たる目的です。

ITツールの発達のテキストや画像が膨大になってきて収集がつかなくなってきていますが、ブログにアップしておけば、ブログ内検索機能で内容・時期の同定も容易に行えます。
過去記事も束ねて2冊電子書籍にして今、3冊目予定の原稿を連載中です。直接ブログに書いて、後でコピーしてもOKですが、書籍を前提にしている連載ものでは、Wordで原稿を作成しておくと便利です。

それと最近良くなったのが、広告を削除できたこと。画面がスッキリしてとても気に入っています。

IT技術の発達は情報エントロピーが増大するだけかと思っていたのですが、使い方によっては減少させることも可能であることが分かりました。
つまり、気づいたことを書き留めておけば、忘れてOK、必要があればblog内検索やタグで検索。アウトプットでさらなる分析、総合できる。情報がたまれば電子書籍…

そういう流れに乗せておけば、普段は情報や過去に考えたことについては忘れておいてもいい。頭を空っぽにして現実を楽しむことができるのです。 

雨の日には雨の日の

梅雨に入り、今日も雨が降っています。
雨、梅雨というといやな季節と思い込む傾向がありますが、それはもったいない考え方なんですね。
そもそも雨がなければ植物が育たないから食べ物や日本の自然環境は守られません。夏に水不足になる。日本では雨が降ってくれるおかげで豊かな生活ができるのです。
何事も、多面的なもので良い面もあれば悪い面もある。
人生とは、そのどちらを見るか、という選択のことだと思うのです。

豊岡出身の教育者であった東井義男さんが「おかげさまのどまんなか」(絶版)でこんなことを言っておられます。

雨の日には雨の日の
老いの日には老いの日の
おめぐみ

雨や老いといったネガティブな面が強調されるものでも、必ず良い面があるのです。それから恵みを見つけ出してありがたく感謝する。人間には誰にでもそのような選択の能力があるのです。
良い面を探してみれば「ありがたい」と思えて幸せです。こんな単純なことなのですが、このことが人生そのものだと思うのです。
 

最高の一日

私は、一日の終わり布団に入り、寝る前に「最高の一日をありがとうございました」と言って感謝して眠ります。

すでに怒り、怖れ、悲しみとの決別を決意した人生ではありますが、一日の内には怒りたくなるようなこと、怖ろしいようなこと、悲しみたいようなことが無いわけではありません。でも、そのような時には、神経反射の調節(クンバハカ)と積極観念の養成法で感情の暴走を抑えます。

自分の心との格闘に勝ち抜き、穏やかな気持ちで布団に入ること、これ以上の人生があろうはずがない。だから、その日、何が起ころうが最高の一日なのです。

人生の成熟(あるいは悟りへの歩み)にスランプというものはありません。一日一日が向上の継続です。一日の終わりが境涯の最高の位置であるはずなのです。

本日もお読みいただきありがとうございました。

犬への感謝を忘れずに

親にとっては子ども、上司にとっては部下。どちらも育てるという義務を負っているのですが、昔も今も永遠の難しいテーマとなっております。
ところで、現代では子どもよりも癒しのための愛犬でも一人前に育てるのは難しい。市役所を辞めて警察犬訓練士になった白川正文さん「犬が私を変えてくれた」とおっしゃっています。

初めっから逆らうことをしない犬もいれば、逆らわなければ気のすまん犬もいるし、そこもまた人間と同じだなあ。でもな、預かった以上、どんな犬にも平等に接してな、なんとかこっちの気持ちを通じさせねばならんのよ。可愛がればそれだけ気落ちが通じるというにもウソだし、まして体罰なんか使ってわからせるというのはインチキだ。わたしの場合は、自分の人生がな、犬に支えられて来たという、犬への感謝を忘れんで訓練するのが基本やね。この仕事、商売になるとかならんとか言うのは入りこめんよ。私はバカだけれども、少しは世のためになる、人の役に立つ人間になりたいと思ってきた。そんなふうに思える人間になれたのは、犬がわたしを教えてくれたからさ。・・・うれしいのは、こっちの願いどおりに犬が変化してくるのを感じるときだね。あの犬がこんなに良くなったとオーナーの喜ぶ顔を見るとな、疲れが飛んじゃう。ナマイキなことを言うようだけど、今、とんでもない事件を起こす子が多いよな。そういう子も、誰かがあきらめずに真剣に接していれば、気持ちが通じあえると思うんだ。そうなればデタラメはしない。犬のようにはいかないにしてもな。

子どもに対する時、部下に対する時、自分が教えてやっているという意識では自分を成長させることは難しい。しかし、子どもや部下と共に成長しようという意識で対応していくことができれば、それを現実化することは可能であるのです。
教えてやろうという意識は、自我欲求の表れです。一方、共に成長・成熟していこうという意識は自己実現の段階になります
ここのところが分かるようになれば、家庭も学校も活気を取り戻すことが可能だと思っているのです。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
をご覧ください。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
アーカイブ
Yoshiのアーカイブ
Yoshiの他の媒体の過去記事は、以下のリンクでご覧いただけます。
勇気の出る名言集
ギリシア・アルプスの旅
田捨女の不徹庵手記
安全文化論
よそみの楽しみ
最新コメント
メッセージ

記事の内容に関するご意見・ご質問、お問い合わせ等はこちらへどうぞ。

名前
メール
本文
アプリでフォローする
QRコード
QRコード
サイト内google検索
記事検索
yoshiのtweet