7月18日のNHK ETVの「こころの時代」で正眼寺住職・正眼僧堂師家・山川宗玄老師のインタビュー「日々是好日-生かされて生きる」があり、印象に残ったので、書き留めておきます。
若き日に山川老師が正眼時に入って雲水として修行を始めた頃の話です。一番下っ端ですから、夕ご飯を食べ風呂に入るのも最後、その後も夜の座禅があるから寝るのが夜中の2時頃だった。そのお寺では起床が3時半だったので1時間半しか眠ることができない。
家を出る時には、3年間は家に帰らないと言って出てきたが、1か月生活してみたがとても続きそうにない。一計を案じた山川さん。とても勤まりません、とは言えないので修行中に倒れてしまえば、しかたがないと許してもらって家に帰ることができるだろうと考えた。
そこで、いままで以上に働き座禅もしっかりやって、人の分まで手伝ったが倒れない。いくらやっても倒れない。そして、気がついたころには修行をやっている限り大丈夫なんだということがわかったのだそうだ。
1時間半の睡眠も1時間半しか、ではなく1時間半も休ませてもらえる、と思えるようになってきた。
そして、それまでは自分が修行しているという考え方だったが、修行させていただいているのだと気づいたのです。また、身体を使っているのではなく使わせていただいている、と思えるようになったのだそうだ。
同じ事をしていても、それを不満に思うこともできるし、感謝することもできる。
自分の境涯を不幸であるとしか思えない人は、足りないことを一生懸命に探している。自分を幸せだと思っている人は、恵まれて部分を探して感謝している。
どちらも同じ境遇なんだけれど見る方向を変えるだけで人生は一変するのです。これは本当に大事なことだと思いました。
本日もお読みいただきありがとうございました。
若き日に山川老師が正眼時に入って雲水として修行を始めた頃の話です。一番下っ端ですから、夕ご飯を食べ風呂に入るのも最後、その後も夜の座禅があるから寝るのが夜中の2時頃だった。そのお寺では起床が3時半だったので1時間半しか眠ることができない。
家を出る時には、3年間は家に帰らないと言って出てきたが、1か月生活してみたがとても続きそうにない。一計を案じた山川さん。とても勤まりません、とは言えないので修行中に倒れてしまえば、しかたがないと許してもらって家に帰ることができるだろうと考えた。
そこで、いままで以上に働き座禅もしっかりやって、人の分まで手伝ったが倒れない。いくらやっても倒れない。そして、気がついたころには修行をやっている限り大丈夫なんだということがわかったのだそうだ。
1時間半の睡眠も1時間半しか、ではなく1時間半も休ませてもらえる、と思えるようになってきた。
そして、それまでは自分が修行しているという考え方だったが、修行させていただいているのだと気づいたのです。また、身体を使っているのではなく使わせていただいている、と思えるようになったのだそうだ。
同じ事をしていても、それを不満に思うこともできるし、感謝することもできる。
自分の境涯を不幸であるとしか思えない人は、足りないことを一生懸命に探している。自分を幸せだと思っている人は、恵まれて部分を探して感謝している。
どちらも同じ境遇なんだけれど見る方向を変えるだけで人生は一変するのです。これは本当に大事なことだと思いました。
本日もお読みいただきありがとうございました。