日々の気づきノートです。

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過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

エッセイ

エイミー・C・エドモンドソン「恐れのない組織」



グローバリズムの時代になってから、というわけではないが、X理論的な経営が増えたように思う。
私は一貫してY理論による経営が組織全体として結果的に高いパフォーマンスを生むと信じてきた。



これは私の師匠であるNさんから私が引き継いだものだ。



Y理論が忘れられて、X理論に基づく組織統制の考え方が日本企業に広がり、ブラック企業と呼ばれるような会社が多く出てきた。
もはやY理論は復活不能かと思っていたが、アメリカではX理論が行き詰ってY理論に救いを求めるような方向が出てきたようだ。

エイミー・C・エドモンドソン「恐れのない組織」が最近注目を集めているという。

今日の組織にとって、心理的安全性は「あったほうがいいもの」ではない。…心理的安全性は才能を引き出し、価値を創造するためになくてはならないものだというのが、私の考えだ。優秀な人材を雇うだけでは、もはや十分とは言えない。職場は、人々が才能を活かすことができるし、積極的に活かそうと思う。そんな場でなければならないのだ。ナレッジ(知識)が必要なあらゆる組織、とりわけ、多様な専門知識を統合する必要のある組織において、心理的安全性は成功の必須条件である。(p51)

これは「統制型経営」の見直し宣言と言っていいのではなかろうか。

気づいている人はあまりいないが、不安によるモチベーションアップは、目標を達成しつつあると錯覚させるうえで絶大な効果を発揮する。だが、知識集約型の職場に創造力、適切なプロセス、必要な情熱を確実にもたらし、難しい目標を達成するうえでの効果はない。(p86)

X理論による経営は短期的には効果を発揮する場合がある。しかし、長期的には良い結果は出ない。
それよります、不幸な人と量産する。早く見直したほうがいい。

東電の福島原発事故が例に出される。

どんなに詳しく書いても、この報告書では――とりわけ世界の人々に対して――十分に伝えくれないことがある。それは、この大惨事の背後にある、過失を促したマインドセットである。これが「日本人であればこそ起きた」大惨事であったことを、われわれは重く受けとめ、認めなければならない。根本原因は、日本文化に深く染みついた慣習――すなわち、盲目的服従、権威に異を唱えたがらないこと、「計画を何が何でも実行しようとする姿勢」、集団主義、閉鎖性――のなかにあるのだ。(「福島原発事故国会事故調」報告書、p125)

大きな組織事故の裏には必ずと言っていいほど、X理論を信奉する組織風土があるとみていい。

フィアレスな職場を一大目標に掲げる組織がしだいに増えてきている。そのような組織のリーダーは、ナレッジ(知識)が価値の重要な源泉であるなら、心理的安全性を生み出すことが重大な使命であることに気づいている。(p134)

なるほどと思うが、ちょっとネガティブな意味合いを感じる。つまり、これはパフォーマンスを上げるためにあえてY理論を採用するという考え方になっている。
師匠のNさんは「人間観」としてY理論を重要視されていた。組織内の人間観がY理論的であることが本当のあり方ではある。

ダリオ(ブリッジウォーター・アソシエイツ創業者)は次のように考えている。「現代社会の失敗恐怖症は深刻だ」、なぜなら、正解を探すことを小学校時代の初めに教えられてしまい、革新的・自立的思考へつながる道として失敗から学ぶことを身につけないからだ、と。また、彼は早くから次のように述べている。「誰もがミスをするし欠点もあること、それらにどう対処するかで決定的な違いが生じることを学んだ」。だからブリッジウォーターでは、「失敗するのは構わないが、失敗に気づき、分析し、そこから学ばないのは容認されない」のである。(p145)

アメリカでのこんな状況だから日本は言うに及ばずで、今さらという気がする。小学校から統制的な教育が中心となっているからとても多様性を生かすような教育は望むべくもない。
しかし、遅ればせながらも気がついて修正することができれば幾分ましであろう。

ダリオは「プリンシプルズ(原則)」のなかで、率直さと、透明性と、失敗から学ぶこと――心理的安定性の三点セット――が、自分の人生と会社の両方にとって基盤になっていると、はっきり述べている。(p145)

率直さと、透明性と、失敗から学ぶこと」これへ実に重要な指摘である。

ダリオはこう助言する。「議論に『勝とう』としてはいけない。自分の間違いに気づくのは学んでいる証拠であり、それは正しくあることよりはるかに価値が高い」重要なのは、些末なことにあまり時間をかけず、考えの不一致を解決するタイミングを見きわめることだ。(p146)

「ディベート」が重視される西欧社会。また、その形だけを有難がって教育に導入した日本。その結果「論破!」なんて程度の低い論客を高く評価する誤りを犯し続けている。
そろそろ気づいてもよかろうが。

恐れるべきは、死ではない。
充実した生き方ができていないことこそ、恐れるべきなのだ。(マルクス・アウレリウス、p164)

古代ローマの賢帝マルクス・アウレリウスはストア派の哲学者としても位置づけられている。ストア派の哲学として「死」を正視していたのであろう。
正しく死を見ることによってのみ、充実した生き方ができる。
死を見ないといつまでも「気紛らせ」の人生を送り続けていなければならない。


世界で一番幸福感のない日本のサラリーマン

プレジデントオンラインで衝撃的な記事を見た。
「日本人の「仕事で得られる幸福感」は世界最悪」というのだ。



なるほど、グラフを見ると明らかだ。

幸福度

右左が逆になって紛らわしいが、右が「幸福感」で左が「不幸福感」だ。

「幸せ実感」は確かに最低だが、「不幸実感」は18.4%と全体の3位で悪くない。
これは「国際文化比較の研究では、日本人は「人並み感」を好み、「ほどほど」がちょうどいいと考える傾向が指摘されています」と評価されていて、なるほどとうなずけます。

そこで、その要因はというと、

幸せ実感の要因分析

左のオレンジ色で囲われた相関性のある因子群は極めて妥当なもので、「相互尊重」や「チームワーク」「開放性」など私が現役のときに常に職場に求めていたものが上位にあり、最も慎重であった「成果主義・競争」「心理的安全性のなさ」が下位に固まっています。

そして全く相関に乗らない「権威主義・責任回避」が右下の外れた位置にぽつんといます。

会社がグローバリズムに舵を切った時に私が懸念していたところが現実化しているのを見るようです。

職場の「寛容度」に注目すると、

寛容度

日本の職場は、寛容性が欠けていることを如実に示している。これほどはっきりした要因分析は珍しいのではなかろうか。

これらのデータを見ると、日本の職場の雰囲気が分かる気がします。

日本に「成果主義」を入れようとすると、成果を把握(検証)するという風土や伝統がないから管理職は勢い「権威」に頼ろうとするので職場がどんどん「権威主義」になっていく。
その結果、かつて日本の職場にもあった「寛容性」も失われていった。

アメリカの言うようにグローバリズムを受け入れて「成果主義」という言葉だけ受け入れたこの残念な結果には声もない。

現役時代に、ある現場たたき上げの技術者が「最近の人間は料簡が狭い」といった言葉が思い起こされる。

通知表をやめた公立小学校

神奈川県の公立小学校で通知表をやめたらしい。その結果はどうであったか。



通知表に限らず人に評価されるというのはイヤなものだ。小学校から評価は始まり、学校にいる間はずっと続き、サラリーマンになって自由になったかと思いきや、成果主義の台頭でまた小学校時代に戻ってしまった。

通知表をやめた小学校とは神奈川県茅ケ崎市立香川小学校。各学年は5~6クラスあり、全校児童が千人を超える大規模校だ。国分一哉校長は、以前から通知表の在り方に疑問を持っていた。18年4月に着任後、教員に通知表の在り方について廃止も含めて検討するよう求めた。

全体では通知表を評価する教員が多いものの違和感を持っていた教員も存在した。教員たちは何のために通知表を出すのか、という原点に戻って考え始めた。

教員たちの話合いは2年に及び最終的に「廃止」に決った。その間校長は議論に口を出さず、見守った。

ところが開始する2020年4月にコロナ禍による一斉休校の時期に出会ってしまった。
学校がコロナ対策で手いっぱいになったことで、保護者に対し、通知表を廃止する意図を十分に説明しきれなかった。すると、保護者からは「通知表のように、紙として残るものを作ってほしい」との声が上がった。

校長は、これに対し、子どもに自己評価シートを書かせることを提案。子ども自身に、半年間の学習を振り返らせようとした。
しかし、実際にやってみると、半年間の学習を今後の学びにつながる形で振り返れた子どもは少なかったし、教員にとっても、一つ一つにコメントを付ける負担は大きかった。

そこで各教員が個別に試行錯誤的な対応を取った。その結果、教員が今まで以上に生徒の活動をよく見るようになった。
2021年1月に保護者アンケートを取ると、廃止に対するポジティブな意見や激励が多かった。一方、通知表を求める意見もあった。

通知表廃止は2年目を迎えたが、子どもたちに目に見える変化は現れていない。しかし、教員は変わってきていた。通知表がなくなったことで、子どもに優劣を付けるのが当然という発想から自由になったためだという。

そうした教師側の意識の変化は、「他者との競争」から「自分の成長」という視点に変わってきた。
昨年10月の体育会でクラス対抗だった種目を自分たちの記録更新に目標を変えた。
すると5クラス全部で自己記録を更新し、全員のモチベーションがアップした。

それ以外にも教員たちの改善努力は続いている。

通知表廃止から3回目の春。「他人と比べる」という価値観から距離を取り、評価とは何か、評価はどうあるべきかを突き詰めた2年間を経て、香川小は確かに変わり始めているという。

この話を聞いて思い出すのは、「ホーソン実験」やその後のマグレガーの「X理論Y理論」だ。



グローバル資本主義の大好きな行動主義にはなじまないがこのような地道な活動が日本の小学校で行われていることを知って本当に嬉しく思った。

もう少しまともな生き方を

私が現役時代に勤めていた会社は家族的である一方、組織の締め付けが厳しかった。
そんな加減でサービス残業は当然であった。
20代の頃はそれを当然のごとく思っていたが、20代終わりごろに結婚し、家族を持ってから次第にその会社のありかたに疑問を持ち、30代半ばからは断然、定時退社することに決め定年までそのペースで働いてきた。
その後、社内でいろんな問題が起きて、その要因の一つに残業の問題があることが分かり、会社全体の問題として対応が取られたが、それは私が40代後半のことだっただろうか。余りにも遅い対応だった。

そんな経験を思い出させてくれたのは、以下の投稿だった。

教員

週60時間以上の中学教員の国際比較である。52%の中学教員が週60時間以上の労働(月80時間残業)という過労死ライン。
国際的にもダントツで2位のカザフスタンを20%以上引き離している。

一体、日本人は何を目指してこんな長い労働に耐えているのだろうか。
私の経験からしても残業を前提にした時点で仕事の密度が下る。周りに引きずられて残業している人も当時からたくさんいたし、今もそうなのだろう。

まず、われわれ日本人は、何のために生きているのかということをしっかり見定めることだ。そうすれば、どのように仕事と向き合うかということが明らかになってくるだろう。
先生の中には、長時間の残業をしないと自己実現できないという人もいるだろう。そういう人はいいだろう。しかし、多くの人は職場の空気に縛られて長時間労働に引きずり込まれているのではなかろうか。

クラブ活動は必ずしも必要か?その活動は教師が必ずしも関わる必要があるのだろうか?
完全に生徒の自主性に任せることはできないのか。
これは生徒自身や生徒の親も考えねばならないことだ。

私は、イジメという日本の学校がかかえる根深い問題にも関係していると見ている。
クラスの生徒たちの人間関係が把握できなくて、教育なんて言えるのだろうか。

欲求階層説再考 3

アブラハム・マズローの欲求階層説でよく言われるのは、下のレベルの欲求が満たされて上の欲求レベルに向かう、という考え方です。


確かに下の方の生理的欲求は生きる上での必須の欲求で、これがないと生物として生存することすらできません。
また、安全が保証されないと社会的欲求も得られないことがわかります。

ところが自我の欲求が必ずしも必要かどうか、という話になるとなかなか簡単に結論の出せる問題ではありません。
家族があって、仕事があって食べていけて、職場なり地域に友人があってということで満足していれば「自我の欲求」は必ずしも必要ではないのではないか、という考え方は当然あってしかるべきだと思うのです。

逆に、自我の欲求はいくら追及しても究極の満足を得ることはできません
実際、人々が求める地位・名誉・権勢・富といった自我欲求を満足させてくれるようなモノを手にした人々の顔を見ても、少しも幸せそうな顔をしている人がいません。
自分の地位や名誉・権勢・富がいつ奪われるのではないかと、ヒヤヒヤして苦しそうな顔をしていませんか?
歴史を振り返っても、豊臣秀吉や徳川家康、江戸時代のお殿様たち、明治の元勲の山縣や伊藤、現代の総理大臣や大企業の経営者たちが幸せであった、あるいは、あるとは到底思えません。
その行動や表情や行動を見ればわかります。

究極の幸福な人間とは自分とは何かということが分かっている人だけです
魂とは何かがわかっている人だけです

こういう人は、普段、人眼につくところにはいないのです。

マズローの欲求階層説を教科書的に理解していると、いつまでたっても自我の欲求に縛られて抜け出すことができません。その結果が現代社会の困難を生み出しているといっても間違いではないでしょう。

皆さんに是非そのことを知ってほしかったので補足させてもらいました。

本日もお読みいただきありがとうございました。 
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
をご覧ください。

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