日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

失敗からの学び

白井聡「ニッポンの正体」その2 完



今の日本社会は、客観的にみると破局的な状態になっていると思うが、世間に目を向けると誰もが何もなかったような顔をして暮らしている。
私にとっては、奇妙な話なのだが、これは果たして正常性バイアスなのか、それとも危機感を持てないほど日本人の機能が劣化してしまったのか?

(白井)今恐ろしいのは、権力の作用としては何をやろうとしているかというと、過剰な部分を人間からすべて削ぎ落してしまえばいいじゃないか、それで平和になるじゃないかという発想です。そのように、ときに危険なものも全部なくしていった社会のことを宮崎さんは「デオドラント化されて社会」と呼んでいます。(p133)

最初の私の疑問は、支配層の努力が実って日本人が人間としての機能(危機を感じるという)を失ったということなのでしょうね。えらいことになりました。
今や小学校から全体主義的教育が徹底してしまっているから…

(高瀬)木でなく森を見たときに、一つの森が出来上がっているということですね。この体制の特徴は何でしょうか?
(白井)「不正、無能、腐敗」という政治の三つの悪徳を体現している。(p145)

日本人はどうも俯瞰的にモノゴトを見ることができない、という欠点があるように思う。
たとえば、衣服とかお化粧とか日本の女性は細かい所に一生懸命手をかけるけれども、その仕上がりを一人の人として見ると「人間が出ていない」ように思える。
一方の西洋の女性を見ると、細かく見ると大ざっぱだが、全体をみると「人間がそのまま押し出されている」ように思える。
今さらどうなるものではないが、一人ひとりが日本全体を俯瞰的に見るようにしてはどうだろうか。そうすれば次回の選挙には行かなければと思う人が増えるのじゃないだろうか。

(白井)私の理解を超えているところがあるのですが、危機感のようなものを持つためにはある種の知的な能力や感覚、何らかの生命力が必要なのでしょうが、その生命力が衰退してきているのでしょう。(p147)

この危機感のなさは、日本が集団で滅亡する道に進んでいることを示しているのではないだろうか?
大丈夫か日本人。

(高瀬)ポスト55年体制を作ろうというときに、「官僚主導から政治主導へ」ということがアピールされその、背後には日本の官僚体制に対する批判の高まりがあった。そして、ポスト55年体制はまともな形では成立せず、その代わりに2012年体制が成立した。
 これは結局何だったんだろうと言ったら、1990年代にはかなり厳しく批判されていた日本の官僚機構が完全に力を取り戻したということです。自分たちの独裁的権限を取り戻した。…腐敗した専制政治を実質的には官僚がやっているという状況だと思います。(p69-70)

私は違う見方を持っていて、第二次安倍政権になって、政府主導になったという官僚統制は、実はグローバリズムが安倍政権を乗っ取ったに過ぎないと思っている。
実際、問題になった統一教会とかパーティー券裏金などは、共に統一教会や財界というグローバリズムそのままの組織が暗躍した結果なのだから。

(白井)そのときの「国体」とは、戦前に関してはいわゆる天皇中心主義の天皇制国家とも言われた体制です。戦後、「国体」という言葉は死語になったのだから、戦後の社会には「国体」というものはないということになっています。しかし、それは表層に過ぎない。実は国体の頂点たる天皇のところをアメリカにすり替えた形でできているのが戦後の社会であり、日本国家なのではないかという仮説を私は立てました。(p185)

これは妥当な見方で、日本の経済が調子良かった時代は、アメリカと対等にやっていたように印象操作がなされたが、実は、アメリカの日本支配は継続していた。
その間もアメリカの劣化は続き、今や日本はアメリカと共に沈没の危機にある。

(白井)2020年、統一教会の問題が大きく表面化した中で、勝共連合のようなものに日本ではいまだにあるわけです。…本家本元は、北朝鮮の金王朝とがっちり組んでやっているという話ですが、日本にはいつまでこんなことをやっているんだろう、いつまで逆コースでできた国の形をひたすら現状維持しているんだろう…。そんな怠惰な姿勢では日本は衰退するし滅びるということを。統一教会問題は突きつけているのだろうと思います。(p270-271)

自民党だけの問題ではなく、われわれ国民が一番怠惰であったのであろう。いくら国民の性質とか支配者による教育支配などがあろうと、平等な人間としての能力を失うということはあり得ないのではなかろうか。
われわれ日本人は、本来の人間としての能力である、「危機を感じる」という機能を取り戻さなければならない。そして選挙に投票に行こう。


白井聡「ニッポンの正体」その1



昨年末あたりから、私の見ているSNSでは、世界的潮流としてDS(ディープステート:世界を支配するグローバル資本主義の総体、あるいは潜在意識)が破綻崩壊し、新しい時代が来る、という話が多い。
たしかに世界的現象としては分かる。
しかし、私が思うに、日本社会を素直に見ていると、統治システムは大戦に至った原因となったマインドセットをそのまま使いまわした上、未だに支配層はそれを使い続けてまんまと生きながらえている。
さらには、敗戦後のアメリカの巧妙な戦後日本支配は弱まる気配すらない。そんなことでDSがポシャッたからといって日本の社会がどうなるもんでもなかろうと思っている。
やはり、日本の正体を歴史と現在起こっている現象から読み解き、検証し、改善の手を打っていかなければならないのだ。

そこで白井聡「ニッポンの正体」を読みながら考えていきます。


(白井)結局、朝鮮戦争以降どうなったか。厳しい状況の中で、台湾と韓国はものすごい犠牲を払いながら、民衆が自由と民主主義を獲得するための闘争を行い、そして獲得した。だからこそ、今両国では自分たちの民主主義を守っていくんだという情熱が非常に強い。まさに、自分たちは主権者なんだという強い意識があるわけです。
 それに対して日本は、はっきり言って民主主義は死んでいる状況にある。…要するに、日本の民主主義というのはあまりにも虫がいい話だったのではないかと。(p33)

戦後アメリカの日本占領政策は、当初、軍事力の無力化と民主化にあった。しかし、東西冷戦が始まり、アメリカは日本を冷戦の最前線に位置付けることにしたため、民主化は中途半端なものになってしまった。いわゆる「逆方向」である。

日米安保条約の改定に伴い、国内では大きな騒乱となったが、岸首相の退陣と池田勇人の「所得倍増計画」につられて日本人は政治から経済へエサを切り替えられ今日までそのままきた。

一方、戦後軍事政権だった台湾と韓国は国民の手で民主化に成功した。この違いはどこからきたものだろうか。

自民党が戦前のマインドセットをうまく使ったというのだろうか、それとも国民がボーとしていたからか。
それだけではない要因があったのだろう。
さらなる検証が必要だ。

(白井)(本来アメリカはソ連の参戦がなくても原爆によって日本を降伏に導くことができたという前提で)原爆を投下するときに、原爆投下の時点ですでに戦後は始まっているということです。戦後レジームの設計というのは、すでに始まっている。…すでにこのときに始まってきていた東西対立の中でアメリカは日本を完全に傘下に入れることになっていった。そしていわゆる民主化もされますが、逆コースへと反転していって、岸さんが復権してくる。こういう流れになっているわけです。(p69)

これは「オッペンハイマー」でも語られていた。日本への2発の原爆は日本との戦争終結に必要なものではなかった。その災禍は、東西冷戦の開始を告げていたのだ。

オッペンハイマー 上 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇
マーティン・シャーウィン
PHP研究所
2007-07-19

(高瀬毅)核攻撃を受けても仕方ない。それでも私たちは、核廃絶を言い続けて生きる国だという覚悟を決める。もう一つは何ですか?
(白井)その覚悟がないまま、核兵器はダメだと言いながら核の傘はやっぱり重要だというような、よくわからないことをやってきたのが戦後日本だった。(p71)

端的にそれが示されたのが昨年の「広島サミット」での岸田首相の「核抑止力」に固執する姿勢だった。岸田氏は広島の選挙区から出ているが(ご本人は東京出身)、まさに核の有効性を謳ってアメリカをはじめとした核保有国に媚びを売る姿が実に醜いものであった。
正に、自分自身の政治的目的のために被爆の事実(広島・長崎の人々)を利用したと言っても過言ではなかろう。広島の人々からの批判が出たのも当然であろう。

このような現状は、民主主義だけではなく、言論の自由の分野でも戦前と同様で、見方によってはさらに悪化しているという。

(白井)(学術会議任命問題と比べて)滝川事件のときのほうがまともだった。(p96)

滝川事件が昭和8年(1933)なので、すでに90年も経った話だ。しかし、1世紀前と同じことをやっているようじゃ先が心配だ。

(白井)結局、日本人のよくある特徴である、左右をきょろきょろ見て自分もこうしようという傾向を助長することになっていくでしょう。ますます、自分を持たない、左右を見てただひたすらそれに合わせる、合っていない人間を見ると「おかしい」と言って数を恃んで攻撃する卑屈、卑劣ないやらしい人間を大量生産していくという方向に進んでいるのだろうと思います。(p98)

白井さんの言い方は極端なようにも思えるが、その事実は確かである。日本のネット上に跋扈する「卑劣ないやらしい人間」は安倍晋三が暗殺されたりパー券闇金問題が出たりDS破滅が近づいても減っているような気がしない。

このような流れを変える手立ては国民に与えられている。選挙権だ。ところが、投票率は上がらない。

(琉球大学高嶋教授)北ヨーロッパでは全部の年齢を含めて投票数が高い。デンマークでは国政選挙で80%を割ったことがない。(p101)

はて、どうしたものか。

(白井)今の日本の政治の劣化は社会の劣化を反映しているというか、その延長線上に出てきていることであり、政治を良くするには根本的には社会の側を立て直さないとどうしようもないことが非常に明確だと思います。その点からすると、宮崎(学『突破者』)さんの遺した仕事は非常に重要な観点を提供していると思います。(p112)

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」
現在の日本の社会も政治も国民の姿がそのまま現実化しているのだろう。今の自分の姿、ここからスタートしなければならない。


矢部宏治「知ってはいけない2」その3完

戦後続けてきた長い日米関係だから急にどうなるもんでもないだろう、と思うのは甘い。
日本は、アメリカが戦争を始めればアメリカの指揮官の指示の下で戦わなければならないことになってるらしい。

こうして行政協定の文面から表面上は削除された、
「戦争になったら、すべての日本軍は米軍の指揮のもとで戦う」
 という「ウラの掟」を実行するためのシステムが、現実の世界で着々と整えられていったのです。(p214)

ここまで主権を放棄した密約を闇の中で結び続けてきた日本の政治家と官僚の罪は深い。しかし、それを許してきたわれわれ国民の責任はどうだろう。
われわれは、先の大戦の失敗とおなじことを繰り返そうとしているのではなかろうか。

岸による安保条約の改定とは、

旧安保条約は「裸の鰹節」で、新安保条約は「桐箱におさめ、奉書で包み、水引をかけ、のしまでつけた鰹節」だ。(西村熊雄元条約局長、p217)

恐ろしいことだ。こうやって「密約」は隠蔽され「麗しい日米関係」という虚偽によって飾られ、明らかにされることはない。

日米同盟においては、われわれが日本に核の保護をあたえる代わりに、日本はわれわれの基地を使えるようにしなければならない。(キッシンジャー、p221)

岸田首相が唯一の被爆国であるにもかかわらず一生懸命「核の抑止力」を説いているが、それはこのキッシンジャーの言葉がそのまま実現されていることを認めているからだ。

今の日本の現状はまさに、

書物が焼かれるところでは、やがて人間も焼かれるようになる。(ハイネ「アルマンゾル」p267)

ということになる。
つまり、

アメリカ政府と数多くの重大な密約を結び、しかしその存在を否定して過去の資料を捨てつづけた結果、日本はいわば「記憶をなくした国」になってしまったのです。それは同時に、日本がアイデンティティを喪失した国になってしまったということでもあります。(p270)

アイデンティティなき国、日本の意義をどこに見つければよいのだろうか。

外交というのは、けっして軍事力だけが武器ではない。「論理」と「倫理」、そして「正義」が、現実の世界においても非常に大きな力になる。…
 論理と倫理を無視してただ強い者の言うことにすり寄っていれば、自国の安全と繁栄が維持されるという時代はすでに終わりを告げているのですから。(p272)

「論理」、「倫理」、「正義」の存在しない国は滅亡しかない。

あの強大な古代ローマですら自ら崩壊したのだからちっぽけな日本が崩壊しない理由はどこにもない。

最終的にローマ帝国はそうした外部からの攻撃によってではなく、帝国自身の内部要因(ヒエロニムスのいう「罪と悪徳」)によって崩壊した。(p286)

その先にあるのは何か?立花隆はこんなことを言っているという。

「死ぬのは文明であって人類ではない。(略)そして、一つの文明の死は、同時にもう一つの文明の誕生となる。一つの文明の成功の条件が、同時にその文明の失敗の条件になるという逆説のように、一つの文明の死の苦しみは、同時に別の生みの苦しみとなるというもう一つの文明の逆説もまたあるのだ」(立花隆「文明の逆説」、p292)

はたして、そうなるのだろうか。最近の地球の状況を見ると、人類そのものの滅亡が近づいているような気がする。今の文明が崩壊して、次の文明が起こるような気がしない。
なぜなら、今の西洋文明が崩壊するときには、わが身一人が生き残るために核兵器が使われる可能性が高いと思うからだ。
それを回避するためにすべての核兵器を安全に廃棄するという選択が今の狂気の時代に果たして可能なのだろうか。

矢部宏治「知ってはいけない2」その2

岸に始まる「密約」の勝手な扱いを始めたおかげで、日米関係は後戻りできないような、異様な関係になってしまった。
果たして、日本の外交が普通のものになることはできるのだろうか。

岸と佐藤というふたりの兄弟の手によって、誕生・発展した自民党という政党は、このように結党時からCIAやアメリカ政府とのあいだに、あまりにも異常な「絶対にオモテに出せない関係」をつくりあげてしまった。それから60年後を生きる私たちは、いま大きな時代の転換期にあたってその深い闇を直視し、自分たちの手でそれを明るい場所に出して、清算する必要があるのです。(p145)

しかし、現在でもあったことがなかったことになる、という自民党の政治スタイルは一向に変わらない。これはなぜか、というと国民が変わらないからではないか。
国民さえ変われば、政治を変えることは可能だ。

いわば自民党にとって「日米同盟〔=日米安保体制〕には指一本触れるな」という党是は、CIAからの巨額の資金提供とひきかえに、結党時に合意された密約といってもよいのです。(p146)

アメリカの政治的判断は常に、「国益に合致するか」ということで正当化されている。
対する日本も同じポリシーを取らねばならない。
今の日本の政治は「アメリカの国益に合致するか」で決まっている。こんなおかしいことを放置している国は世界中探しても見当たらない。

国内ですら、

「私どもが外務省から聞いておりますことは、米軍に対しては、(日本の国内法は)地位協定の原則に従ってすべて原則として適用除外である(略)というふうに理解しております」(金井洋:運輸省航空局技術部長)p147)

国内法すらアメリカによって歪められていながら、異を唱えない国民もどうかしている。

密室で合意された日米合同委員会や日米安保協議委員会の決定が、憲法も国会も関係なくそのまま実行されるという、安保改定前と変わらぬ体制が継続することになりました。しかも「砂川裁判・最高裁判決」が出されているため、米軍の行動が裁判で違法となる可能性はゼロ(ここが旧安保時代よりも、はるかに悪化した点です)。
 したがって米軍は、日米地位協定の条文さえ、まったく守らずに行動できる。そうした世界で唯一の異常な状態が、完全に「合法化」されることになったわけです。(p168-169)

「密約」や「日米合同委員会」の国内法に優先するような国とは果たして国家と言えるのだろうか。
不思議は話だが、このような状態に怒らない日本人の現状が現状を維持している。
それが証拠に米国務省ですらこんなことを言っている。

「たとえわれわれ〔アメリカ政府〕が条約上どんな「自由」を保持していても、〔相手国の〕国民がこれに敵意を持っていれば、実際に〔その権利を〕行使することはできない」(アレクシス・ジョンソン:元国務次官、p172)

アメリカだって、国民がイヤということは日本で行使することはできない。

アメリカの日本における外交手段をまとめれば、

三段階のプロセス
1.    まず最初に、非常に不平等な取り決めを条約として結んでしまう〔法的権利の確保〕
2.    次に比較的ましな、具体的な運用協定を結ぶ〔相手国の国民の懐柔〕
3.    その後は、右の1と2の落差を埋める形で、少しずつ自分たちの権利を拡大していく〔1の法的権利の表面化〕(p173)

アメリカは、この手法が第二次世界大戦後、日本で成功したものだから、その後の紛争後の統治に同じ手法を適用しようとしたがアフガニスタンにしてもイラクにしても失敗した。
それは、国民が否定したからだ。

われわれは〔旧〕日米安保条約で、きわめて重要で前例のない権利を日本から与えられています。というのもわれわれの権利は、日本の安全に関しては、われわれの側にはなんら義務はなく、ただ権利が与えられているということです。((ディーン・ラスク:行政協定交渉担当・特別大使)p201)

この状態を国民が拒否しない限り現状を変えることはできない。

矢部宏治「知ってはいけない2」その1

以前、矢部宏治さんの「知ってはいけない」という本について書きました。



「日米安保条約」と「地位協定」と「密約」によっていかに日米関係がいかに歪んだものであるかを分かりやすく明らかにしてくれました。
今回はその続編を読みましたので気づいたところを書き留めておきます。

もちろん密約は日本だけではなく、どんな国との交渉にも存在します。
 ただ日米間の密約が異常なのは、あまりか側はもちろんその記録をきちんと保管しつづけ、日本側が合意内容に反した場合は、すぐに訂正を求めてくる。また国全体のシステムとしても、外交文書は作成から30年たったら基本的に機密を解除し、国立公文書館に移して公開することが法律で決まっているため、国務省の官僚たちもみな、明白なウソをつくことは絶対にできない。
 ところが日本の場合は、
「アメリカとの軍事上の密約については、永遠にその存在を否定してもよい。いくら国会でウソをついても、まったくかまわない」
 という原則が、かなり早い時点(1960年代末)で確立してしまったようなのです。(p16)

外交文書である「密約」の意味が世界中で日本だけが違った解釈がなされている。
日本以外の国では、「密約」は個人と個人の約束だから忘れてしまっていい、ということになっている。ところが日本以外の国ではれっきとした外交文書で永遠に守り続けていかなければならない、ことになっている。
そして、日本側からはこの文書は公開されることがないので、アメリカの公文書の公開によってたまたま明らかになったりするのだ。

もっと詳しく言うと、

「つまり、佐藤首相は、「密約」を、総理大臣の個人的責任で窮地を凌ぐための腹芸で交わすものだと認識していた。そのため、外務大臣にも伝えていなかった。しかも、後継首相にも「密約」を引き継いでいない。これは安保改定時に…〔重大な密約を〕結んだ岸首相も同様であった。日本側〔=岸と佐藤〕は、密約は個人対個人のものと捉えていたのである。(春名幹夫、p19-20)

岸や佐藤は本当にそんな認識だったのだろうか。佐藤に至ってはその「腹芸」のおかげでノーベル平和賞までもらっている。しかし、そんな大嘘で賞を貰っても死んで地獄に落ちた、では笑い話にしかならない。

冗談にしか思えないこの「密約」の解釈で日米関係はとんでもないことが続いている。

「…この両国の埋め難い密約観の違いが、時に、日米間の深刻な亀裂となってあらわれることがある」(春名幹夫、p22)

これは、日米の官僚たちの倫理観の違いにも起因しているところがある。

そもそもアメリカという国が日本といちばん違っているのは、そうした「不都合な真実」をなんとか少しでも公開しようという戦いが、政府のなかでも激しく行われているという点だからです。(p116)

アメリカの官僚たちは、自分たちのやった「汚れた仕事」を黙って墓場に持っていくことができない。何とか公開する手立てを打とうとするらしい。これこそ人間の社会に対する責務と言えるだろう。
一方の日本では、汚れた経験を墓場に持っていくことが美談のように語られる。自分が地獄に落ちても組織を守ることが日本の男だと賞賛される。

基本的なストーリーを理解していると戦後の日米関係はすんなりと理解することができる。

これが旧安保条約をつくったダレスの大原則なのです。同条約はその前文にある通り、「あくまでも日本の方から、米軍の駐留を希望する」という論理で一貫しており、そのため事実上の占領継続状態が正当化されるという形になっているからです。(p134)

米軍の駐留には昭和天皇の意向もあったというが、マッカーサーと天皇との異常なほどの信頼関係がその後の日本だけではなく世界の外交関係に深刻な影響を与えたことも、今後検証されなければならないと思う。

岸はやはり国家の指導者として、ひとつ絶対にやってはいけない致命的な罪を犯している。
 それは国家の軍事主権をすべて放棄しるような密約をアメリカとの間で結んでいただけでなく、それを文章化するプロセスをすべて「親友」に任せ、そのあげく自分は内容をよく理解しないまま、その密約を「破って捨て」、佐藤の言葉にあるように、
“最後は度胸だ。密約文書など捨てたっていいんだ。自民党政権と日米安保条約がつづくかぎり、アメリカが必ず帳尻をあわせてくれる。なにも問題はない”
 と考えてしまったということです。
 それが将来的に、日本という国をどれだけ深刻な危険にさらす暴挙であるかということを、岸はまったく理解していなかったのです。(p143)

アメリカは今、分断の危機の中にあるが、日本の政権に関わっている人々はその国と共に沈没する覚悟であるらしい。
しかし国が沈没しても個々の人間はその一生を全うしなければならない。
今後いかなる事態がやってこようと、正気を失わず、立派な人生を送ることが私の課題である。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
をご覧ください。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
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