今の日本社会は、客観的にみると破局的な状態になっていると思うが、世間に目を向けると誰もが何もなかったような顔をして暮らしている。
私にとっては、奇妙な話なのだが、これは果たして正常性バイアスなのか、それとも危機感を持てないほど日本人の機能が劣化してしまったのか?
(白井)今恐ろしいのは、権力の作用としては何をやろうとしているかというと、過剰な部分を人間からすべて削ぎ落してしまえばいいじゃないか、それで平和になるじゃないかという発想です。そのように、ときに危険なものも全部なくしていった社会のことを宮崎さんは「デオドラント化されて社会」と呼んでいます。(p133)
最初の私の疑問は、支配層の努力が実って日本人が人間としての機能(危機を感じるという)を失ったということなのでしょうね。えらいことになりました。
今や小学校から全体主義的教育が徹底してしまっているから…
(高瀬)木でなく森を見たときに、一つの森が出来上がっているということですね。この体制の特徴は何でしょうか?
(白井)「不正、無能、腐敗」という政治の三つの悪徳を体現している。(p145)
日本人はどうも俯瞰的にモノゴトを見ることができない、という欠点があるように思う。
たとえば、衣服とかお化粧とか日本の女性は細かい所に一生懸命手をかけるけれども、その仕上がりを一人の人として見ると「人間が出ていない」ように思える。
一方の西洋の女性を見ると、細かく見ると大ざっぱだが、全体をみると「人間がそのまま押し出されている」ように思える。
今さらどうなるものではないが、一人ひとりが日本全体を俯瞰的に見るようにしてはどうだろうか。そうすれば次回の選挙には行かなければと思う人が増えるのじゃないだろうか。
(白井)私の理解を超えているところがあるのですが、危機感のようなものを持つためにはある種の知的な能力や感覚、何らかの生命力が必要なのでしょうが、その生命力が衰退してきているのでしょう。(p147)
この危機感のなさは、日本が集団で滅亡する道に進んでいることを示しているのではないだろうか?
大丈夫か日本人。
(高瀬)ポスト55年体制を作ろうというときに、「官僚主導から政治主導へ」ということがアピールされその、背後には日本の官僚体制に対する批判の高まりがあった。そして、ポスト55年体制はまともな形では成立せず、その代わりに2012年体制が成立した。
これは結局何だったんだろうと言ったら、1990年代にはかなり厳しく批判されていた日本の官僚機構が完全に力を取り戻したということです。自分たちの独裁的権限を取り戻した。…腐敗した専制政治を実質的には官僚がやっているという状況だと思います。(p69-70)
私は違う見方を持っていて、第二次安倍政権になって、政府主導になったという官僚統制は、実はグローバリズムが安倍政権を乗っ取ったに過ぎないと思っている。
実際、問題になった統一教会とかパーティー券裏金などは、共に統一教会や財界というグローバリズムそのままの組織が暗躍した結果なのだから。
(白井)そのときの「国体」とは、戦前に関してはいわゆる天皇中心主義の天皇制国家とも言われた体制です。戦後、「国体」という言葉は死語になったのだから、戦後の社会には「国体」というものはないということになっています。しかし、それは表層に過ぎない。実は国体の頂点たる天皇のところをアメリカにすり替えた形でできているのが戦後の社会であり、日本国家なのではないかという仮説を私は立てました。(p185)
これは妥当な見方で、日本の経済が調子良かった時代は、アメリカと対等にやっていたように印象操作がなされたが、実は、アメリカの日本支配は継続していた。
その間もアメリカの劣化は続き、今や日本はアメリカと共に沈没の危機にある。
(白井)2020年、統一教会の問題が大きく表面化した中で、勝共連合のようなものに日本ではいまだにあるわけです。…本家本元は、北朝鮮の金王朝とがっちり組んでやっているという話ですが、日本にはいつまでこんなことをやっているんだろう、いつまで逆コースでできた国の形をひたすら現状維持しているんだろう…。そんな怠惰な姿勢では日本は衰退するし滅びるということを。統一教会問題は突きつけているのだろうと思います。(p270-271)
自民党だけの問題ではなく、われわれ国民が一番怠惰であったのであろう。いくら国民の性質とか支配者による教育支配などがあろうと、平等な人間としての能力を失うということはあり得ないのではなかろうか。
われわれ日本人は、本来の人間としての能力である、「危機を感じる」という機能を取り戻さなければならない。そして選挙に投票に行こう。