日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

勇気

西山太吉・佐高信「西山太吉 最後の告白」その3完



とにかく西山太吉さんの勇気には感服する。
その政権批判には本当に胸がすく。


(西山)ノーベル平和賞をもらったことについてケチをつける気はないけれども、ノーベル賞側の完全なミステークだね。沖縄返還のために日本が何をしたか。そして日本のために沖縄返還がどのような効果があったか。そういう分析なんか何もしていない。
(佐高)佐藤は自分の功績のために、日本の主権を事実上放棄した。あまり言いたい言葉ではないですが、売国奴ですよね。消防署が放火犯を表彰するようなものです。
(西山)沖縄返還によって日本は国の形とか機能まで変わってしまったし、南ベトナム傀儡政権を支持し、ベトナム戦争を徹底的に支持した男が、ノーベル平和賞に値するの、ということです。そういう認識はヨーロッパにはない。ただ単に沖縄が帰ってきたというそれだけです。沖縄は日本の領土である。それが帰ってくるのは当たり前なんだけれど、表面的な観察しかない。そういうことが言えると思いますよ。
(佐高)沖縄返還が日本の国の形を変えたとおっしゃる…。
(西山)米国は佐藤政権の弱点を利用して自由使用を取った。その沖縄が日本本土に変換された、ということは、本土の基地が自由使用になったということですよ。日本の国の形が、根底から変わったと思う。日米同盟を維持しながらも米国と一定の距離を保ち、専守防衛を遵守、自衛隊の海外派兵はさせない国から、従来的な日米軍事一体化路線を完成させ、集団的自衛権行使を容認、海外派兵できる国になった。戦後日本の保守政治史を知る者からすると、驚くべき変貌でしょう。
(佐高)誰がどう変えた?
(西山)長州閥の三政権の存在が大きい、というのが私の分析です、それは60年の岸信介政権の安保改定から始まった。旧安保条約から新安保条約に切り換える際に、米国に日本の防衛義務を負わせることとし、そのことが対米依存の固定化を招き、従米を深める要因になった。
(佐高)さらに、72年の佐藤栄作政権の沖縄返還がそれを加速した。政権が自らの手柄としようと、任期内決着という期限をつけたため米国側につけ込まれ、財政負担を含めて膨大な密約を結ばされた。最も本質的問題は、在日米軍基地のベトナム、台湾、朝鮮半島有事への自由使用を認めたことです、そして安倍晋三政権による総仕上げがあった。2015年の安保法制定で、日本が「存立危機事態」になれば米軍を支援するために海外での武力行使が可能になった。その事態判断は、事実上米国に決められてしまうというリスクも伴っている。
(西山)結局、岸、佐藤、安倍のラインというのは、情報公開の阻止者であるね。隠蔽や改ざんや偽情報の根源ですよ、あの三代はみんな長州。長州閥の伝統だね、策略は。
(佐高)山縣有朋が源流のような気もするんですけどね。その政権の横暴に対して、組織を挙げて頑張っているメディアは、沖縄のメディアぐらいでしょうかね…。(p213-215)

現代日本の自民党政治の問題点を見事にあばいている。
私もよく家で日本の政治を批判をつぶやいていると、妻から非国民呼ばわりされているが、それぐらいで発言を控えるようなことでは勇気のあるものとは言えない。

ところで、大戦後アメリカが同じ過ちを繰り返して世界に惨禍を広げているが、これには日本も大いに関与していると思う。
戦後の歴史を俯瞰するとアメリカが取った占領政策で、唯一成功したのが日本だったということだ。他の国ではすべて失敗している。
つまり、日本がいつまでもアメリカの言いなりになっていることによって、アメリカは政策の誤りに気づくことができないままでいる。
日本は何せ1億人以上の人口の大国である。まして戦後未曾有の経済成長を遂げて、アメリカはその甘い汁をチューチュー吸いつづけている。
その甘い汁ともう一度と続けた結果が今の世界の惨禍を生み出している。
ウクライナとかパレスチナなど原因を探れば誤りに気づかないことによる。そしてそれに加担しているのが日本の政府だと断言してよいのではないか。

(西山)戦後において、国家機密が日本のメディアによって暴かれたことがありますか?1回もないよ。西山太吉だけですよ。(p222)

自画自賛だけど、否定するものはいるまい。
それにしても西山さんへの対抗策として検察は最高の手を打ったことになる。後継者が一人も出なかったのだから。

(西山)あの裁判は裁判じゃなかったんですよ。なぜかと言うと、起訴事由はあの400万ドルの軍用地復元補償だけ、それを私が非常手段で入手して出させた。それだけです。起訴事由では、「機密」とありますが、それ自体が偽証で構成されていたのだから、機密でないものを機密漏えいといってなぜ裁判ができるのか。裁判がでっち上げられたんですよ。(p224)

西山さんは冤罪であると主張しているが、実際、検察はそういう失敗を繰り返している。

日本の民主主義なんて、本当にいい加減なものですよ。事実は全部隠し、全部をオブラートに包んで、別の事件に仕立て上げるんだから。それを全部、マスコミも含めて、追従していく。もう機密の要件を失っているのに、まだ機密だ機密だと言っている…。(p225)

政府は機密という言葉で逃げているが、公開しないだけでなく、廃棄・改竄までやるようになった。そんな破廉恥なことも一歩踏み越えてしまえば、何の罪悪感も持たなくなってしまうだろう。
一番残念なことは、このように人間として生まれた人間が人間性を失ってしまうことだと思う。これほどの不幸はない。

(西山)国は都合に悪いものを皆捨ててしまえばいい、ということをある意味容認したね。司法の最終的良心と期待される最高裁の、子々孫々にわたって恥じるべき決定だった。(p232)

このように西山さんは自分の裁判を振り返るが、それ以降の日本の政治全体がたどった結果、われわれ日本人は未だに日本の独立の糸口すら見いだせないままにいる。


西山太吉・佐高信「西山太吉 最後の告白」その2



西山さんは田名角栄と宏池会専門のジャーナリストとして認められていた。いささか偏り過ぎていたと言えるかも知れないが、かつてアメリカへの従属から離れることを目指していた宏池会が宗旨替えしたように見える今、西山さんの行動は十分に理解されるものだと思う。

(西山)宏池会は、一つの流れのままで行くのではなくて、どんどんその中をかき交ぜて、いろんなバランスを取って、新しいものを作り出していく。その結果が法律や制度になる。アプローチが逆なんです。(p178)

なるほど、現在の日本の政治というものは、まず産業界の動機があり、それが政治を動かして法律や行政を行なっている。その実態を思えば、日本の政治というよりより大きく社会が劣化したと言ってもいいだろう。
社会が劣化しているということはその「一部」である経済が衰退するのはあたり前なのだろう。今は日本の経済の衰退を問題にする人が多いが、本当は「社会の衰退」を問題にすべきなのだ。

(西山)日本の保守政治にとって悲しむべきは、宏池会の勢力が失墜したことですよ。清和会の独断場になってしまったことですよ。これが日本の政治を毒している。…バランスがとれていない。イケイケドンドンです。清和会的なものと宏池会的なものぶつかって、そして、その中から新しい対応を生み出していく。これが、本来の自民党政治だったんです。(p180)

今や、宏池会の衰退というより、宏池会の考え方が「清和会化」したことが問題だと思う。そして残ったのが派閥のエゴだけではあまりにも情けないのではなかろうか。

(西山)…沖縄返還交渉というのは、実は基地の自由使用という米国の絶対的条件をのんだ交渉だった、ということです。国の形まで変えるようなものだったという。それが本質ですよ。沖縄返還の。(p186)

何かが変わる時、少しでも国益を上げるために努力するのが外交だと思うが、佐藤首相のアタマの中には何があったのだろう。アタマの中に国民の姿、沖縄の人々の姿はあったのだろうか。
そして、その結果が現在の日本の基地のあり様となっている。かくて日本列島は不沈空母となったのである。

(西山)沖縄返還で日米安保が大きく変質した。在日米軍は日本や極東の平和と安全のためのみにあるのではなく、米国の全世界的な軍事戦略に基づいて駐留する軍隊へと変わった。そして、その変質を公認したことが、今に至る対米従属、日米軍事共同体化を促進する起点になっていると見るべきでしょう。(p188)

アメリカの世界戦略は明らかに縮小に進んでいると思う。それがオバマが防衛線をグアムまで下げると言ったとき日本が大騒ぎしなければならなかったのか。
結局、国防利権で日本の政治は動いている。

(西山)沖縄返還が本当に沖縄の人たちのためになったのかという根本的疑念と、政権末期の佐藤の横暴さに対する怒りがあったね。そもそも沖縄返還とは何だったのか。「本土並みの返還」とか「史上初めて領土が無償で帰ってくる」とか、時に政権が再三アピールしてきたことが本当に実現したのか。とんでもない。沖縄の米軍基地はほとんど縮小されることなく、米国防省が自在に指揮できる国際戦略基地と化し、無償どころか35年も植民地支配してきた韓国に対する日韓条約での無償資金3億ドルの倍以上の金を払い、密約まで結んだのが実態ではないか、と。
(佐高)佐藤個人への怒りもあった。
(西山)当時の佐藤政権は末期なのに権柄づく、絶対権力化していました。大平が「佐藤が政権を占拠している」と嘆いたことは前にも話しました。(p203-204)

本来であれば、西山さんが密約を暴いた時、メディアや国民は驚き大騒ぎをするべきであった。それをしなかったために沖縄や日本の現状が固定化されてしまった。
本来は駐日米軍だけの利権であるべきものが、日本の基地利権と結びついてどうにも動かしがたいような状況になってしまった。
われわれは、いつまでもこんな状況を続けなければならないのだろうか?


西山太吉・佐高信「西山太吉 最後の告白」その1



今年2月に元毎日新聞記者の西山太吉さんが亡くなられた。
沖縄返還時の日米密約をスクープしたが、検察はその偉業を「女性事務官と『情を通じて』機密文書を入手した」という変な言いがかりをつけて、うやむやにした。
いかにも検察らしい卑怯な作戦だが、国民はまんまと騙され、密約の存在の問題性を忘れてしまった。
それにしても今のマスコミ記者のへっぴり腰を思うと、西山さんの勇気を学びたい。

(西山)しかし、もうああいう政治家は出ないね。田中角栄、大平正芳二人ともに。田中、大平ラインというのは、日本の夜明けだったな。日中国交正常化をやりましたけど、すべてが明るいでしょう。信頼が置けるし、包容力があるでしょう。広範な活動力もあるでしょう、ああいうバイタリティーのある広い行動半径を持った政治家はいませんよ。(p110)

西山さんは、田名角栄と宏池会の大ファン。それにしても今の宏池会から出た岸田首相の姿は本当に残念なことだ。
政治家、記者ともに失った精神は大きい。果たして日本に夜明けはあるのか。

(西山)これほど仲の良い政治家がいるのかと思うぐらい、ほんとに仲が良い。というのは、お互いの足らないところを相手が全部持っていた。角栄にないものは大平が全部持ってる。大平にないものは田中角栄が全部持ってる。これがきれいに合うんですよ。足らないところを相互に補う、けん引し合うんですよね。お互いに和合する。そして、その間にすごい親友の関係が生まれる。友情が生まれる、私は政治家というのは絶えず闘争関係で、一皮剥けば親しいようで親しくない面があると思っていた。ところが、この二人だけは表裏一体、どこを探しても一体だった。(p117-118)

戦後政治家で田中角栄と大平正芳だけが唯一(鳩山由紀夫もそうだったが)アメリカからの真の独立を目指した人だった。そしてある程度それが可能だったのは、二人の信頼関係と協力があったからだ。
しかし、田中はその後キッシンジャー(この人も今年亡くなった)の猛烈な反撃を食らって沈没したし、大平も自民党内の抗争の末、心労でこの世を去った。日本は惜しい政治家を失った。

(西山)角さんは自分で考えて行動するのが基本だった。日米同盟が絶対という枠組みにとらわれなかったから、ある意味で米国側には怖い存在だった。大平は角栄を「天才」ではなく「奇才」と評しました。私は二人の同盟こそが政治の芸術だと思ったね。学識とはバランス感覚の大平、決断と実行力の角栄、見事なコンビでした。(p119)

大平は哲学を愛する内省的な性格だったというが、そういう政治家が少なくなって残念だ。

(佐高)私は石橋湛山という政治家も米国に追われたと思っているんです。吉田政権の蔵相を務めた際に、対GHQへの放漫予算に批判的で容赦しなかった。あのリベラルとずっと戦争に反対してきた人物が一時パージされたんですよ。米国は湛山の容共的スタンスが怖かったと私は見ています。
(西山)いやもう、湛山の話はやめてください。あんまりにも惜しいから。私はもう涙が出るね。首相在任わずか2ケ月ですよ。(p120)

大戦中もジャーナリストとしての矜持を維持し、戦後は満を持して総理に就任したものの、(アメリカの圧力があったかどうかはわからないが)65日で辞任は惜しい。
その後が岸信介であったことは確かにアメリカの力が日本政界に及んでいたことは十分に推察される。その後の、統一教会との関係、安倍晋三の政治姿勢を考えると、背筋が冷える気がする。
しかし、その後の田中と大平の巻き返しがあったものの、現在では岸的な政治の流れが強まっているのは残念なことだ(宏池会の岸田まで巻き込まれている)。

(西山)あの兄弟(岸、佐藤)の特徴は教条主義、法律至上主義というか、すべてをあらかじめ細かい約束事で縛ろうとする。力のある側はその方がいい。しかし、弱者はそれによって骨の髄まで抜かれる。しかも、国益を害する不公平な約束は、国民の前に見せず、密約扱いにしてしまう。教条的支配というものが、そうさせているわけです。対して宏池会は違う。あらかじめ縛らないダイナミズム、流動性を重視する。自分たちの意思を相手方に伝え、相手方の意思を受け止め、相互に説得し、相互に理解する。その徹底した相互作用の仲から政治を生み出すという手法です。(p167)

岸や佐藤は、アメリカとの密約を破って捨てたという。ところがアメリカ側では契約として残っているから後に公開されてやっと明るみになる。お粗末なお話だ。

(佐高)その金科玉条で自らを縛ったことが、結果的に秘密主義と一体になる。
(西山)どうしても無理が生じる。できるかできないか分からないことを無理やり一定の期間内にやろうというんですから、必ず無理が出る。その無理は秘密を生むし、密約になるんですよ。(p176)

学ぶべきことだ。
私も、自分の生活の上で人と約束してことを守るために、まわりの人にこういう約束をしたんなんてことを口外したりするが、それで自分が約束を破ることを防止しているつもりなのだ。

佐藤栄作は後にノーベル平和賞を貰ったわけだが、そんな汚れた密約を結びながら汚れた栄誉を受けているという認識はあったのだろうか。
死ぬときに「しまった」と思ったかどうか、知りたいものだ。


パウル・ティリッヒ「生きる勇気」その7完

真の宗教においては世間の基準が当てはまらないことが多々ある。例えば親鸞の言う悪人正機なども同じことである。まわりから善人と呼ばれている人が阿弥陀の目からみれば偽善者であり最も弥陀の本願から遠いということが起こりうるのである。

生きる勇気 (平凡社ライブラリー)
パウル ティリッヒ
平凡社
1995-06-12


「不義なる者が義とされる」というルターの言葉、あるいはそれをより近代的な言葉でいえば、「受け容れられない者が受け容れられる」ということだが、このような言葉において、罪責と断罪の不安に対する勝利が含蓄ゆたかに表現されているのである。(p248-249)

これは、パウロの「人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」(ガラテヤ2:16)と同じ消息であろう。世間常識に真正面から対立するのが宗教の本質なのだ。
これも、キリスト教と仏教の共通の根っ子だと思う。

しかし、日本ではしばしば、宗教界がその根本を忘れ世間常識(特に権力)の前にひれ伏す。これは戦前の日本の宗教界が戦争遂行に旗を振ったことを思い出すだけでわかる。
宗教界だけではなく現在の日本の状況を鑑みるに、これほど世間常識が人間を苦しめている国というか社会はないだろう。学校のイジメに始まり、日本社会の隅々まで張り巡らされた古い体制を維持するためのハラスメントのシステムを見れば一目瞭然である。

われわれが生き残るためには、このようなまやかしに騙されないように注意を怠らないことである。

何せ、他者によって自己が立ち上がるというメカニズム上しかたないのだが、

人間は人格と人格とのかかわりのなかに受け容れられるのでない限り、どうしても自己を受け容れることはできないのである。(p251)

ティリッヒは、そう言うが、周りの人格がどうしようもないものだったらどうすれば良いか。それはダイレクトに「天(あるいは神、仏…)」につながることである。アタマは世間の基準に流されやすい。だから常に腹からの声(gut feeling)に耳を傾けていることである。

この消息をティリッヒは、「信仰」の一つの表現としての「生きる勇気」という言葉を提唱する。

生きる勇気とは<信仰>の一つの表現であって、<信仰>が何を意味しているかは、生きる勇気を通して解明されなければならないのである。(p260)

すなわち、信仰は「腹(gut)」の声を聞くところにある。これは、瞑想や坐禅にも関連している。

信仰とは、日常的経験を越えている何ものかを実存的に受け容れることなのである。(p261)

つまり「天の声を聞く」ことは「腹を通して聞く」ということになる。

人間のもつ生命力とは、その意味志向性に応じて強くなる。無意味性の深淵に耐えうる生命力とは、意味の崩壊のなかにひそむ隠された意味を知っているからでなければならない、と。(p268)

知性は脳(アタマ)を通じてなされるが、生命は腹(腸)を通じてやってくる。生命力は知性によっても強められるにしても、いかんせん知性は本源的に弱い存在である。状況によって意味が失われる時、知性は衝撃を受け吹っ飛んでしまう。そのような危機の中でも、活き活きと活動し続けるのが、「生命」なのである。

そして、ティリッヒは、究極的結論に達する。

<神を越える神>の経験に根差すところの生きる勇気は、そのなかで全体の部分として生きる勇気と個人として生きる勇気の両方を超越して統合する。それは参与における自己の喪失と、個人化における世界の喪失という二つの喪失をまぬかれる。神を越える神を容認することは、われわれをして、それ自体何の部分もないものの一部分とならしめるのではなく、全体の根底の一部分とならしめるのである。(p283-284)

として、キリスト教の枠をはるかに超えてしまっている。このような考えは仏教でしかとらえることはできないと思うのである。

パウル・ティリッヒ「生きる勇気」その6

ティリッヒは、キリスト教神学者であるにもかかわらず、神の存在よりも自分とか実存の重要性を説いている。なぜ、これで神学者と呼べるのか、理解に苦しむ。

生きる勇気 (平凡社ライブラリー)
パウル ティリッヒ
平凡社
1995-06-12


われわれはわれわれ自身であらねばならない。われわれは、どこへ行くべきか、自ら決定しなければならない。われわれの良心とは、われわれをわれわれ自身であるべく呼びかえす声なのである。良心は、何も具体的なことは語らない。それは神の声でもなければ、永遠的諸原理の承認でみない。それはわれわれを、平均的人間の行動から、毎日のおしゃべりから、平凡なきまりきった状態から、あるいはそこではただ全体の部分となる勇気しか残されていないような体制への組み込みから、われわれ自身へと呼び戻すのである。(p225-226)

これは哲学の言葉で言えば、「当為」ということなのではなかろうか。自分が自分であることに引き戻す力。ティリッヒは、このことを「神の声」とは呼ばない。
神学者なら当然「神の声」と言うべきであろう。
また、それを「全体の部分となる勇気」だと言うとは、いよいよこの人は仏教徒じゃないかのか、と思っても仕方ないのではないだろうか。

無意味性に対しそのあらゆる局面において対決しうる者とは、その有限性や罪責の不安を決断をもって自分自身へとひき受ける人びとだけである。(p226)

人生の無意味を問いかけたのはブッダであった。ブッダの行動も結局、「有限性や罪責の不安」を自分自身へと引き受けるという「賭け」に出た人ではなかっただろうか。

私はとりわけサルトルの「人間の本質とはその実存である」という命題を指摘したい。この命題は、実存主義の全貌を照らし出すような閃光である。これはすべての実存主義的文献のなかで、最も絶望的な、そして最も勇気ある命題であると思う。これがいわんとしていることは、人間は自ら欲するとことのものになりうるということ以外に、人間の本質的な本性なるものは存在しない、ということである。人間は、人間とは何であるかその<何>を、創造するのである。人間は創造性をあらかじめ規定するようなものは何も、人間には与えられていない。人間存在の本質つまり人間とは何であるべきかということは、彼が発見するものではなく発明するものなのである。人間とは、彼が自ら創り出すところのものである。そして人間の自己自身であろうとする存在への勇気とは、人間が自ら欲するところのものになっていこうとする勇気なのである。(p227-228)

ここに「実存主義」の本質が記述されている。全体の部分としての人間は、常に創造することを運命づけられている。しかし、その部分に本質はない。あくまでも、瞬間瞬間に創造するだけである。それが生命の使命なのである。
特に人間には意識というものが備わっているために(あるいは意識自体も人間によって創造されたものかもしれない)時々刻々その創造を自覚することができるのだ。
全体の部分となって創造し続ける勇気を持つ(賭ける)ということが人生ということになるのである。

勇気とは、「それにもかかわらず」を内にもった自己肯定なのであり、そして個人として生きる勇気とは、自己を一個の個的自己として肯定するところの自己肯定なのである。しかしそこにこういう問いが出てくるのである。自己自身を肯定するところのその「自己」とは一体いかなる自己であるか、という問いである。(p230)

不思議なもので、「自己とは何か?」という問いには答えがない。しかし人間には常にこのことを問われることが義務付けられている。なぜならば、自分は相対性によってはじめて立ち上がるものだからである。
いわゆる「目で目は見られない」である。「それにもかかわらず」われわれは、「自分」を問い「肯定(賭け)」続けるのである。

勇気とは、存在が無にあらがって自己を肯定することである。それは個人的自己の行為である。個人的自己は、勇気において、あるいは包括的全体の部分としてその自己を肯定することにより、あるいは個人的な自己として自己を肯定することにより、無の不安を自己自身へとひき受けるのである。勇気は、常に無の脅かしのもとにある、したがって常に冒険をそのなかに含んでいる。たといそれが自己を喪失し諸事物のなかの一つとなるような冒険であれ、あるいは空虚な自己中心的諸関係のなかに世界が解消されていくような冒険であれ、勇気はそういった冒険をそのなかに含んでいるのである。勇気は、つまり運命と死の不安において経験され、あるいは空虚と無意味の不安において現出し、あるいは罪責と断罪の不安のなかで作用するところの「無」をば、超克するような力を必要としている。(p235-236)

他者によってしか成り立たない「自分」を受け入れる勇気。受け入れることができなければ「無」に落ち込んでしなうような輪郭の人間であることを思うと、そんなところに「勇気」なんて持つことはできないじゃないかと思うが、そうしなければ生きることができないのだ。
ひょっとしたらブッダもそんなことを考えていたのではないかしら。
キリスト教神学者がそんなことを教えてくれているように思う。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
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「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
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