先日、たまたま出会った動画に感心したので書き留めておきます。
有名な心理学者の加藤諦三さんの講演です。
最初にハーヴァード大学のエレン・ランガー教授の研究結果が紹介される。
ランガーは高齢者施設の中の人を見ていると元気な人とそうでない人がいることに興味を持ち、その要因を分析した。
その結果、元気な人は子どもの頃に年寄りのいる家庭にいた人は高齢になっても元気である傾向があることが分かった。一方、元気のない老人は子ども時代(思春期以前)に高齢者と生活した経験がないことが判明した。
どうやら、分析として子ども時代に老人と一緒に生活していると老人に対する敬意をもつ機会となり、年寄りになることに不安をもたず、むしろ成熟に対する期待を持つようになるらしい。
これには自分の経験に照らしてその通りだと思った。
私は、祖母のいる家に生まれ、祖母が死ぬまで近しく生活した。
その結果かどうか、若い頃(特に高校時代)には「年寄り臭い」と言われたもんだが、中年になってくると同年齢と比べて若く見られるようになった。
また、私は老いることにあまり不安を持つことはなく、「成熟」という言葉にはいつも惹かれる。
ただ、この話は老人と生活したかどうかの話に留まらない。
「事実」と「思い(解釈)」の問題に迫る。
「年を取る」ということは「事実」だが、それを「老いる、劣化」と感じるか「成熟、完成に向かう」と解釈するのはその人それぞれの「解釈」にかかっているということであるということが指摘される。
たとえば、容器に6割方残ったウィスキーを、これだけ「しか」ない、というのとこれだけ「も」ある、と思うのは各人の「解釈」に任されている。これを他者の判断に任せてはいけない。
自分で良い方向に解釈すれば幸福は常にあなたのものとなる。
ここまでの話を聞いて気づいたのがシャカの「四苦」である。「四苦=生老病死」が苦であることに気づいたシャカはこの苦から離脱することを求めて出家・修行しついに「縁起の理」に到達する。
しかし、人間の存在自体が「苦」であるというシャカの解釈は幸福への高いハードルとなっているのも確かだ。
そこで生まれたのが大乗仏教の「空」なのだ。
「空」の本質こそまさに「事実」は「空」で人間の解釈が「色」であることを見抜いたわけです。
加藤先生の言われていることは、まさにこの「空」思想の解説となっているのです。