日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

悩み・苦しみ

無色に色をつける

先日、たまたま出会った動画に感心したので書き留めておきます。



有名な心理学者の加藤諦三さんの講演です。

最初にハーヴァード大学のエレン・ランガー教授の研究結果が紹介される。

ランガーは高齢者施設の中の人を見ていると元気な人とそうでない人がいることに興味を持ち、その要因を分析した。

その結果、元気な人は子どもの頃に年寄りのいる家庭にいた人は高齢になっても元気である傾向があることが分かった。一方、元気のない老人は子ども時代(思春期以前)に高齢者と生活した経験がないことが判明した。

どうやら、分析として子ども時代に老人と一緒に生活していると老人に対する敬意をもつ機会となり、年寄りになることに不安をもたず、むしろ成熟に対する期待を持つようになるらしい。

これには自分の経験に照らしてその通りだと思った。
私は、祖母のいる家に生まれ、祖母が死ぬまで近しく生活した。
その結果かどうか、若い頃(特に高校時代)には「年寄り臭い」と言われたもんだが、中年になってくると同年齢と比べて若く見られるようになった。
また、私は老いることにあまり不安を持つことはなく、「成熟」という言葉にはいつも惹かれる。

ただ、この話は老人と生活したかどうかの話に留まらない。
「事実」と「思い(解釈)」の問題に迫る。

「年を取る」ということは「事実」だが、それを「老いる、劣化」と感じるか「成熟、完成に向かう」と解釈するのはその人それぞれの「解釈」にかかっているということであるということが指摘される。

たとえば、容器に6割方残ったウィスキーを、これだけ「しか」ない、というのとこれだけ「も」ある、と思うのは各人の「解釈」に任されている。これを他者の判断に任せてはいけない。
自分で良い方向に解釈すれば幸福は常にあなたのものとなる。

ここまでの話を聞いて気づいたのがシャカの「四苦」である。「四苦=生老病死」が苦であることに気づいたシャカはこの苦から離脱することを求めて出家・修行しついに「縁起の理」に到達する。
しかし、人間の存在自体が「苦」であるというシャカの解釈は幸福への高いハードルとなっているのも確かだ。

そこで生まれたのが大乗仏教の「空」なのだ。
「空」の本質こそまさに「事実」は「空」で人間の解釈が「色」であることを見抜いたわけです。

加藤先生の言われていることは、まさにこの「空」思想の解説となっているのです。

不安の時代

現代社会とは、不安の時代だということができるように思う。
3年越しのコロナ禍、ウクライナ戦争の勃発と勢力の不安定化…何やらこれから先、大きな変動が起きるのではないかという予感のようなものからの不安だと言えるかもしれない。

しかし、それほど明確な危機が迫っているようにも思えない。人類は2度の世界大戦という変動も乗り越えてきたし…という気分もある。

しかし、何となく不安なのである。

思えば、このような近代の不安が最初に発生したのは、やはり「神が死んでから」だと思う。
神の死からしばらくして未曾有の第一次世界大戦が発生し、収束して世界の勢力図が書き換えられ、まだ不安定な状況の時代に第一次世界大戦の収束手段が原因となって第二次世界大戦が発生する。

この大戦間に生まれた思想が「実存主義」だった。

「T(Topos:場所、論題)はxである」は論理主義。
「xが(Tにおいて)ある」と直感し、その実感を修辞法によって説得することを重視する立場。事実主義
…先の世界大戦前後の不安な世相の中で、本質(essence)よりは実存(existence)の方が先「…であり、xがある」ということが優先されるべきだという主張が起こりますと、それが実存主義となって流行したことであります。(袴谷憲昭「法然と明恵」p208)

大戦間の実存的不安は第二次世界大戦という火事場で打ち消され、戦後は復興という火事場でゆっくり不安を味わう間もなかった。「火事場(あるいはお祭り)」こそ人間が不安に目を向けずに生き生きできる場所なのだ。

同時に「実存的不安」は、東西冷戦という「架空の物語」で置き換えられ、自分の心の中の不安から目を逸らされてきた。

その東西冷戦という物語は東勢の自滅によりあっけなく潰え「IT革命+グローバリズム」という新しい火事場が世界を席巻した。
しかし、その火事場も「トランプ大統領」「イギリスのブレグジット」で終焉を迎えた。
今回のプーチンのウクライナ侵攻も「20世紀への先祖帰り」という同じ文脈で読むべきなのかもしれない。

今やわれわれは全く先の読めない時代にいる。まさに大戦間にも匹敵する時代と言えるだろう。われわれは、まさに実存的不安に襲われて当然と言える時代に生きているのだ。

こういう時には実存的不安に悩むのが人間としては正しいと思う。
こういう実存的不安に有効なのがまさに仏教なのである。だってブッダ自身が2千数百年前に実存的不安に襲われ、解決法を見いだした人だったのだから。



現在という不安の時代、ブッダに助けを求めるに如くはなしである。

しかし一方で、日本の仏教界は総倒れということで自分で「本当の仏教」を探るしかないという今の私の現状に到達することになるのである。

不安との向き合い方

先日もYouTubeを見ていて、養老孟司さんの講演を聞いていて私の経験と同じことだと思って膝を打ちました。動画タイトルは「不安との向き合い方」です。



まず第一に「不安を感じるのは当たり前」であるという真理を受け入れていない人が不安を感じる。そのことに気づかないといけない。

これは私が母にいつも言っていることだ。
母「眠れない」
私「眠れないで死んだ人はいない」

母「血圧が高いのでフラフラする」
私「血圧が高いというだけで死んだ人はいない」

母「湿疹が痒くてたまらない」
私「あんたは痒いところをかくから治らない。辛抱しときなさい」…

てな、調子ですが母はいつも不安が頂点に達し、クリニックに駆け込む。先生に優しくしてもらって薬をもらって安心している。実に愚かなことだと思う。

また、母は自分の境涯が不幸であるということを言い続けているが、自分では何も行動しない。何か「幸福」というものが降りてくると勘違いしているのだろう。

養老先生のこの動画の5分35秒からの「組織の壁を消すために」という話に回答がある。

組織の中で不安をかかえると壁を立てて壁の外に問題があると言い立てて自分を守ろうとする。しかし、そういうことをすると壁の外とケンカになる。
養老先生も奥さんとの関係で壁を立ててケンカばかりしていた。ところが相手を直す労力の大きさに気づき、自分を直すことにした。自分のことを直すのには1文もかからない。
考えてみれば自分を変えられないようで他人を変えようとする自分の僭越に気づかなければなりません。

本当に養老先生はいいことを教えてくれます。しかし、母にこの動画を見せても「フン」で終わるということは明らか。母を変えようなどという僭越なことはあきらめてしっかり自分を変えることに努めることです。

高橋源一郎「誰にも相談できません」

高橋源一郎さんの本は、小説は読んでいないもののいろいろな媒体では知っていたので普通のおじさんかと思っていたが、壮絶な人生を歩んできた人なのであった。
この本を読んで、波風の少ない人生を送った私も、荒波を生き残った高橋さんも同じようなことを考えているんだということに気づけた。

「別れた男は、道に落ちてる小石と同じね。目に入っても何も感じないわ」(p31「夫を愛しているが、別れた彼が気になり」)

これは実際に高橋さんが付き合ったことがある女性の発言。男性は切り替え自在な女性に学ばなければならない。

わたしは、恋愛が素敵なのは、「新しい(もしくは、未知の)自分を知ることができる」ところだと思っています。(p39「彼がいるに目移りするなんて変ですか?」)

恋愛経験はないに等しい私としては新鮮な言葉ですが、この言葉の中の「恋愛」を他の言葉に変えても有効であることが分かります。

母が決然と家を出て、ひとりぼっちになった後、家事など一切したことがなかった父は、やがて、すべての家事をこなせるようになりました。ひとりで生きることができる人間になったのです。ふたりで暮らすためには、どちらもひとりで生きることができる人間でなければなりません。(p65「70歳の夫、同居がつらい」)

これは高橋さんのお父さんの話ですが、私も定年して年金生活に入ってまったく同感で実践しています。

親子でも、兄弟でも、ほんとうのことは理解することができないのです。(p77「家族って何ですか」)

「他者のことを分かっていると思う」幻想ほどやっかいに有害なものはありません。

子どもにとって最後の仕事は、子どもに戻った自分の親に対して、その親になることのような気がします。(p89「父の不貞を恨む母の暴走が止まらない」)

これは自覚しているがなかなか相手があることなので難しい。親はいつまでも「お前は私の子どもだ」という所有の幻想から逃れることができない。

親の仕事は、子どもを育てることです。そして、その最期の仕事は、自立させることなのです。つまり、子どもを親から離れさすことですね。そこまでやって仕事は完了です。(p92-93「姉ばかり手助けしていると不満を言う次女」)

最近やけに母親と娘の癒着が目につくようになってきましたが、ああいう関係は最終的にどうなるのだろうか。母と娘が絡み合って沈没するような姿は見たくない。

不幸や不運は誰にでもやってきます。そのとき、慌てふためき、恐れおののく者たちは、さらに不幸や不運の餌食になるのだと思います。(p99「家族に不幸が続き怖い」)

いかなる現実に対しても「怒らず、恐れず、悲しまず」で対応したいものです。

他人にどのように生きるべきかを指図する権利は、誰にもありません。(p111「次女の考えが理解できない」)

真理なのですが、現実には自分が産んだ子どもだから私の指示に従うべきだと思う親の何と多いことか。

確かに、姑は他人の思いを想像することができない視野の狭い人なのかもしれない。でも、わたしたちはみんな、自分の狭いとそこでの経験から逃れることができないのです。(p125「姑が夫婦に容赦なく口出し」)

姑の行動を変えることはできないが、自分の行動を変えることはできる。

いま、わたしには「友だち」といえる存在は数人です。彼らとは会う必要さえありません。わたしにとって「友だち」は、お互いの「孤独」を理解し合える者のことだからです。逆にいうなら、「孤独」を共有できない相手は、「友だち」ではなくただの「知人」にすぎません。(p155「友だちを作らない息子。見ていて切ない」)

「孤独を理解しあえる者」。何といい言葉だろうか。

世間並みの苦労をしたからといって幸せになるとは決まっていません。(p169「厳しさ知らぬ甥の将来心配」)

日本にはやたら苦労して成功する物語が好きだ。それほど成功が必要か?それより自分の幸福を考えるほうがいい。それなら達成可能だ。

多くの場合、「大人」たちは、「情熱を持っていた、若い頃の自分」をすっかり忘れてしなっていたのでした。
 経験も知識も大切です。もちろん、変わってゆくことも。けれども、もっと大切なのは、いまのあなたの中にある「若さと情熱」を失わないことです。(p183「問題先送りする大人に憤り」)

私も三十何年勤めた会社ではたくさんの素晴らしい先輩に会ってきた。しかし、彼らが年を取るにつれ薄汚れてしまった姿を見て失望した。自分はそうならないようにと努めてきたつもりだったが、どうだったろう。これからの私の人生が自分自身に問われているような気がする。

「恥ずかしさ」は、誰もが自分の中に持っている、厳しい「批評」の声です。あなたを導く「先生」は、実意はあなた自身の中にいるのです。(p185「自分の文章が恥ずかしい」)

いい指摘です。自分の中の先生、よろしくお願いします。

妻は夫に支配されてはならない。子どもは親に支配されてはならない。国民は権力者に支配されてはならない。人は、自分自身の支配者でなければなりません。(p187「進学の機会を逃しニートに」)

今の日本人にもっとも必要な言葉かもしれません。今の日本はお互いが足の引っ張り合いをして沈没しかかっている。

…人はなぜひこもるのか。それは「建前」ばかりの社会の裏が見えてしまって、そんなところにいたくないからなのだ。人は何者かであるためには、孤独に自分と向かい合う「ひとりの時間」を必要とする。けれども、社会が人に与えるのは、こまぎれの時間だけで、考える時間を与えようとはしない。「ひきこもり」の時間は、人がいのちがけで獲得した「成熟」のための時間なのだ…。(p189「14年間ひきこもりの自分が嫌」)

これほど「引きこもり」をポジティブに表現した言葉を聞いたことがない。しかし、それにしても挫折もせず引きこもりもせず、自分に向き合うこともなかった人というのはどういう人生の結末を迎えるのだろうか。

努力して報われなくても、やっぱりやりたい。そいうものを見つけてください。それ以外はどうでもいいじゃないですか。(p209「努力が報われずトラウマに」)

悩める人々への最大のアドバイスだ。
高橋さんのように波乱万丈の人生を送った人の言葉だけに重みがある。

汝ら、天地一切のものと和解せよ

ブッダは人生は苦であると喝破しました(四苦八苦)。
つまり仏教は人生が苦であり、それから逃れるにはどうすれば良いかというところからスタートしたのでした。

実際、自分自身の人生を振り返ってみれば、悩みや苦しみに満ちていたことが分かります。しかし、そのような悩み苦しみがあったからこそ、真の仏教に出会い真理に出会うことができたのだと思います。

大乗仏教ではその真理を「色即是空」と「不生不滅」であると究明しました。仏教の長い歴史の末にたどり着いた真理を知ったわれわれは、ただそれを実践していればいいだけなのです。

悩み、苦しみの原因は、自他を分けるという意識の働きから生じます。自他を分け自分の存在を絶対的な実在するものであると信じるところから、他者と比較し悩み苦しみを自分で作り出します。

しかし、そのような自他分離が絶対的なものではなく絶対的な存在からの光の影であることに気づいたら、分離した他者と和解できるのです。

タイトルの言葉は谷口雅春さんの言葉ですが、神からの啓示であるのです。

今日一日、天地一切のものと和解し宇宙と一体になったつもりで生活してみましょう。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
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「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

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