今、ナンシー関さんのコラムを読むと、本当にすごい勇気があった人だと思う。
今もしこんなことを書いたらSNSで炎上続きでちょっと怖い。
こんなことを書いてもスルーされていた時代がなつかしい。
ワイドショーを中心とする結婚報道番組は「めでたいの無礼講」とでも言うべき乱雑さである。おめでたければ何でもあり、めでたいんだからしょうがねえだろうというオラオラ状態。「全国民のよろこび」という錦の御旗のもとに、大きくカン違いした「報道の義務」を遂行せんと、洗足の商店街しらみつぶしで雅子さんの足のサイズまで調べあげる。…
ワイドショーや特別番組に雁首揃えてならんでいる司会者やコメンテーターは安心しきって弛緩した顔をしている。「おめでとう」しか許されないところに「おめでとう」しか言うつもりのない人がいるのだ。そこは絶対安全地帯である。そんなしたり顔されたんじゃなあ、としらけてしまうのが人情と思いきや、テレビは自分たちと同じ場所にいる国民がこんなにいっぱい、ということを喧伝する…
「おめでたい」は全てをOKにする万能のフィルターではない。おめでたければ何でもありはもちろん間違いだ、でも見てるうちに「こいつら本当に腹の底からそうとしか思ってないかもしれない」と思えてくる。…(「御成婚報道の「オラオラ状態」p180)
前皇太子と雅子さんの成婚後の報道ぶりについてだ。
私は知らないが現上皇ご夫妻のご成婚の際も同じような調子だったらしい。
何十年経っても日本のメディアは変わらない。
しかし、メディアがこのような行動を取るのは、日本の国民がこのようなメディアの行動を喜ぶを信じて疑わないという結果だろう。
かくして、日本国民も喜んだのである。
ところが、実際に結婚して生活が始まると、2回とも同じような苦難が待ち受けていたことが実証されている。
このような結果が待ち受けていることを知っていたかのようなナンシーの慧眼はいったいどこから来ていたのだろうか。
2人(山田邦子と武田鉄矢)に共通する、私が特に嫌に思う点は、芸能界にどのように居座るかで生きている点だ。わかりやすく云うと、自分は誰と仲が良いとか、こないだ誰と飲みに行ってどうこうとか、そういうことがアイデンティティになっているということである。(「好感度の怪。」p185)
ナンシーに言われないと分からないかもしれないが、きっとそうだったのだろう。
言われてみれば確かにお二人には似たアイデンティティを感じる。
しかし、それだけでお二人とも現在まで芸能界で健在なのだろうか。その後の成長なり変化があったかどうか、ナンシーに検証してほしいが代る人がいないので誰も言ってくれない。
好きな人の顔だからといってきれいに描いたり、嫌いだからといって汚く描いたりしてはいけないのである。冷静に「似せる」ことを目指す。これが私のポリシーである。
しかし、目鼻立ちがどうであるということ以前に、もうその人が漂わせている「感じ」は「似せる」ために要素として何とか画面に織り込みたいのであるが、これが難しい。(「泉ピン子のイヤな感じを描く」p192)
似顔絵に対する素晴らしいポリシーである。
そのポリシーが人の「品格」を見事に浮かび上がらせているのだと思う。
この人の慧眼には改めて感心する。
道徳や社会規範を訴えるという「正義」の威を借りれば何でも出来る。前田吟を飛ばせることなど朝メシ前ということなのだ。札束で横面をはたくよりも「正義」で責めたほうが強い。正義という錦の御旗を持った公共広告機構と政府広告がその気になったら怖いぞ。「高倉健、自然保護のためと説得されてケツを出す」とかな。「おそるべし「公共広告機構」と「政府広報」p215)
資本主義の価値観は「お金」だけだが、国家の価値観は表向き「正義」であり、社会全体とすれば「正義」に勝てるものは何もあるまい。
そのおかげで国家が世界戦争を起こし多くの人を殺し都市を破壊しても誰も責任を取らずに済む。
「台湾ってのは女のコが行っても楽しいのかねえ」「わたしも台湾は4回ぐらい行ってるんだけど、男の場合は空港からいい所にバスでそのまま連れて行かれるんだな」と、台湾旅行の王道を、臆することなく心底楽しそうにしゃべるおじさん(タクシー運転手)を見ていると、私の台湾旅行は何だったのかという気さえした。
台湾はおやじ天国だ。(「おやじのパラダイス台湾」p269)
ところがその後、台湾は民主化に成功し、人権意識でも経済的にも日本をはるかに追い越してしまった。
置いてきぼりの日本は未だに見えない封建制の元、奴隷(社畜)労働、売春(パパ活)公認の社会を維持している。
人間、考えてみれば結構なことをする時だってわりと淡々としているものである。ドラマや映画の過剰なサービスに慣らされて、一般人まで社会生活を劇的なものと勘違いしかけている今日、「真夜中の虹」によって反省させられるのもいいかもしれない。毎日の生活を、松村雄基を気取ってドタバタ生きている暑苦しい人というのは不思議に実在したりするものだが、そんな人にはぜひ見せたい。(「「真夜中の虹」を見て劇的な日常を反省しよう」p272)
珍しく評価したドラマらしい。
残念ながら全くドラマを見ることがないので何ともいいよういがないが、一度しかない人生ドタバタするのは見苦しいし、自分自身にとっても得るところがない。