日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2022年07月

自宅の照明清掃

毎週、土曜日は午前中に自宅に戻り、少しずつ家の用事を片付けている。
私は普通、年末の大掃除でやるような仕事を暖かい時期にやるようにしている。最も典型的なのはレンジフードの掃除や汚水管の掃除。
寒い時期には汚れが落ちにくいが暖かい時期にやると作業も大変だし汚れが落ちにくい。
今年は汚水管は5月、レンジフードも7月上旬に終わった。
残りは、フローリングのワックスがけと障子の張替えぐらいだが、これはできれば秋の清々しい時期にやりたい。

じゃあ、どうしようと思っていたら、照明の掃除を最近やったことがない。昨日(7月30日)の土曜日の自宅でのお茶の後、作業を始める。
お茶の後、ジムに出かける妻を見送り、久しぶりのオーディオにハイドンのLPをかけて聴きながら作業開始。

IMG_2828

2階では納戸がおそらく蛍光灯交換以外では初めての清掃だった。カバーの取り外し方が分からなかったが思い出してクリア。結構カバーの外側が汚れていた。

長女の部屋の32ワットの蛍光灯が切れていた。この部屋は現在は私の書斎的な部屋になっているが、気づきませんでした。

2階の清掃が終わるとともにハイドンの交響曲第100番(軍隊)が終わり、裏面の101番(時計)に交換して、1階の部屋に向かう。部屋のドアが空け放しなので1階でもよく聞こえる。

1階の部屋では妻の寝室(わが家で最も広い部屋)の(これまた)32ワットの蛍光灯切れ。またリモコンが利かなくなっていた。
電池切れかと思っていたがホコリで汚れているので出力部分のレンズ部分をよく磨いてみると復旧した。

交換用の蛍光灯を求めて、コスモスに行くが高級なパナソニックしか置いていないのでコーナンに回る。コーナンではパナとNECを置いていたがパナで比べるとコーナンの方が随分高い。やはり、最近ではドラッグストアが最安が多い。いつものごとくNECを選択する。
しかし、具合の悪いことに40ワットとの組み合わせしか置いていない。32ワットが一般的に寿命が短いらしく40ワットがダブってくる。

家の戻り交換完了。

久しぶりのハイドンを聴いて振り返ってみる。

LPの音源はネット上では見つかりませんでした。代わりにワルター/コロンビアの演奏を貼り付けておきます。
交響曲第100番「軍隊」では、第2楽章のアレグレットがいいなあ。



第101番もやはり第2楽章アンダンテ。これもネット上では見つからず。モントゥー/ウィーンフィルで。この曲も「時計」の愛称の所以の楽章がお気に入り。


母と暮らす その75(訪問診療を解約)

この暑い猛暑の中、母は毎日「もうアカン」と言いながら相変わらず元気いっぱいである。
母と年齢の近い老人たちは、TAMAさんもIさんも暑さに参って家で寝ているというのに。

朝、起きてから晩ご飯を食べて寝るまで愚痴を言いながら動き続けている。
私は10時のお茶の後、家を出るときに、母には「クーラーをつけて部屋でテレビを見ときよ」と言って出ていくが、母がそのような行動を取ったためしがない。

母がクーラーを使うのは夕食時と寝るときだけである。
理由は「もったいない」である。

そんな中、月曜日に月に1回の訪問診療を受けた。
血圧が少し高いが、血液検査でも何の異常もなく、元気に動けて血色の良さを見れば健康であることは明らかである。

夜間頻尿もために先月出してもらった漢方薬もさっぱり効かない。先生は1日1回の薬を出すというが断る。そもそも尿が出ること自体が健康な証拠で病ではない。

母を見ているとあまり水分を取っていないように見えるが、ポータブルトイレの水を処理するときの量を見ると十分な水分量であると思われる。

そうこう考えていると、訪問医療は現在の母には不要と思われた。そこで、医師に解約してもらうように伝えた。

そもそも、私が母に訪問診療をすることにしたのは、終末期に家で看取るという目的のためだった。

しかし、最近の母の状況を見ていると、終末期にはまだまだ早いようだ。また、私が母を家で看取りたいというのも、「私の執着」であることに気づいた。
さらに、元気な状況でも毎日母の嫌な愚痴を聞かされるのに辟易しているのに、体調が悪くなった時の母の言動は予測しがたい。私が母のそばにいることができるかどうか、いささか心許ない。

そんなことを思っていると、最近ある本に出合った。石蔵文信さんの「親を殺したくなったら読む本」という衝撃的なタイトルの本だ。

しかし、この本を読んだら、自分は母と距離を取っているつもりだが、知らず知らず母の怨念に巻き込まれていることに気づいた。
この本に書かれていた「毒母」のありようは私の母そのものだった。
目が覚めた私は、母を家で看取るという幻想をあっさり捨てた。

何事であれこの世に「〇〇をしなければならない」ということは一つもない。その場その場で判断すればいいのだ。

自分の執着に気づいて母の看取りは病院、施設でも自宅でもいいという気持ちになった。おかげでスッカリ気分が軽くなった。

母の介護に限らずすべてのことについて、あまり先のことを考えず(取り越し苦労をせず)、目の前のできることに集中することにした。

ブレイディみかこ「THIS Is JAPAN」その4完

みかこさんに言われるまでもなくやはり、日本の社会はおかしい。
それでは、どうすればいいのだろうか?

国もあてにならない、家族の絆も壊れた、となると、残るのは相互扶助だ。動物界では、ダーウィンが唱えた「生存競争」よりも本能的な「相互扶助」が種の生き残りと進化に寄与していると言ったのはクロポトキンだが、不特定多数の「どん底の手前に人々」を抱えて少子高齢化という、傍から見ればまさに国家の生き残りをかけたピンチのように見える日本にとって、クロポトキンは今後のキーワードになるはずだ。(p221)

そうか、最後はクロポトキンの「相互扶助論」になるのか。
私も以前ブログに書きましたが、やはり最後はクロポトキンか。



日本の貧困者はあんな風に、もはや一人前の人間ではなくなったかのように力なくぽっきりと折れてしまうのは、日本人の尊厳が、つまるところ「アフォードできること(支払能力があること)」だからではないか。それは結局、欧州のように「人間はみな生まれながらにして等しく厳かなものを持っており、それを冒されない権利を(神から)与えられている」というヒューマニティの形を取ることはなかったのだ。(p224)

日本の近代化は西洋思想の直輸入だったので本当の意図が分かっていない。だから、自民党の片山さつきのような輩が出てくることになるが、これは単に片山だけでなく、自民党の党是であるようだ。

天賦人権論

「日本では権利と義務はセットとして考えられていて、国民は義務を果たしてこそ権利を得るのだということになっています」(p225)

われわれはすべて中学校で天賦人権論を学んでいるにもかかわらず、こんな無謀なことを言う人に対して黙っているのです。

日本では「アフォードできない人々」には尊厳はない。何よりも禍々しいのは、周囲の人ではなく、「払えない」本人が誰より強くそう思っていることで、その内と外からのプレッシャーで折れる人々が続出する時代の到来をリアルに予感している人々は、「希望」などというその場限りのドラッグみたいな言葉を使用できるわけがない。(p226)

アフォードとは支払うこと支払えない貧困の立場の人々の心には「自己責任」という言葉が自己規制の前提として深く根付いている。
なぜこうなっているかというと規範や教育の問題が出てくるのだろうが、それより「現実」が物を言う。

日本人がうまく人権の概念を咀嚼できないのは、教育、労働、経済に至るまで、国のシステムのなかにそれがリアルなものとして息づいていないからだという。(p227)

そうすると、われわれの日本は、これから先も変わらないということを意味するのだろうか。
しかし、これから先、ますます貧困が広がるとすればわれわれの生活はどうなるのだろうか。

もう一度原則に戻り。

人権というのは、アフォードする力(日本流「人間の尊厳」)も、コミュニケーション力(相互扶助スキル)も、すべての力を人間が失ってしまったときにそこにあってわたしたちをまるごと受け止めてくれるものなのだ。そう思えば、人権は眉間に皺を寄せて思索するものでも、ましてやそのために他者を傷つけてまで戦わねばならぬ正義のスローガンでもない。
 人権とは、わたしたち一人ひとりを楽にさせてくれるものなのだ。(p232)

確かにその通りなのだが。

エピローグで少し明るい話として「世田谷の自主保育の会「風の子」」を運営している「カトウさん」の話が紹介されている。

「日本は革命ではなく、衰退で変わると思う」
酒場で会ったある人はそう言った。ならば、おとぎの国のマインドセットも、その途上で変わっていくに違いない。カトウさんと子供たちはこの国の来たるべき変化の前にあるものを、これから変わる、いや変わるべきものを象徴してるのだ。(p251)

このまま人口減社会が続いて、日本の衰退は逃れがたいが、「風の子」のような「自己扶助」で生きていくことが現実味を帯びてきたようだ。

ブレイディみかこ「THIS Is JAPAN」その3

日本人は実に上に反発しない。これは学校教育の(暗の)目的が上に従うということになっているからではないか。
親に従う子どもや上司の言うことに従う部下が評価されたりすることが、結局長い目で見て、国力を失わせる結果となったのだ。



「実は右も左も、地域社会も、上意下達がはびこっているからだと思うんです。それと、どういう考え方をしてもいいんですけれど、はたと立ち止まって考える力がなくなっているというか…。」(中村光男、p181)

結局、上の言うことに従っていればいい、という習慣がついには自分で考えることのできない人間を生んだ、ということになった。

「集団として立ち上がるのがほぼ不可能な時代になっていますから、そんな時に(SEALsが)個として立ち上がったことは評価します。それが根を張れるかどうかは、また別の問題ですが」(中村、p187)

たしかにSEALsの運動は一時高まった。しかし、それにもかかわらず、政権はそれを無視するようにますます増長し、いろいろな経緯を踏んで安倍暗殺に至ったのだ。
この段階でわれわれは、自分の立っているところがどこかということを真剣に考えなければいけないという場所にいる。

自分とは違う階級の人々がどんな生活を送っているのか想像できない人が増えていることが、英国政治を文化の劣化を生んでいると言われるようになって久しい。
 日本の場合は、その「上」と「下」の明確な切り離しがない。混在する形で一緒に生活しているが、一歩裏道に入って周囲を散策したり、付近に立っている建物をよく観察してみなければ、高層マンションに住む人々は隣接する貧困の存在に気づかないだろう。日本では、貧者と富者が襖を閉めて同居している。(p192)

「襖」とはうまく言ったものだ。襖という紙一枚で別世界を構築できるのが日本の文化である。紙一枚で棲み分けができる日本人の文化はえらいものだと思うが襖の向こうに対する想像が欠如しているのも困ったものだ。

それにしても、日本のホームレスの方々を見て私が驚いたのはその年齢の高さだった。英国にも置いた路上生活者がいないとは言わない。が、こんなに大勢はいないし、主流ではない。英国はもっと若い男性がマジョリティで、ジンやウォッカの瓶やビールの缶を寝袋の周りに並べた人とか、見るからに目つきがドラッギーな人とか、依存症の方がやはり多い。
 しかし横浜で見たホームレスの人々は、別に酒臭い息を吐いてふらふらしているわけでも、充血した目でへらへら笑っているわけでもない。まじめにひっそりと真冬の夜の路上で寝ている高齢者のお爺ちゃんたちだった。(p199)

私の数少ないホームレスの人々との接触でも、マトモな人がそういう境遇に陥ったように見えた。私は、彼らが日本のマトモな生活の息苦しさに辟易してそのような生活を選択したのではないか、と推測している。

日本の社会運動が「原発」「反戦」「差別」にイシューに向いがちで経済問題をスルーするもと同じように、人権教育から貧困問題が抜け落ちているのではないだろうか。まるでヒューマン・ライフという崇高な概念と汚らしい金の話を混ぜるなと言わんばかりある。が、人権は神棚に置いて拝むものではない。もっと野太いものだ
 英国で人権の概念が野太く立ち上がっている理由は、やはり産業革命で労働者を「労働力=モノ」扱いにして、非人道的な貧困のディストピアをつくりだした経験に対するリアルな反省に基づいているからだ。あれは本当に人間の尊厳に対する冒とくだったと。二度と自分たちはあそこに戻ってはいけないのだと。(p209)

日本でも人間をモノ扱いしている、というのは事実だ。しかし、それが紙一枚の襖で仕切られているので実感しにくい。逆に言うと自分で自分の目を閉ざすように仕向けられている。その結果が95%の日本人が自分を中流だと思い込んでいることにつながっているのではないだろうか。

日本の生活困窮者はひっそりと静かで、今にも消え入りそうな印象だった。彼らはサバイバルするために全身の毛を逆立てて戦闘いる感じではない。日本の彼らはそう、折れてしまっている印象なのだ。(p218)

これではいつまでも体制は維持され再生産されるのは仕方がない。たまに元首相を暗殺するような「個人の怒り」が爆発するが、残念ながら正義を前面に立てるような大衆運動にはつながらない。
われわれはじつによく従うのである。


ブレイディみかこ「THIS Is JAPAN」その2

ブレイディみかこさんの日本社会分析と批判は、鋭い。

「国民が一番に望んでいるのは、ちゃんと安心して暮らせる社会保障制度の実現で、第2位が経済、景気対策なんです。…だから安保とか、戦争法案を最優先に何とかしてほしいなんて意見は本当にリストの下のほうなんです。国民が最優先しているのは、要するに暮らしなんですね。なのに、暮らしを何とかしてほしいという運動が日本にはなくて、だから安保法制も、あれは政府の思惑なんですよ。そちらに意識を向かわせて抽象論を展開しておいて、暮らし自体を見させないという思惑です。だからそちらに誘導させられてはいけないんですよね。憲法9条を守れ、戦争を起こすな、と言ってますけど、戦争をなくすのに一番有効なのは貧困をなくすことです。貧困、格差、差別、抑圧をなくすこと。戦争に行きたいと思う人たちは、自分は報われていないと思う人たちですから」(p80)

こんな意見は初めて聞いた。政府の進める「戦争ができる」法改正は目くらまし、だと言い切っている。
確かに「憲法改正」なんて今の日本社会で急いでやるような話ではない。
誰が見たって日本の一番の問題は「日々の暮らし」をよくるための具体的な方策のはずだ。
しかし、政府はその議論にもっていくことを嫌う。だから現在の日本に必要ではないような話を持ちだして目くらまししているが、われわれ国民はそれに乗ってしまっている。

その結果日本の現状は、1%の上と99%の下に分かれてしまった。

新自由主義とグローバル資本主義の結果として、もはや世界は「右」と「左」ではなく、「上」と「下」に分かれてしまった。(p83)

みかこさんはこれは世界の潮流であるという。

右派にしろ、左派にしろ、近年台頭しているムーヴメントは、ミクロで起きていることをマクロの政治に持ち込む方向性で支持を広げている。(p87)
いやそれにしても日本の現状は酷すぎる。

海外から日本を訪れる人がよく「ミステリアス」という言葉で日本で見たことを表現することがあるが、「上」と「下」や「右」と「左」の概念が平気で混然として入り混じり、そのことにあまり違和感を覚えていない日本の、どこかおっとりした気配には、私も時おり同様の言葉を思い浮かべてしまうのだった。
 閉鎖的で風通しの悪い社会である一方で、もっとオープンな国の常識でも「それはちょっとないだろう」と思うようなところでいきなり壁が打ち破られている。この唐突に覗く風穴の奇妙さは、日本滞在中ずっとわたしの心に引っかかっていた。(p133-134)

河合隼雄はこの風穴のことを「まあまあ」と言っていた。
日本社会のこの「まあまあ」で原則は吹き飛ばされ、全体が無原則になって世の中がひっくり返る。
これって、話を前に進めるためのもので裏技みたいなものだろう。しかし、これが通るうちは日本が世界の中で堂々と発言することはできないだろう。

以上のようなわけで、政府は国防費には熱心だが、教育にはまったく関心がない。それは今の政官財の上の方にいる人たちが世襲制のような1%のクラスの出であるからだろう。
相変わらず下から絞って上にポンプアップする政治をやり続ければ自分は安泰という雰囲気が漂っている。
しかし、教育に手をかけないことは将来の大きなツケとなって返ってくるだろう。

保育の仕事は政治のあり方次第でクールにも、アンクールにもなる。幼児を大人の経済活動の邪魔になる厄介者と見なす政治は、保育士をクールな職業にはできない。わたしたちの仕事をクールにできるのは、人間の脳がもっとも成長する重要な数年間を言いている小さな人々として幼児を認識し、社会全体で彼らを支え、国の将来を担う人たちのポテンシャルを最大限に伸ばすために投資する政治だ。
 未来の世代のために借金を残すべきではないと言っても、その未来の世代が存在しなくなったら国は滅亡する。日本の反緊縮運動は保育園からはじめよう。(p139)

日本では日常、政治の話をすることが嫌われる。私も妻に自分の考えを話すと「非国民」みたいな言われ方をする。みんな、政治家のことを「賤業」と思っているのだろうか。関わり合いになりたいという意思表示なのだろうか。
でも、そうして蔑視しているうちに国民が税金で雇っている人々が雇い主にとって不都合なことばかりやって日本という国を壊しかけている。

英国ならパブに行っても道端でも普通に天気の話や芸能人のゴシップ話をするように政治の話をする。(p144)

今の日本は「政治的人間」を求めている。

われわれ国民がそうしてサボっている間に、日本は帝国時代の奴隷制度を復活させてしまった。

「日本の産業界には使い捨てできる労働力が歴史的につくられてきた経緯があって、システムとして完成したのは戦時中なんです。中国、朝鮮から強制連行という形で使い捨て労働力を完成させた。それがずっと戦後まで続いてきている。これは日本の産業の大きな特色ですが、その末端に山谷や釜ヶ崎が位置づけられていて、各地に暴力団がいて、経済的な搾取だけに限定しない、非常に暴力的な支配がありあした。それに社会的排除も徹底していて、住民票が取れないとか。そうなってくると選挙権もなくなります。保険制度、医療制度からも排除されていました」(中村光男、p171)

われわれ国民はこうなっても沈黙を続けていくのだろうか。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
をご覧ください。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
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