日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2022年02月

暴力で問題は片づかない

ロシアがウクライナに軍事侵攻したものの、ロシアが想定した以上のウクライナの反撃でプーチンは苦境に立っている。

 

当初プーチン氏は、圧倒的な軍事力の前にウクライナは早々に白旗を上げると見ていたのだろう。ところがゼレンスキー大統領が率いるウクライナ国民は結束しロシア軍に反撃し、プーチンは思うにまかせない。

国際世論は全面的にロシアに批判的でロシア国内でも反戦運動が続いている。

プライドの高いプーチン氏が降り上げた拳を下すわけにもいかずこれから先どうなるか。

思えば強い武力を持つ権力者はその武力を使いたくて仕方ない。何か問題が起こるとその武力で何とか問題を片づけたいという誘惑に駆られる。
ナチスドイツや日本もその誘惑に負け、国を滅ぼした。

大戦後は、こともあろうに戦勝国のアメリカがドイツや日本の失敗を繰り返し、ソ連もアフガンで同じ失敗を犯した。
アメリカは今世紀に入ってもアフガンやイラクで同じ失敗を繰り返している。

ロシアのプーチンもアメリカの失敗を学ぶべきだったが、大国は同じようなことをやる習性を持っているのかもしれない。

今、もう一つの大国のリーダー習近平がこの問題をどう見ているのだろうか。ロシアが国際世界から総スカンで四面楚歌、面目丸つぶれを見てどんな学習をしているだろう。
習近平が賢い人であってほしいと思う。

今回のウクライナ国民の姿を見て、前期高齢者の私も他国から無法なケンカを売られたら、今のウクライナ国民のように戦うことになるだろうと覚悟を決めた。

暴力で問題は片づかないが、無法な暴力に黙っているわけにはいかない。無法な攻撃には是非に及ばず、お世話になった国に一命で報いるという以外に方法はない。

西郷輝彦「初恋によろしく」

西郷輝彦さんが2月20日に75歳で亡くなった。長い前立腺がんとの闘病の末の死だという。



橋幸夫、舟木一夫と並んで「御三家」として同時期に歌手としてデビューしたが、私にとっては子どもの時の橋幸夫の「潮来笠」、中学の時の舟木一夫の「高校3年生」が圧倒的で西郷輝彦さんの代表曲「星のフラメンコ」はあまりピンと来ない。

西郷さんは、その後、俳優として活躍して、私は「どてらい男」の最初の頃の印象が深い。山下猛造(西郷)が坂田軍曹(藤岡重慶)にイジメられるシーンや尾坂(田村亮)との友情が印象に残っている。

高校時代の体育祭でフォークダンスで西郷輝彦さんが歌った「初恋によろしく」が使われていたことに気づいたのは高校時代かそれ以降のことかは記憶に定かではないが、あらためて聞くと名曲名演奏だと感心した。



こんな名曲名演奏に出会え、未だに聴いては心を明るくさせてくれる西郷輝彦さんに感謝したい。

ご冥福をお祈りします。

妻とランチ

私は「毎日がスペシャル」主義に関してはなかなかうるさいと自認している。
人間がこの世に生まれてこの一日こそ空前絶後の日であるから差別をしないということです。



「毎日がスペシャル主義」とは別の言葉で言えば「日日是好日」と言います。

私は周りの人たちにいつもこのことを伝えていますが、なかなか理解してくれない。誕生日とかバレンタインデーとか気を遣おうとする人は未だに存在する。

今年の私の誕生日もスルーするつもりでいたが、同居している母が気づくかどうかが気にになっていた。母は、姉の家族の一人ひとりまで誕生日を覚えていて、押しかけていっては騒ぎを起こし続けていた。
ところが今年は見事にスルーしてくれて誕生日当日も覚えていなかった。
それどころか、私自身がすっかり忘れていて長女やアメリカの次女がLINEでメッセージを送ってきて初めて気づいた次第だった。
いよいよ私の「毎日がスペシャル主義」は徹底してきた。

ところが、母と同居で妻と一緒に過ごす時間が余り短くなるのも都合が悪いので最近は母のデイサービスの水曜日にハイキングに行くことにした(これには妻が水曜日のゴルフレッスンを友人の意向で止めたことも関係している)。

ところで2月23日(水)は天皇誕生日でもあるし、一度自宅でランチをしようということになった。

献立は妻の希望でお寿司とステーキにする。ステーキは実家で通っているスーパーで特売で手に入れ冷凍していたものを消費するチャンスでもある。

2月23日(水)朝、母をデイサービスに送り出し、自転車で自宅に向かう。
妻の点てたコーヒーと手造りのブラウニーのクリームを添えでお茶を楽しむ。

妻は、スーパーへお寿司のネタを買いに出る。私はご飯を仕掛けて寿司の準備。寿司ほど手間の要らない料理はない。
ご飯が炊けて酢を合わせても妻が帰ってこない。魚を買うのにどれだけ時間がかかるのか、と思うがご婦人方の買物は必要性ではなく自己満足性を重要視するので仕方なかろう。

寿司を握ってまず前菜が完成。早速ランチを始める。

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ビールを1本だけ私が買ってきたが、先付に冷凍枝豆が嬉しい。

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まずは日々の幸せを感謝して乾杯する。

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ステーキの前にコールスローという話をしていたが、妻が菜の花のおひたしを用意してくれていたのでこちらに移行。アーモンドフィッシュもあって豪華な先付です。

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食事が始まった後で、妻が私が作ってきていたカニ寿司を出すのを忘れていたことを忘れていたことに気づく。

20日の日曜日に妻はコーラスの仲間と日本海にカニカニツアーだったのだったが、その話をしている時に、私が子どものときに好物だった駅弁のカニ寿司をお土産に買ってくると妻が言い出したので、それは母にどう言っていいか分からないので止めてくれるようにお願いした。

ただ、自分も懐かしいカニ寿司を食べてみたいと思ったので自分で作ってみることにした。
前日に作ってこの日に持ってきていたのだ。駅弁はすし飯にカニの身を乗せた感じだったが、ウィーン時代によく作ったサーモンの押し寿司を思い出して押し寿司にしてみたらなかなか美味しそうに仕上がった。

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カニは「なんちゃって」だがなかなか美味。ご飯に煎り胡麻を入れてみたがこれも良かった。

ビールが終ってお酒をいただく。お正月に長女の家からもらった奥播磨の純米吟醸だ。
お酒も止めていたが、最近は週末だけ復活したが、お酒の味も美味しく感じるようになった。

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お寿司でお腹一杯になってきたのでメインの準備に移る。先日妻にプレゼントした鉄製フライパンで焼く。
実家のフライパンが余りにヒドイので鉄製のフライパンを買ったのだが、使い慣れると一生ものだ。

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肉はリーズナブルな価格のサーロインを2割引で買ったのだが、柔らかくて美味。量もよく完食する。ワインは妻が友だちからもらったというメルロー。ステーキにはカベルネが欲しいところだが、ランチだし飲みやすいかったので良しとする。

ステーキを食べていると無性に白ご飯が食べたくなる。この点、寿司では代わりにならない。
妻が冷凍庫の白ご飯を解凍し、ステーキを焼いたフライパンでそのまま焼き飯にする。

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これがこの世のものかと思うほど美味かった。

満腹でこれ以上食べられないと言っているところへ、また妻がデザートを用意してくれる。

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生ハムとカマンベールだが、長女の家のキンカンが味が濃くステーキの後によく合った。長女一家が無住となった主屋の庭で収穫したものだが、主屋の柑橘類は味が濃くとても美味しい。

さらに妻はケーキまで焼いてくれていた。

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ここまで来ると過剰だが、せっかくなのでいただく。

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妻はケーキを焼く手順を間違えたと言っていたが大変美味しくできていました。

お寿司がたくさん余ったので妻に持たされる。母にどう説明するか困るのだが妻も困っているので仕方なく持って帰る。

水曜日は炊き出しの日なのでこの日は麻婆豆腐を作る。肉は使わず大豆を使う。
前週から男性はいなくなったので女性1人だけだ。

この日はいつも固辞する人だがはっきりと「いつもありがとう」と言って受け取ってくれた。23日は何の日か知っているか聞いたが知らないという。「天皇誕生日」だと言ったら、新聞はよく読んでいるらしく前日の天皇のインタビューのことはよく知っていた。新聞はよく読んでいるようだ。

母がデイサービスから帰ってきて夕食にはお寿司を出したが、「これ、どないしたんや」の質問にむにゃむゃ答えたが何とか切り抜けた。

ランチでお腹一杯食べたので晩ご飯はどうしようかと思ったが普通に食べられた。
最近特に胃腸の調子が良い。
「毎日がスペシャル」で「日日是好日」なのである。

ロシアのウクライナ侵攻

ロシアがウクライナへ軍事進攻を開始した。



この戦争が早く終息することを祈るばかりだ。

私は、これまでもウクライナ危機に関して、東西冷戦がとうに終結した後でなぜそれほど巨大なNATOが必要なのかという疑問を呈してきた。



NATO側もロシアの立場を理解して外交的な解決が可能ではなかろうかと期待していたが、残念なことに合意は得られなかった。

そもそもわれわれ世界の人間は、冷戦後の世界をどのようにするべきか、ということに未だにヴィジョンを持っていない。

相変わらず国家と国家が生き残りの競い合いをしているようにしか見えない。それが顕著になったのが2年前の新型コロナウィルスの感染爆発だった。
世界に蔓延するコロナ禍は2年以上経ったが一体、われわれ国際社会は何を学んだのだろうか。コロナ禍の前で壁を厚くするばかりだったのではなかろうか。

壁の向こう側の人たちがどんな気持ちでいるのかちょっとでも想像したことがあっただろうか。国レヴェルという大きな問題でないにせよ、身の回りの人びとが一体どんな考えをして暮らしているかについて想像したことがあったか。

今、われわれはウクライナ危機を前にしてこんなことを反省する必要がある。わが身を守ることばかり考えていたのでは答えは出ない。人間社会を弱肉強食の世界であると見ることがケンカや戦争を引きおこすことになる。

共感できないような人や考えを持った人とでも生き残るために協力は可能だ。そのために、その人の心の内が分からないまでも想像することは可能だ。理解できなくても、その人の気持ちを想像することができれば何らかの形態で調和することは可能であろう。

今回のロシアのウクライナ侵攻の当事者たちはお互いの「腹の読み合い」を熱心にしただろうが相手の心を想像することができなかったのでこんな結果になってしまった。
実に残念なことだ。

冷戦の後に分断ウクライナみたいな新しい国家形態を生み出すか新ソ連が再出発するのか分からないが、とにかく世界大戦だけは避けなければならない。

それにしても今のロシアの姿は大戦前の日本にそっくりだ。

エピクテトス「人生談義」その4

清沢満之が自身の三部経の一つとしてエピクテトスを選んだという意味を考えると、分かる経典ということであったのだろうと思う。



実際、今の浄土真宗の三部経である「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」を読んだとしても何の有難味もない。
今や真宗の三部経は法事の時のお布施の代償としても坊さんが痺れを切らせながら分からんお経を称える意義しかない。つまり坊さんの自己満足みたいなものに門徒がつき合わされているに過ぎない。

確かに清沢の言うようにエピクテトスの言葉は読めば分かるし、大乗仏教たる浄土系思想と共通のものがあるように思う。

ソクラテスの第一の、そしていかにも彼らしい特徴は、けっして議論に腹を立てるようなことはなく、けっして相手を罵ることもなく、けっして傲慢にもならず、罵る相手にも耐えて論争を終わらせることにある。(p244、2.12)

この話は、特に仏教と直接に関係しないかもしれないが、真宗ではあまり仏教の戒律についてうるさく言われないのだが、「怒り」の毒はやはり大きい問題を発生させる。ソクラテスの戦略も忘れてはならないことだ。

意志と関わりのないものが善でも悪でもなく、意志と関わりのあるものがすべてわれわれの力の及ぶものであり、だれかがわれわれからそれを奪うことも、それらのうちにわれわれが望まないものをわれわれに課することもできないのであれば、どこに、皇帝にどのように思われるかに不安を感じているが、われわれの内部のことのついては少しも不安ではないのだ。間違った考えを抱くのではないかと不安に思うようなことはあるまいね。(p250、2.13)

人間の力の及ばないことは受け入れ、及ぶものには最大限の慎重さを要求するというのが何度も繰り替えされるエピクテトスの教えだが、多くの人間は逆のことをやって無駄な時間を過ごしているものである。他人(例えば皇帝)がどう思うかというようなことで心を悩ませている。

要するに、神が欲すること以外のことを欲してはならないのだ。そうしたら、誰が君を妨げるだろうか。誰が強制したりするだろうか。ゼウスを妨げたり強制したりできないのと同じことだ。(p283、2.17)

神が何を欲しているかは人間には分からないと言うかもしれないが、自分の意志が及ばないことは神が欲していることだと考えればいい。いかなる災害や困難も自分の意志でどうにもならないものは神が必要と思って行っていると考えればよろしい。

物事のうちで、あるものは善いもので、あるものは悪しきもので、またあるものは善悪と関係のないものである。徳とはそれにあずかるものが善きものであり、悪徳とはそれにあずかるものが悪しきものであり、それらの中間にあるものが、すなわち富、健康、生、死、快楽、労苦は善悪と関係のないのである。(p297-298、2.19)

善悪に関係のないもの「富、健康、生、死、快楽、労苦」は神の領域(他力)である。与えられたまま受け取るのがいい。
自分の意志の及ぶものには慎重に「善を取り」「悪から遠ざかる」ことをしなければならない。

富も健康も名声も、要するに心像の正しい使用はわれわれの力の及ばないものであるが、心像の正しい使用だけが、自然本性において妨げられないものであり、邪魔されないものである。それなのに、どうして君たちはその仕事をやり遂げないのか。(p301-302、2.19)

人間は自分の意志で可能なことを変えようとせず、変え得ないものを変えようとして機能不全に陥るのだ。他者を変えることは不可能だが、これも神のなせる業なのだ。

すべての理性的な魂は自然本性において矛盾したことをすることを妨げるものはなにもない。しかしそれが矛盾だと分かれば、なんとしてでもその矛盾から離れ、逃れようとする。ちょうど虚偽であることに気づいた人が、その虚偽だと思われない間は、それを真実だと認めていることになる。(p349、2.26)

つまり、意志によって変えることのできないことを変えようとしていることに気づいたなら直ちにそれを改める。逆に自分の意志によって避けることの出来る「悪」に気づいたなら直ちに離れることである。
これは実に単純なことなのだが、実際に実践する人は少ないのが現実なのである。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
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