早いもので今日は令和3年の大晦日です。
今年も1年をふり返り、来年の改善につなげていきたと思います。
1. 母の大腿骨骨折と退院後の介護生活
1月23日(土)夕方、母が家の庭で転倒し、大腿骨骨折。母は骨折の痛みの中、必死で電話まで移動し、私に電話をした。
私は、実家に駆け付け救急車を呼び、C病院に搬送され入院。母は約3ヶ月入院して退院し、自宅へ帰り、私は母の介護のため実家に移り住む。
2. K君 コロナとの戦い
同窓会には必ず出席するK君は大学の同級生(工学部)。K君は、大学院の入試の時に突如として医学の道を選ぶ。彼のお父さんはお医者さんであったことで、大学院の入試というタイミングで人生の選択を決断した。彼は無事に医学部に合格し、医療者の道を進んだ。
遅くに結婚し、一女に恵まれ、まさに目に入れても痛くないほどの存在となった。
彼は、十三病院の院長となっていたが、新型コロナウィルスの戦いの中、2020年9月に新型コロナウィルスに感染し、前年の11月末に亡くなったということを奥様からの寒中見舞いで知る。
同期のほとんどがリタイアし、気楽な生活をしていた中、新型コロナウィルスで亡くなるとは全く意外な展開だった。いつも人の前に出るようなことのなかった彼が陣頭に立ってコロナとの戦いをしていた彼の姿はいまでにイメージできない。
K君の冥福を祈る。
3. 次女夫妻の一字帰国
母が入院中に主人のアメリカ駐在に帯同してアメリカのオハイオに駐在中の次女夫妻が一時帰国した。コロナ禍の中いろいろな制約の中、関空に迎えに行ったが、ゴーストタウンと化した空港の有様には驚いた。
次女の滞在中には母の見舞い(リモート)とかハイキングとかに行って楽しんだ。夫君はコロナ禍の隙をついて連日、職場の友人との懇親を深めていたが、その中、焼き肉屋へ招待され、中華料理をお返ししたがその時の懇親も楽しい思い出だ。
4. フクシマ原発事故10年
早いもので、東日本大震災、福島原発事故から10年である。この10年間ずっとこの問題を考え続けてきた。この事故の原因は単に想定外の地震であったとか、東電の対応が悪かったという問題ではなく、もっと深い因果関係を持っているように思うようになってきた。
私の結論としては、原発というような複雑な産業を日本のような国(地震多発、アメリカの従属国)が
選択すべきではなかったということであった。
次の惨禍を防ぐためにも日本が取るべき選択としては、脱原発しかないと確信している。
5. 母が退院、母と実家で同居
母は連休前の4月28日に退院した。96歳で大腿骨を骨折したという話をして、家に帰ってくると思った人はいなかったが、見事に回復して階段を登って自宅に帰ってきた。
母との当初の約束どおり、私が母の介護のために同居することになった。
現役最後の2年弱、東京での単身赴任時に自炊生活の経験はあったものの、それほど本格的なものではなかったが、ネットのレシピを自分流にアレンジして毎日料理に勤しみ、母には好評だった。
ただ、問題は単に母が生きていくためのフィジカルな問題だけではなく、母が愚痴・人の悪口・不足ばかりを口にするという精神状態(心)を何とかしなければ、という私の問題意識になった。
これは11月の再度の大腿骨骨折という事故の後にも残された問題である。
私は解決の糸口は仏教にあると考え、仏教の勉強をより強く深く進めている。
6. 実家の花壇撤去
母が退院して、私が同居した同じタイミングで実家の階下にカフェ・バーが新しく入ることになった。古い建物なのであちこち雨漏りするということで、実家の花壇も撤去して防水工事をすることになった。
この問題は私のオーナーに対する長年の懸案だったのだが、テナントの入居ということでオーナーが積極的に動いたのはラッキーだった。
7. 東京オリンピック強行
国内では新型コロナウィルスの感染第5波の最中、東京オリンピックが開催された。
多くの国民の反対の中、スガ政権はオリンピックは政権やその利権者たちによって強行されるが、果たしてその成果はあったか、その検証はちゃんとやらなければならない。
しかし、私は現代ではオリンピックの国民健康や国際交流という意味でもポジティブな意義はほとんどないと考えている。
8. 新型コロナウィルス感染第5波
新型コロナウィルス感染が始まって最大の感染拡大となった第5波。しかし、第4波が終息した後、図書館などの公共施設の規制がある程度緩和されたおかげで私のルーティンな生活も安定したものだったとも思う。
近代西洋医学に信頼を置かない私は、現行医療には近づかないが規則正しい生活の中で健康を満喫している。
秋以降の急激な終息の原因は未だ検証されていないが、政府が胸を張るワクチンの効果でないことだけは明らかである。
9. 総選挙で与党勝利
スガ首相が政権を放り出し、自民党総裁選が行なわれ、岸田総裁に代わり岸田政権の下での総選挙が行われたが、与党の勝利に終わった。
この結果は、われわれ国民が腐敗したアベ・スガ政権の継承を承認したというわけだが、その意味についてわれわれは本当に意識した結果だろうか。
実に不可解な選挙だった。
10. 母が2度目の大腿骨骨折で入院
母と同居して半年、11月12日朝に母が自分の部屋で転倒し大腿骨を再度骨折した。
母は救急車で搬送入院し、次の日に手術。リハビリ病院に転院したが、驚異的な回復をし12月29日に退院して実家に帰ってきた。
再び母との生活が始まった。
番外 宗教の実践と気づき
母との同居がきっかけだと思うが、人間の生きる意味とか苦しみと幸せとは何か、ということに深い関心を持つようになった。
そんなことから最初に「親鸞会」の活動に注目し研究したが、相対的幸福のむなしさから「無礙の一道(絶対の幸福)」を求めるというアプローチには納得できたが、無礙の一道への具体的体験を提供していないことが分かった。
そんな中、鈴木大拙の真宗の考察の中の哲学「絶対矛盾の自己同一」の中にその解を見つけることあできた。これは清沢満之に始まる近代仏教改革と西田幾多郎や鈴木大拙の活動のおかげだ。
仏教による人間の救済の理論と経験によって母を救うことができれば、と日々研究に取り組んでいる。
これらの仏教近代化の活動は真宗の伝統派や親鸞会でも無視されているようだが、私の生活に役に立つ教えであれば活用せざるべからずである。
このように日々改善を続ける生活を続けていけば大晦日・元旦も関係なく一日がありがたい輝く毎日を続けることができるのだ。