日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2021年10月

母と暮らす その42(お寺へ悩み相談)

相変わらず口を開けば、愚痴と悪口の母であるが、10月19日(火)朝に悩みがいよいよ嵩じて、お寺の住職に相談に行きたいという。
その住職というのはわが家の菩提寺ではなく、母がよく法話会に行っていてお世話になっているお寺である。
その住職も奥さんも仏教や真宗の真理を求めて法を求めている最近のお寺では珍しい熱心な僧侶家族である。
私自身はそのお寺とは見識はないものの母の使いで何度か行ったことがある。

毎日、愚痴や悪口を聞かされてこの機に何か変化が起これば有難いと思い、早速お寺に電話して事情をお話する。
お寺の奥さんによるとその週は催しがありお忙しいとのことで次の週の月曜日25日の11時に伺うことになった。
母はこのお寺に行く時には混ぜご飯(炊きこみご飯)を作って持っていくことにしているので、作っていくと張り切る。

日曜日に混ぜご飯を作るというので、10月23日の土曜日に母と一緒にスーパーに行って材料を調達した。
24日の日曜日は母は朝から混ぜご飯の準備をしている。10時のお茶が終って私は図書館で読書。夕方にに帰ってくると母は、混ぜご飯も長い間作ったことがないのに身体が覚えているのだろう5合もの混ぜご飯を作っている。
ちょっと味見をしてみるとなかなか美味である。
母から彩の葉っぱとプラ容器を頼まれていたので渡すと、母は混ぜご飯のパックを6個作った。
包装しなければならないが、適当な包装紙が見当たらないということで私が手伝ったが、その時、母が「あんたがお寺に行くと言い出したから、私がこんなえらい目に遭っている」と言い出したので、さすがの私も頭にきて大声を出してしまった。

母は何か問題が起きても自分が蒔いた種であることに気づかない。自分はいつも被害者であるという信念があるから97年生きて来ても救われることがないのである。

当日は、混ぜご飯を入れる紙袋がないとか、お菓子も入れるとか言い出して、私が調達に走った。

11時前に家を出てタクシーでお寺に行く。
お寺に行くと住職と奥さん(坊守)が迎えてくれ、仏間に通される。

二人の前では、母は何も言わず黙っている。勢い私が母の状況を伝える。

そうすると住職も奥さんも私の母は念仏を称えているのですでに救われており何も心配いらないの一点張りである。

どうやら母はこのお寺では法話会で話を聞いて(耳が悪いので聞き取れないはずだが)、絶妙のタイミングで「なんまんだぶつ」と大きな声で念仏するらしい。その印象だけが住職ご夫妻の頭に入っているので全く母を誤解しているのだろう。
ちなみの母と過していて母が念仏を称えるのは朝夕のお勤めの時だけで、日常に念仏を称えることはない。

私はあまりの住職夫妻の誤解がひどいので、補足するが私の言うことは全く意に介さない。

お昼前になったので失礼することにしたら奥さんから大正時代の池山榮吉「意訳歎異鈔」の復刻を頂いた。奥さんが最近読んでいて大変いいと言われていた。

帰宅後はすぐに外出したが、夕食が終わったもらってきた「歎異抄」を読んでいると思わぬところで目が止まった。

第5章「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」だ。
この日お寺で起こったことは、そもそも母の問題ではなく、私の問題であったのだ。
母とはいえ私とは違う人間の悩みを私が解消することはできない。母は母の因縁で生きていくしかない。その姿を見て気の毒と思って私がどうかしようと思うことは一種の執着であることに気づいた。
この後、

いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。
わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも 助け候わめ、ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、 六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、神通方便を もってまず有縁を度すべきなり、

親鸞は輪廻の世界を語り、自力による救済を不可能であることを説き、自力を手放して悟りに至ることを推奨している。

おっと、危ないところだった。母という縁に引きずられて子である自分が何とかできないか、と思うこと自体が誤りなのである。母の悩みに引きずられて自分まで不要な地獄に落ちるところだった。

母が愚痴や悪口を言うしかない人生を気の毒がるのではなく、母もいつか阿弥陀の他力に救い取られることもあるだろう、と思って母に敬意を持ちながら母の幸せを祈り手放すのが仏教の教えなのだろう。

ブッダも「縁なき衆生を度し難し」と言ったが、私と母とは親子の縁があるが、仏縁とは別の話だ。
母に真の仏縁がなければ救われることがないというのも仕方がなないことで、私にはどうしようもないことなのであることに気づいてすっかり気が楽になった。

モーツァルト「交響曲第25番」

モーツァルトの交響曲の後期6大交響曲について今まで紹介してきましたが、モーツァルトの交響曲では若い時のものもいい曲があって愛聴しています。
今回は「第25番ト短調 K. 183 」です。モーツァルトの短調の交響曲といえば有名な第40番とこの第25番だけですが、ともにト短調です。
1773年モーツァルト17歳のザルツブルク時代の作品ですが、その激情とも言うべき深刻さは晩年の作品の下敷きになっているように思えます。

第1楽章とフィナーレの第4楽章は激しいシンコペーションで息が詰まるような疾風怒濤の音楽です。第2楽章(緩徐楽章)も美しくも切々たるメロディでいつも時を忘れて聴き惚れてしまいます。
第3楽章のメヌエットは舞曲というよりすでにベートーヴェンのスケルツォを予感させています。
トリオは愛らしい木管合奏で全体で唯一の息抜き的な場面です。

では、この曲の名盤として名高い1976年のザルツブルクでのワルター/ウィーンフィルのライブ演奏でお楽しみ下さい。



私にとってこの演奏はやや緊張感が高すぎるので日頃は同じワルターで1954年のコロンビア交響楽団の演奏を聴いています。モノラルながら聴きやすい録音です。



「神の子イエス」と「唯我独尊」

キリスト教の聖書ではしばしば「神の子イエス」という言い方をしてイエスだけが神の子だというふうに取られている。
そんなことから後に三位一体みたいな無理なこじつけが行なわれたのでしょう。
処女懐胎みたいな話が聖書に書かれたのも生物学的にあり得ない話だが、イエスを「神の子」とするための懸命の措置だったに違いない。

ところがイエスは自身で人々に語っている。

人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ6:1-4)

「天におられるあなたがたの父」と明確に言っている。すべての人間は神の子であると言っているのです。
だから、イスラム教でイエスを神の子ではなく「預言者」に位置づけていることは妥当だと思う。

同じような話で、仏教でもブッダが生まれて「天上天下唯我独尊」と言ったという話は、ブッダを特別扱いにしたものだと言われているが、実は「我」とはブッダ自身だけではなく「自分」という意味なんだそうだ。

言いたかったのは「一人ひとりの人間が尊いんだよ」と人々に啓示されたわけです。

「我」という字は刃物で切り分けられた個体という意味。意識を持った人間が意識をもったことにより切り分けられた存在であるということ。
一方ブッダが自分自身のことを言うときには「吾」という言葉を使う。五は「木火土金水」で宇宙の構成要素。その下に祝詞の容れる容器である「ᄇ(サイ)」が置かれている。つまり自分は宇宙の中心にいて神の声を聞いているということを示しているのです。

現代のわれわれは神から遠く離れてしまいましたが、神は常にわれわれと共にあることを再確認しなければなりません。

説明責任を問う人を間違っていないか?

小室圭さんと眞子さんの結婚にかかる成り行きはあまりにも痛々しくて報道を読む気も起こらない。



皇室の人々の立場については日本の憲法第一条に天皇が国と国民の象徴であるとされているが、それ以外の人々の立場というのはよく分からない。
例えば天皇は象徴としては政治的な立場を取ることはできないので政治的発言はできないが、その他の人々はどうなのか?
そもそも皇室の人々に基本的人権なんてあるのだろうか?という疑問は常にあった。
今回の件を見ても眞子さんにそのようなものがあるようには見えない(選挙なんて行けないんだろうな、とは思うが)。これは、戦前の天皇を神秘的な存在として権威づけ担ぎやすくするための方策だろう。
しかし、当人たちはただただ、人々の期待に応える人生しかないように見える。

戦後、昭和天皇の「人間宣言」などということもあったが、究極的には権力者たちは天皇が黙って神聖な存在にしておきたいのだ。

憲法上結婚は当事者同士の合意のみによって成立する。親と言えども周りの人々がそもそも口出しするようなものではないはずだ。

それにもかかわらず今回の一件はなぜこんなことになってしまったのか。

今回の件でどこかで「説明責任をはたすべき」みたいな話がメディアから出ていたようだが、アベ・スガ政権に一向説明責任を厳しく問うことなく今回の件ばかり熱心に説明責任を要求する意味が分からない。

思うに皇室の人々は本当に気の毒だと思う。言いたいことも言えず、したいこともできない。すべては周りの人々の「期待」に応えなければならない。そしてその「期待」とは明確なものではなく非言語的な「国民」の要請である。
平成の天皇は「象徴」の意味をただ一人で考え、実行された。

いい加減こんな闇の中の芝居みたいなことをやっていないで、国会でちゃんと天皇と皇室のありようについて議論を始める時期じゃなかろうか。

立花隆「最後に語り伝えたいこと」

今年4月に亡くなった知の巨人立花隆さんの未出版の「どうしても最期に残しておきたい」と切望した遺作。大江健三郎との対話と長崎大学での講演からなる。

立花隆さんは知の巨人として多方面の分野での思索を巡らせた人であったが、この本を読むとその根幹にあるものは、先の大戦をどう消化し平和な社会に繋げるかということであったことが分かる。

現代世界の問題について総括して、

今、基本的にこの世界はどういう構造でできているかといえば、事実上平和を底で支えている構造そのものは、MAD体制といわれている状況にあるわけです。MADというのは何とかというと、Mutual Assured Destructionといって、日本語で「相互確証破壊」というんです。要するに、国家と国家が対立状態にあるときに、自分は確実に相手の国家を破壊して、無に帰さしめることができるぞという、圧倒的な暴力の能力を持つこと。お互いに相手のその能力に恐怖して、変なことはしないよといったような。それが戦後の世界の平和をある意味では守ってきた。
 ほとんど頭のおかしいような恐怖の均衡政策の上に成り立ってきたということがあって、ゆえにMAD=気が狂った世界です。核兵器がある世界というのは、気が狂ったような政策によって実は平和が維持されてきたといった側面があるんです。
 先ほどもいいましたが、世界には「核兵器には核兵器の意味がある」という議論をする人が必ずいます。日本も例外ではありません。政治家の中にも、「日本も核武装をすべきだ」――といった議論を展開した人は何人もいます。そういう人は、基本的にこういう立場に立っているわけです。(p40-41)

ヒロシマ、ナガサキでの核兵器の使用により世界の平和はかくのごとき狂気の平和となっていることにまず、われわれは立ち戻らなければならない。また、日本の中でもこのような屁理屈を正当化しようとする考えの人が政治の世界で力を持つようになってきたことに危機感を持たなければならない。

立花隆がこのような平和について深く考えるようになったのは、自身の大陸からの引き揚げの経験によるものであることが明らかにされる。
そして、後に「引揚げ」の中に隠された「悪」を見出す。それはシベリア抑留された画家、香月泰男の「赤い死体」の問題を取り上げる。
香月泰男はシベリアへ送られる列車の中から「赤い死体」を見る。「赤い死体」とは日本兵に被害を受けた大陸に人々が日本人を皮剥ぎにした死体であったという。
そのような事実は戦後、隠蔽され、日本人が大陸で行った残虐な行為は隠された。そのような日本人たちの発言を立花隆は唾棄するような言葉で非難する。

はっきりいってしまえば、戦中派の好んで語る、こういう被害者意識のうえに、たとえられた反戦平和論は“原体験”などということばで、もっともらしくよそおわれた一種の体験フェティシズムでしかない。その、おのれの不幸に酔ったような、いい気な平和祈願の腰つきが私を腹立たしい思いにさせているのだ。一言でいえば、彼らは黒い屍体を僭称した赤い屍体なのだ
 彼らがとくとくとして、その〝原体験”なるものを語るとき、みずからのいやらしさと矛盾に気づくことはないのだろうか。というのは、そういう連中は、別の場所では、好んで、アジアの人民の連帯とか、日中の国交回復とかについて美しい話をするものだからである。しかし、彼らが後生大事にしているその“原体験”自体が、当のアジアの人民や中国人にとって、どういう意味をもつものであるかは、とんと考えてみたことがないらしい。口先ではそんなことは、とっくに心得ているような調子でいても、実は何もわかっていないのである。(p88-90)

最近の保守系政治家の歴史修正主義はその最たるものであろう。またその政治家自身が戦争体験を持たないことがさらに問題を単純化し、われわれ日本人の責任放棄を決定的なものにしている。

私は、今まで立花隆がこれほど戦争についての深い思いを抱えていることを知らなかった。それは立花隆がその思いから逃れるためにあえて戦争以外の分野に興味を持とうとしていたのかもしれない。

さらに、現代の日本に決定的に欠けている問題に言及する。

僕は、日本の政治というものは、伝統的に、利害の調整であるという、そういうことしか考えてこなかったような気がするんです。ある意味で正義という言葉はかなり怖い面があって、自分が持っている価値体系の中における正義を他者に全部押しつけようとすると、それは場合によってはかなり独裁的な政治を生み出すもとになりますけれども、ただ、やっぱり社会というものをつくっていくときに何を目的としてつくるのか。効率性とか、合理性とか、いろんなことがありますけれども、やっぱり僕は正義の実現というものを抜きにしては考えられないと思うんです。そこはほんとに外国の政治家と日本の政治家の圧倒的に違うところです
 よく、日本もこれだけの経済力をつけたんだから、政治的な発言をもっとしていけばいいんじゃないかという意見が聞かれます。そのときに、じゃあ何の基盤に立って発言していくのかといったら、自分なりの政治的な価値体系をきちんと持って、どちらの方向に国際社会を向かせるのかという、そういう発想がなきゃいけないと思うんです。
 正義というと何か強く響き過ぎるかもしれないけれども、公正な価値体系、グローバルな社会が共有すべき価値体系の提案というものがないと、そもそも世界に向けた発言というものは成り立たないんじゃないかということですよね。日本では子どもたちに対してそういう教育をきちんとやってこなかったんじゃないかと思っています。先ほど話題になったいじめの問題などにしても、もっとずっと根っこをたどっていくとその辺にあるんじゃないかという気がするんですね。(p188-189)

一体これからの日本は何で世界の中で立っていくことができるのだろうか。経済の時代が終わって何を基盤としてこれから生きていくことができるのか、考えていかなければなりません。
やはり、日本は原爆被爆国、平和憲法に戻るところからしか未来はないということをこの本を読んで思った。

最後に近代史家の保坂正康氏が「解説」を書いているが、とても興味深い読み物となっているので一読されることをお勧めする。保坂さんと立花さんの数奇な出会いは奇跡のようなものであり、立花隆の謎に迫っている。

最後の保坂さんの日本人に対する厳しい問いには感銘を受けた。

一、我々の年代が「戦争」の批判を行い、その誤りを継承するのは歴史的責務である。
二、あの戦争を選択した責任と批判は明確な論理と具体的事実で指摘するべきである
三、日本社会から戦争体験者が全くいなくなったときに、日本人は戦争否定の論理は確立しえているだろうか
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
をご覧ください。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
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