相変わらず口を開けば、愚痴と悪口の母であるが、10月19日(火)朝に悩みがいよいよ嵩じて、お寺の住職に相談に行きたいという。
その住職というのはわが家の菩提寺ではなく、母がよく法話会に行っていてお世話になっているお寺である。
その住職も奥さんも仏教や真宗の真理を求めて法を求めている最近のお寺では珍しい熱心な僧侶家族である。
私自身はそのお寺とは見識はないものの母の使いで何度か行ったことがある。
毎日、愚痴や悪口を聞かされてこの機に何か変化が起これば有難いと思い、早速お寺に電話して事情をお話する。
お寺の奥さんによるとその週は催しがありお忙しいとのことで次の週の月曜日25日の11時に伺うことになった。
母はこのお寺に行く時には混ぜご飯(炊きこみご飯)を作って持っていくことにしているので、作っていくと張り切る。
日曜日に混ぜご飯を作るというので、10月23日の土曜日に母と一緒にスーパーに行って材料を調達した。
24日の日曜日は母は朝から混ぜご飯の準備をしている。10時のお茶が終って私は図書館で読書。夕方にに帰ってくると母は、混ぜご飯も長い間作ったことがないのに身体が覚えているのだろう5合もの混ぜご飯を作っている。
ちょっと味見をしてみるとなかなか美味である。
母から彩の葉っぱとプラ容器を頼まれていたので渡すと、母は混ぜご飯のパックを6個作った。
包装しなければならないが、適当な包装紙が見当たらないということで私が手伝ったが、その時、母が「あんたがお寺に行くと言い出したから、私がこんなえらい目に遭っている」と言い出したので、さすがの私も頭にきて大声を出してしまった。
母は何か問題が起きても自分が蒔いた種であることに気づかない。自分はいつも被害者であるという信念があるから97年生きて来ても救われることがないのである。
当日は、混ぜご飯を入れる紙袋がないとか、お菓子も入れるとか言い出して、私が調達に走った。
11時前に家を出てタクシーでお寺に行く。
お寺に行くと住職と奥さん(坊守)が迎えてくれ、仏間に通される。
二人の前では、母は何も言わず黙っている。勢い私が母の状況を伝える。
そうすると住職も奥さんも私の母は念仏を称えているのですでに救われており何も心配いらないの一点張りである。
どうやら母はこのお寺では法話会で話を聞いて(耳が悪いので聞き取れないはずだが)、絶妙のタイミングで「なんまんだぶつ」と大きな声で念仏するらしい。その印象だけが住職ご夫妻の頭に入っているので全く母を誤解しているのだろう。
ちなみの母と過していて母が念仏を称えるのは朝夕のお勤めの時だけで、日常に念仏を称えることはない。
私はあまりの住職夫妻の誤解がひどいので、補足するが私の言うことは全く意に介さない。
お昼前になったので失礼することにしたら奥さんから大正時代の池山榮吉「意訳歎異鈔」の復刻を頂いた。奥さんが最近読んでいて大変いいと言われていた。
帰宅後はすぐに外出したが、夕食が終わったもらってきた「歎異抄」を読んでいると思わぬところで目が止まった。
第5章「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」だ。
この日お寺で起こったことは、そもそも母の問題ではなく、私の問題であったのだ。
母とはいえ私とは違う人間の悩みを私が解消することはできない。母は母の因縁で生きていくしかない。その姿を見て気の毒と思って私がどうかしようと思うことは一種の執着であることに気づいた。
この後、
いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。
わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも 助け候わめ、ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、 六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、神通方便を もってまず有縁を度すべきなり、
親鸞は輪廻の世界を語り、自力による救済を不可能であることを説き、自力を手放して悟りに至ることを推奨している。
おっと、危ないところだった。母という縁に引きずられて子である自分が何とかできないか、と思うこと自体が誤りなのである。母の悩みに引きずられて自分まで不要な地獄に落ちるところだった。
母が愚痴や悪口を言うしかない人生を気の毒がるのではなく、母もいつか阿弥陀の他力に救い取られることもあるだろう、と思って母に敬意を持ちながら母の幸せを祈り手放すのが仏教の教えなのだろう。
ブッダも「縁なき衆生を度し難し」と言ったが、私と母とは親子の縁があるが、仏縁とは別の話だ。
母に真の仏縁がなければ救われることがないというのも仕方がなないことで、私にはどうしようもないことなのであることに気づいてすっかり気が楽になった。