日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2021年04月

母と暮らす その1(老人介護宣言)

母の退院日(4月28日)から実家での私の母との生活が始まった。



私も既に66歳の立派な高齢者だから、カテゴリー的には老々介護ということになる。

大腿骨骨折で3ヶ月入院をした96歳の母は、意外に身体面では回復していることはひとまず安心した。
特に19段の階段を力強く登ってくれたのには驚いた。

また、生活の基本動作はできるのでそれほど手はかからない。私は母が歩行器を使わずに勝手に歩こうとするのを制止したり指導したりすることが中心になる。

介護を開始するにあたって、あらためて「家事」について考えてみた。
かつての「家事のさしすせそ」つまり「さ(裁縫)、し(躾)、す(炊事)、せ(洗濯)、そ(掃除)」だが今ではありえない。(裁縫)ユニクロやしまむら、(炊事)レシピや宅配、(洗濯)全自動洗濯機、(掃除)ルンバや掃除機の仕事で家事から外れてしまった。

そうして、残るのは「躾」だけだ。「躾」とは、身だしなみ、ひいては「人間の生き方そのもの」だけである。
ところがこれが今の世で重んじられることがない。

人間は最も大事なことを先送りしてきたわけだ。
しかし、環境問題やコロナ禍に遭遇し、われわれはついにこの問題に直面せざるを得なくなった。

特に母にはこの点について以前から重大な問題であることは明らかだ。

母は常に他人と自分を比較して、自分が上か下かで判断してきた。しかし、結局、そういう人間観が自分自身を苦しめていることに気づいていない。

たとえば、車いすや歩行器の人を見ると軽蔑したようなあるいは差別的な発言をしていた。

私は今回の母の入院で、自分が同じような身になったことで何か変化があるかどうかに非常に強い関心をもって見てきた。
しかし、今までのところその兆候は見られない。相変わらず人と比較して自分が上だ、下だという面でしか人を見ることはできないままだ。
しかし、人間はいずれは死んで平等に土になるしかない。

私が母と同居して母の介護のため同居をする究極の目標は、彼女が生きとし生けるものが大いなる存在によって生かされた同朋であることに気づいてもらうことにある。
これが私の母の介護開始にあたっての宣言だ。

母がこの真の人間観(世界観)を知らずにこの世を去らせることは、息子の私として忍びなく母が余りにも不憫だ。

母が大腿骨骨折して入院 その17(退院)

昨日(4月28日(水))ついに母が退院した。
母は、虫垂炎で1週間ぐらいの入院はあるものの3ヶ月もの長い入院経験はない。自宅に帰ることをどれほど楽しみにしているか想像はつく。

当日は病院からは10時に退院だが支払と帰宅しての介護の内容を教えるので9時半に来てくださいと言われていた。

自宅の妻に9時10分頃に実家に迎えに来てもらう。妻は26日にプリウスの新車に乗り換えたばかりで、さっそうと登場する。

病院までは自転車でも10分ほどだが、車でも同じくらいの時間で到着。受付に申し出て支払をすませる。
介護の説明に長々待つ。最初に栄養士から病院での食事の状況と家庭での食事の注意事項を聞く。病院ではご飯はおかゆでおかずも細かく裁断されたものだったらしい。
食事が終わって、またロビーで待っていると看護師が来て投薬の説明を受ける。

その後、また時間が空いて、やっと母が降りてくる。病院に来て1時間以上経っている。ソーシャルワーカーは30分で説明を終えるとの話だったのだが。

母は2人の看護師さんに連れられて、大きな声で「こんな売店があったんかいなー」なんて言いながら家から持っていったお買い物カートで登場する。

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私がプレゼントしたワンピースやショールが似合っている。
そこでまた、看護師さんから注意事項を聞く。
全体的な話としては、歩行に注意が必要だが身の回りのことはほとんど自分でできるということらしい。
病院内でこけて腕を擦りむいているらしい。母は肌が薄いので擦り傷をするとベロっと剝けてしまうので怖いのだが、後はすっかりきれいになるので心配はない。
ここでも投薬について細かく指示を受けるが、朝夕合計3錠だけである。

5月の末に整形外科の診察を受けにくるように言われた。

お礼を言って、歩行器やカートや大きな荷物を車に積んで出発する。

自宅の前に到着して最初の難関が19段の階段。
心配していたが、自分でスイスイ登っていく。介助の私がついていけないほどの速さだ。

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むしろ階段を登り終わって2階に着いてからの歩行の安定の方がむしろ危険な感じがする。すでに前日、介護用品の会社で手すりを付けてもらっているが、慣れるまでは不安定で注意を要する。

14時に用品会社が来てチェックしてくれるので、その時に細かく聞くことになる。

居間に落着き少しゆっくりしてもらう。

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座敷の説明をすると、仏壇にお参りするといって立ち上がる。家の中での歩行器は大変である。

仏壇の前に座って、私がロウソクを点け、線香に火をつけると、暗唱で正信偈をあげる。

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居間でゆっくりしていてもらって、妻は昼食の準備、私は買物にでかける。

昼食は少し遅れて13時前から始まった。

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母は病院の食事について、味は問題ないが、細かく裁断されているのが気に入らなかったらしい。病院としては喉に詰まらせるとこまるのだろう。

この日の中小には、まぜご飯にマグロの刺身、フキの煮物、叔母からもらった小さいブロッコリーのサラダだったがフキがやや硬かったようだが、他は問題なく、ガシガシと食べた。総入れ歯とはいえ、しっかり噛むということの大切さを感じた。

14時に介護用具会社の人が来て、設備の設置をしたが、本人確認が必要だ。その頃母は眠くなってきて布団に入りかけていた。そこを引っ張り出して歩いてもらって設備を決定した。

チェックが終ると着替えもせずに早々にベッドにもぐりこんで眠ってしまった。

母はさも気持ちよげに眠っていた。病院何ではやはりストレスが多かったのだろう。

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結局母は17時半ごろまで熟睡したようで、晩御飯を食べるかどうか聞くと、「食べよか」と言って立ち上がる。

夕食は私の前に作っていた肉じゃがと麻婆豆腐、昼の残りのマグロ、妻の作ったブロッコリーのサラダと白ご飯を出したが、ブロッコリー以外には美味しそうに食べてほぼ完食状態だった。

入れ歯を放り出すと、寝室に入ってマッサージ器にかかりながらNHKのニュースを見ていた。
私は食事を片づけてキッチンで本を読んでいたが、21時前に母の部屋に行ってみると、すでにテレビ・電気をつけたままで、幸せそうに熟睡している。

テレビを消して、電気を小さくして私も眠ることにする。母が幸せそうな様子で私もすっかり幸せな気持ちになった。

日本のIT産業の現状を正視せよ

最近驚いた記事に出会った。
技術ジャーナリストの津田健二さんのYahooニュースに出た「日本の半導体ICの世界市場シェアがついに6%になった」という記事だ。

IC1

記事を読むよりなによりもこの図を見ただけで衝撃を受ける。1990年に49%のシェアを誇っていた日本のIC生産が何と2020年にはわずか6%まで落ち込んでしまっているという。

バブル崩壊の後とはいえ、プライドの高かった日本人はICは素材産業、今後は後進国に任せて、日本はもっと付加価値の高い産業にシフトしていくんだ、みたない流れだったのだろう。みるみるシェアは右肩下り。

ガラケーの天下がスマホにあっという間に抜き去られた。

それにしても、日本のIT産業はそれなりに国内で広まっているじゃないかと思っていたら次の図で卒倒しそうになった。


IC2

世界の強力な右肩上がりに対して、90年代からほとんど横ばいなのである。
街を歩く人の多くが歩きスマホをしているのでてっきり日本もIT化されているかというとそうではないのだ。

津田さんによると、

マクロ経済的な大きな流れ(メガトレンド)の一つは、やはりITの進展が続くことである。ITの3大要素の一つが半導体であり、他の2つはコンピュータと通信である。
現代社会はIT産業で成り立っているといっても間違いではないだろう。

そういえば、コロナ禍においても毎日の感染者数の集計をファックスでやっていたり、政府が開発したカカオなんて使い物にならなかったり、リモート授業ができなかったりと散々、IT後進国の姿を見せつけられたもんである。

日本でITというとスマホでゲームをやったりニュースを見たり、LINEでだべったりといった「不要不急」なアクティビティでしかないのだ。

コロナ禍の前にアジアの国々の屋台で現金なしのスマホ決済の実態にも何も感じなかったわれわれの感度を遅ればせながら振り返ってみなければならないのではないか。

私はスマホもガラケイも持たない高齢者だからいいようなもんだが、これからの社会を背負う人々には是非知っておいてもらいたい記事である。

ジェシカ・ブルーダー「ノマド」

今年のアカデミー賞の作品賞は「ノマドランド」であった。



その映画の原作となったジェシカ・ブルーダー「ノマド」は車上生活を送る人々を追ったドキュメンタリーであった。

ノマド: 漂流する高齢労働者たち
ジェシカ・ブルーダー
春秋社
2018-10-22


ノマドとは遊牧民のことだが現代のアメリカの遊牧民は、車を使ってお金や自由を求めて彷徨っているのだ。
第三者から見ると彼らは自由を求める人々のようでもあるが一方で貧困にあえぐ生活困窮者であることも分かる。

著者のジェシカ・ブルーダーは、そのようなノマドの本質を知るべく彼らと行動をともにするようになる。

私が何カ月にもわたって取材してきたノマドの人々は、無力な犠牲者でもなければお気楽な冒険者で もなかった。真実は、それよりはるかに微妙なところに隠されていた。だが、どうしたらその微妙な本音に迫れるだろう? そう考えたとき、一日や二日の取材では駄目だと悟った。そこで五つの州にまたがって何週間も密着取材を続け、夜の気温が氷点下に下がるクォーツサイトの冬の集会に出かけてテント生活をともにし、彼らの話を記録した。それでもまだ、私の望む深い理解に至ることはできなかった。彼らの生活を本当に理解できるほどには、親しくなれなかったのだ。そうなるためには、彼らの生活に もっとどっぷり浸からなければならない。何カ月ものあいだ、毎日、明けても暮れても生活をともにして、彼らの停泊地で馴染みの顔ぶれになる必要があった。(p233-234)

登場人物の一人、リンダはオンラインショップの倉庫で働きながら資本主義に頼らない世界を実現するという大きな理想を持っていた。

リンダはいまもそうした問題と取り組んでいた。ケンタッキーの仕事が始まってから何週間かして、リンダはフェイスブックに次のようなメッセージを書き込み、私にも直接送ってくれた。
土地つきの家が欲しいのはどうしてかと訊かれたら、私はこう答えます。独立するため。 社会の競争から 身を引くため。 地場産業を支援するため。 輸入品を買わないため。そして、好きでもない人たちを感心させるために、必要でもないものを買うのをやめるためです、と。 いま、私は大手オンラインショップの巨大倉庫で働いています。扱っている商品はすべて、どこか外国で--児童労働法もなく、労働者が食事もトイレ休憩も与えられず、1日14~16時間働かされているような国で--つくられたもの。2万8000坪の 広大なこの倉庫に詰め込まれた商品は、ひと月ももたないようなものばかり。すぐに埋立ごみになる運命で す。この会社にはそんな倉庫が何百もあります。 アメリカ経済は、中国、インド、メキシコなど安価な労働 力の第三諸国で働く奴隷の上に成り立っているんです。私たちはそういう人たちと知り合うこともないまま、その人たちの労働の成果を享受しています。「アメリカ」という私たちの会社の奴隷保有数は、たぶん世界一でしょう。(p330-331)

われわれは、奴隷の存在を前提とした社会というものがそもそもこの世に必要なのか。今、人間は本来の目的を見誤っているのだ。

ブルーダーは、生物学者のグールドの言葉を引用して人間が人間性を発揮することのできない状況に警鐘を鳴らしている。

生物学者のスティーヴン・J・グールドは言った。「私はどういうわけか、アインシュタインの脳の重さや回路よりも、同等の頭脳の持ち主が綿花畑や搾取工場で生き、死んでいっているのはほぼ確実だという事実のほうに興味を感じる」。階級間の溝は深まるいっぽうだ。階級を飛び越えるのは、現代で はまず不可能だ。その結果、アメリカは事実上、カースト制の国になった。道徳的にまちがっているだ けでなく、莫大な損失だ。人口の大部分から機会を奪うのは、才能と頭脳という膨大な資源をどぶに捨てるに等しい。周知のとおり、そのせいで経済成長も阻まれる。(p341)

訳者の鈴木素子さんが、「訳者あとがき」でノマドの生き方の中にソロ―の精神を見出したくれたことで先行きの見えない現代社会の先にかすかな光を見せてくれている。

著者ジェシカ・ブルーダーは名門コロンビア大学の大学院でジャーナリズムを学んだ後、精力的にサブカルチャー関連の取材・執筆を続け、数多くの新聞・雑誌やウェブサイトの編集・記事の執筆にかかわっている。ノマドの現状を経済問題としてだけでなく、サブカルチャーとしての側面からも捉える著者の視点には、そんな背景があるのだろう。そしてそれが、歴史の流れのなかにワーキャンパーを、そして現代人を位置づける、大きな視野を提供している。
 ノマドの生き方の根底には、ソローの『森の生活』にも通じる豊かな精神の泉がある。そこには私たちが汲み上げるべき貴重な資源があるのではないだろうか。(p353-354)

この本を読んで、資本主義に対して疑問を持ち、その力も利用しながら超越しようとして悪戦苦闘する人々の姿を見て明るい気持ちになった。

母が大腿骨骨折して入院 その16(実家に引っ越し)

昨日(4月25日)に母の見守りのため自宅から実家に引っ越した。18歳に大学進学のため実家を離れておおかた半世紀ぶりの実家での生活ということになる。

母を私の自宅に呼ぶという選択もないわけではないが、母が長らく住みつづけた場所を変わることも困難だということで数年前に母や妻とも同意した結論である。

母は長い間苦労して姑を見た人なので私の妻に面倒をみさせたいという強い意向があるようなのだが(つまり私の妻に母同様の苦労をかけさせたいということ)、悪い輪廻を繰り返す必要はない。ここで断然断ち切るべきであると信念を私は持っている。

もちろんわれわれ夫婦は、半分は親同士が決めたような見合い結婚なので、そのような意図が結婚の際にも含まれていたことは重々承知している。しかし、時代の流れで核家族化は進み、個人の生活が優先されそれぞれの人は自己実現に向かって生きていくべきだということは私の信念でもある。

また、母は妻と二人のときにはいろいろ嫌なことを言って妻も困っているらしい。
妻を守るのは私の義務だし、困っている母を助けるのも義務である。私にとってどちらも並行して実施可能な仕事である。決して不可能なことではない。

96歳の母は老後(すでに立派な老後なんだが)の生活にひどく不安を持っており、先のことが心配でたまらないようだ。私が最期まで看ると何度言っても信用しない。それで契約書みたいな形にして署名して渡したのだが、それでも私のことを信用していないらしく、今回の入院中も退院後の老後(?)の不安を書き綴ってくる。

母の姿を見て、老後の心配というのはよほどのものだということは驚くべきもので、私にとっても先行き重要な課題だとも思っている。母のような姿にならないように今から考えておかねばならない。

というような前提があり、私が実家に引っ越してきたわけである。
9時前に妻に車で私の生活に必要な荷物を運んでもらう。

全部運び終わって家に帰ってきたのが9時半前。TVではサンデーモーニングをやっていたので、それを見終わってから、妻とお茶。

その後、妻はジムに出かける(緊急事態宣言で結局、この日が最後になったらしい)。

従妹のTちゃんから電話がかかってくる。叔母から母の退院の話を聞いて尋ねてきたらしい。状況を話すと母の様子にビックリしていた。普通、大腿骨骨折というと家に戻って生活できないと思い込んでいるようだ(これは叔母も同様の反応)。母の性格もよく知っているので、母の話をして二人で大笑いする。

電話が終って、私は自転車で実家に向かう。途中、ドラッグストアに寄り、母のベッドのシーツと私のキンチョウリキッドの詰め替えを買う(実家は蚊がたくさんいるのだがなぜだか母は一切刺されない)。

実家について、まず仏壇の座椅子の組み立て。病院の指導で手すりのある椅子に替える。

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コーナンで買った手すり付きの座椅子を組み立てる。長ボルト4本が足りないので一瞬焦ったが、本体に取り付けてあり、それを外して使うことが分かったので、その手順に従い完成。

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以前のに比べるとやや高くなって落着かないがシックで仏壇には合っている。

次に私の居場所用の机。近所のリサイクルショップで1,430円で買ったIKEAのテーブルを組み立てる。ボルトが脚に組み込まれていて、ナットで締めるだけだが実にうまくできている。

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場所は座敷の南側で仏壇に背を向けた格好になる。天井の電灯だけではちょっと暗いので駅前の電気店でスタンドを買おうと思った。

衣類を入れる場所を探している時に、パンツとズボンを持ってくるのを忘れたのに気づく。それじゃ自宅の近所のホームセンターでスタンドライトを買って、家によってパンツとズボンを持ってくればいいことに気づく。

次に台所の整理。これまでは、母への手紙書きと荷物交換だけの機能を考えて最適化していたのでテーブルが山になっている。

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これを食事ができるように最適化(要は整理)する。

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片づけてあった炊飯器も移動させて今晩からの食事ができるようにするようにした。

私のバスタオル用(母はバスタオルを使わない)の物干しはパイプを繋ぐだけで完了。持ってきたバスタオルを干して、ホームセンターと自宅に出かける。

スタンドはクリップ式で場所を取らないものにした。LEDで明るい。私の城が出来上がった。

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ネットはSBのエアーというのにしたが、家の中心に置いているわけでもないのに部屋の隅々まで届く。

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夕食の食材の調達に歩いて近所のスーパーに行く。美味しそうなイワシがあったので買って煮つけ。後は得意の焼きそばにする。

茶碗がないのでご飯はドンブリに入れて食べる。大は小を兼ねるである。

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おかずは半分残ったので次の朝食用に。

こういうふうに自分の居場所を作るというのは実に楽しい。元からミニマムな生活だが、さらに最低限を目指して工夫するところにまた面白みがある。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
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「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
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