4月28日(火)の夜テレビを観ていて遠い過去の風景を見たような感慨を持った。
その番組は、NHKのBSプレミアム(3チャンネル)の「世界ふれあい街歩き」です。
この回は、パリのバティニョール地区でした。モンマルトルの丘の麓の印象派の画家たちが済んだ場所です。
新型コロナウィルスの流行前の取材らしく、街を多くの人が歩いている風景が映し出されていた。
最近のテレビでは、ほとんどがロックダウンされた街の風景ばかりなので、何か昔の風景を見る様な感覚になってしまいました。
私が気づいたのは、パリの人々の間の距離の小ささでした。街角、カフェや商店の中での人々の距離が日本の普通の生活状態と比べると大変小さいことに気づきます。
そういえば、私が現役のサラリーマン時代、アメリカ人と日本人の20人ほどの合同チームのプロジェクトのメンバーになって2週間ほど過ごしたとき、カゼをひいたアメリカ人の大男が、上から超接近して話されて脅威を感じたことがありました(案の定、そのすぐ後にカゼが移ってしまった)。
かくのごとく西洋人は日本人と比べると個人主義が強い傾向があるが、その分、現実の場では、個人間の距離は小さい。
ふり返って日本人の生活では、街角でも家の中でも西洋と比べると一定の距離を取っているように思う。
その日本人がぎゅうぎゅうの満員電車に乗って平気でいるというのは不思議といえば不思議です。
この都会での満員電車というのは日本の経済効率の追求の姿を表しているように思う。あの満員電車が心地よいという人はまずいないが、経済のためと思ってしかたなくやっているのだ。その満員電車で誰一人声を出さないというのも考えてみれば不気味なことだ。
しかし、それを何の疑問ももたずにうけいれる姿を振り返ると、人口減社会に向かう日本人はこれからどのような社会を目指すべきか静かに考えるべきではないだろうか。
この新型コロナウィルスの流行という惨禍は自分たちの社会や生活を見直すいい機会だと思う。