日々の気づきノートです。

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過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2018年07月

相互扶助論 その5

クロポトキンは、種族内の倫理と他の種族との関係における倫理との二重性の問題と戦争についての重要な関係を議論します。

相互扶助論
ピョートル クロポトキン
同時代社
1996-05

  • 蒙昧人の生活は、二重の行為に分たれ、相異なる二つの倫理的方面を呈する。すなわちその一は種族内の関係であり、他の一は種族以外のものとの関係である。そして、その「種族内」の規則は(われわれの国際法と異なっている。されば一朝開戦となれば、もっとも戦慄すべき残忍も種族の賞讃を要求するに足るものと見做される。道徳上のこの二重概念は人類その全進化を通じて今日に至るまで維持されてきた。われわれヨーロッパ人は、この倫理上の二重の観念を捨てるために多少のーーはなはだ大なると言えないーー進歩を実現した。しかし、かくしてわれわれは、ある程度にまではこの団結の思想を(少なくとも理論上には)一国民全体に及ぼし、さらに幾分かは、他の国民にまでも拡張したのであるが、同時にわれわれはまた、国民の国民内の団結、自己の種族内の団結を滅殺したのである。(p135-136)
種族内の倫理も他種族との関係における倫理も共に種族の維持のためのものであるが、大きく人類という高みから見ると未だ蒙昧という段階と言わざるを得ないのかもしれない。
大きな戦争のある度に国際的な関係改善のための枠組みが作られるが国際紛争が止むことはありません。
果たしてこのジレンマから逃れる方法はあるのでしょうか。
  • 人類のいかなる時期にも、戦争が生活の「正規の」状態であったことはなかった。(p136)
確かに冷静に見ると、そうなのですが、人間はいつも同じ過ちを繰り返す。
  • 人類は自然界の一例外ではない。人類ともまた、生存の闘争においてもっとも善く互いに助け合うことを知っているものにもっとも善き生存の機会を与える、かの「相互扶助」の大原則に従うものである。(p141)
勇気を与えてくれる言葉です。米朝緊迫から一条の光が差して最悪の事態が回避されましたが、今後も両者が互いに助け合いもっとも善き生存の機会が与えられることを祈ります。

相互扶助論 その4

動物が相互扶助によって種の維持をしているのに対して、人間のみが競争によって生きているというのはどう考えても不自然だとクロポトキンは考えたのでした。

相互扶助論
ピョートル クロポトキン
同時代社
1996-05

  • かくまでに一般的法則から、ひとりわれわれ人類のみが除外されているというのは明らかに自然についてのわれわれのすべての知識とまったく相反することである。また、人間のように防禦力の乏しい生物がその原始時代に他の諸動物と等しく保護と進歩との途を相互支持に求めないで、個人的な利害の暗闇に求めなければならなかったなどと主張するのは、これまた自然についてのわれわれのすべての知識とまったく相反することなのである。(p99)
説得力のある解説です。ところが近代の思想では人間は闘争こそが本質であるかのごとき思想を採用する人が実に多いのです。そのことが為政者にとって都合の良い思想であったかもしれないのですが、その思想が自然に適合しないものである以上、いずれ破綻せざるを得ないのです。
  • 家族は国体組織の原始的な様式どころか、人間進化のきわめて後世に属する産物である。(p101)
われわれは家族がコミュニティーの基本単位でそれであってそれが広がって大きな組織を作り上げると考えがちだが、実は人類のコミュニティーの概念はもっと大きな種族単位のものであって、逆に大きな集団が分裂して家族という単位が生まれたのだという。
  • もっと遠い人類の祖先の原始的団結様式は、家族ではなくて、社会、団体、もしくは種族であったのだ。これが人種学の苦心に苦心した探求の揚句に達し得たところである。(p102)
それはどういうことかというと、
  • 原始人は、過酷なる生存闘争の必要そのものによって築き上げられ、維持されて来た一つの性質を持っている。--すなわち自己の存在とこの種族の存在を同一視する。もしこの性質がなかったら、人類はその到達した水準にまで決して到達し得なかったであろう。(p134)
これは、蜜蜂や蟻と同じであるようにも思える姿ですが、人間に意識が生まれて個人が生まれ、他との違いから争いが生まれました。意識の誕生によって人類は生存の可能性を飛躍的に高めたが、逆に自他を分けることから他と闘争する性質を持ってしまった。
近代に発生した問題はすべてこのポイントから生まれているように思えます。

相互扶助論 その3

競争により人間や組織は進化するという仮説がありますが、クロポトキンはこの仮説を完全に否定します。

相互扶助論
ピョートル クロポトキン
同時代社
1996-05

  • 競争は動物界においてもまた人間界においても規則ではない。競争は動物界では例外的にのみ限られている。そして自然淘汰の方がその活動のより広い範囲を持っている。よりよき状態は相互扶助と相互支持とによって競争を排除することによって作られる。(p93-94)
競争が有益であるというのは、統治する立場にある人間が組織を統御しやすくするために人々に信じ込ませようとする戦略にすぎない。
これは、私の師匠であったNさんがいつも言っておられたことでもあります。組織の中に競争原理を持ち込んではならない、と言われました。競争することがいいことだ、と言ったとたんに組織内の協力は阻害されます。
ところが家庭でも学校でも会社でも一方で協力を説きながら行動は競争原理で動いているのです。
  • ダーウィン自身も「種の起源」の中に次のごとく言っている。「自然淘汰がもっともしばしば行われている方法の一つは、ある種の中の個体が多少異なった生活方法を適応して、自然の中で占領されていない場所を獲得するにある。」すなわちこれを一言に言えば、競争を避けることにある。精力の最小の消費をもって最大の充実を得んとする大生存競争においては、自然淘汰はできるだけ競争を避ける方法を常に求めている。(p94)
生命の種は生き残るために、生き方を変え、環境に適応できる場を探し続けるのです。そこにはここでしか生きることができないと考える必要はありません。生き方を変えれば別の環境で生き続けることができるからです。
中国の古代人はこれを、「窮すれば変ず、変ずれば通ず」(『易経』)と言っています。
  • 「競争してはいけない。競争は常に種に有害なものである。そしてそれを避ける方法は幾らでもあるのだ。」それが自然界の傾向である。(p95)
日本では競争こそが社会を発展させる原動力のように誤解されているが、実際の生物は相互扶助という基本戦略で生き残ってきたのです。
このことを思い出さなければなりません。

相互扶助論 その2

それでは、相互扶助の意義とは、

〈新装〉増補修訂版 相互扶助論
ピョートル クロポトキン
同時代社
2017-02-28

  • 相互扶助は相互闘争と等しく自然の一法則であるが、進化の要素としては、恐らくはより大なる価値を有し、種の存続と発展とを保障すべき習慣と性質との発達をうながし、同時にまたその各個体に最小の努力をもって最大の幸福と享楽を得しめるものである。(p27-28)
最近の人々の考え方だと闘争によって生き残ることが人類の進化に意義があるように思っているようだが、クロポトキンの考えでは相互扶助こそが人類の進化に良い影響を与えるという。
  • 自然は実に多趣そのものである。最低から最高に至るあらゆる種類の特性を現す。そしてまたこれ実に、自然が一掃的断定をもってしては、とうてい説明し尽され得ないゆえんである。自然はまた倫理性の見解そのものが、多くは無意識的ではあるが、自然の観察の結果である。(p57)
クロポトキンは自然観察の結果、自然そのものの多様性と不可思議性の偉大さに気づいたのです。
その結論とは、
  • 団結と相互扶助とは哺乳類の規則である。(p62)
人類のみではなく、哺乳類は相互扶助と団結を組み込まれている。
  • 社会生活は動物界の規則である。(p62)
動物は社会生活するようになっているのです。
  • 社会生活は、動物界の規則である。自然法である。そして高度脊椎動物に至ってその最高の発達を遂げている。(p73)
そして、
  • 社会生活は、身体の構造いかんによるものではなくて、蟻や蜜蜂の場合と同じく相互扶助によって与えられる便利と快楽のために開拓されるのである。(p74)
そして自然界における生物の相互扶助の観察の結果、以下のように結論づける。
  • 社会生活が広義でいう生存競争におけるもっとも有力な武器であることは、今まで述べて来た幾多の実例で証明される。(p77)
「生存競争」というと他者と戦うことを言うのではないかと考えるが、実はお互いが助け合うことによって生存の可能性を高めることを言うのです。
  • 故意にあるいは偶然に社会生活を捨てる種族の運命は、必ず滅亡である。(p77)
都会というシステムでは個人が分断されて生活し、そのことが快適であるという幻想を抱かされているがクロポトキンの生物学的観察から見れば、これこそ種族の絶滅を目指している生活スタイルであるということができるのです。

相互扶助論 その1

昨今のグローバル資本主義の台頭で、世界中の国で格差が広がり貧困の問題が容易ならざる問題となっています。
このような問題解決のために生物学の見地から生み出された思想がピョートル・クロポトキンの相互扶助論です。アナーキズムの基礎となる思想なのであやしい危険な思想かと思いきや、読んでみると目からウロコが落ちる名著です。
図
ピョートル・クロポトキン(1842-1921)

人間は動物である、ということを忘れたことから近代の機能不全は始まりました。グローバル資本主義で傷みつけられた世の中を考え直す上でも、今、読むべき古典と言えるでしょう。

〈新装〉増補修訂版 相互扶助論
ピョートル クロポトキン
同時代社
2017-02-28

  • 私は、自分の眼前に現れた、これらの動物生活のいずれの光景においても、相互扶助と相互支持などがさかんに行われているのを見て、この事実が、生命の維持や、各々の種の保存や、またその将来の進化のためのもっとも重大な点であるまいかと考えさせられたのであった。(p10)
人間の歴史は戦争の歴史であったが、人間以外の動物で同じ種同士で争うものはいない。助け合い種を維持することが第一義として行動している。ヒトのみが戦ってきた。それも人間に文明が生まれてからのことであり、文明以前には人間は助け合って種を維持してきたのです。
  • 社会が人類の間によってもって立つ基礎は、愛でもなく、また、同情でもない。それは人類共同の意識、むしろそれがわずかに本能の域にとどまっているとしても、とにかくこの意識の上にもとづくものである。相互扶助の実行によって得られる勢力の無意識的承認である。各人の幸福がすべての人の幸福と密接な関係にあることの無意識的承認である。また各個人をして他の個人の権利と自己の権利と等しく尊重せしめる、正義もしくは平衡の精神の無意識的承認である。この広大なかつ必然的な基礎の上に、さらに高尚な幾多の道徳的感情が発達する。(p15)
人間が生きる意味とは実は、アタマから出てくるものではなく、生物一般の種の保存という深層の意識(無意識)から湧いてくるものである。そうであれば戦争や争いは起こりえないのですが、人間が生存のために意識を持ったことによりアタマでイデオロギーを作り上げ逆に争いを始めたのでした。
  • 近世社会は「各人は自己のために国家は総人のために」という原則の上に立つものと仮定されているが、近世社会はかつてこの原則の実現に成功したこともなく、また今後といえども決して成功することはないだろう。(p17)
日本でも江戸幕府は幕府は全ての人々のために、と口では言っていたかもしれないが、近世以降現代に至るまでもそんなことが達成されたことはありません。結局、支配者のための政府にしかなりませんでした。
  • 人類の歴史におけるこの個人の主我では、多数の学者が「個人主義」または「主我心」の名の下に主張する浅小無知の狭量とはまったく、さらに広大な、さらに奥深い何ものかであったのだ。(p18)
クロポトキンは、これから謎めいた「広大な奥深い何ものか」について説いてくれるのです。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
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「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
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