日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2018年03月

人間の集団について その7

現在のベトナムではオートバイをたくさん見るが、司馬さんが訪れた40年前も同じであったらしい。


  • 「オートバイのあるこの消費生活を守ろう」
     という目に見える次元のものでは高邁な虚構にはならず、高邁な虚構がなければ教団の形成はできないのである。(p104)
私がベトナムに行った時も、人々は家族をみんなバイクに乗せて町をあちこち走り回っている。現地のガイドに彼らはどこに向かって走っているのか聞いたところ、ただ走っているのだ、と答えてくれたことを思い出しました。
  • 日本人は外来のものの型を崩して土着のものと習合させたりする。本地垂迹説があらわれるのは早くも平安初期である。土着神よりも外来神である仏のほうが上であるとし、土着の神々もまた人間と同様迷うとする。かつ、神々は仏法をよろこび、仏法を導崇するとする。土着神が仏法をよろこんで菩薩号をうけたり(たとえば八幡大菩薩)権現号をうけたり(蔵王権現)する。さらには天照大神は大日如来が日本に垂迹して姿だというような本地垂迹説がうまれた。仏教が日本に居つくには、こういう思想的操作が必要だったにちがいない。(p106)
日本は外からの文化・文明を受け入れ続けてきて、その方法はこのようなものであったが、なぜそのような方法を採用したかについては分からない。拒否したり丸ごと受け入れるという方法をなぜ採用しなかったか?守るべきアイデンティティがあったのか、あるいは異種の文化の形式を受け入れて変容すること自体が日本人のアイデンティティであるのか?
  • 人種的偏見というのはステレオタイプ(紋切り型)としてつくられた。(p126)
人種偏見は中国の周辺国の特徴としてあります。
  • ベトナム人だけの問題ではなく、中国人をのぞき、アジア人は一般に小異にきびしくて大同を忘れることがあり、この点は日本人の場合もかわらない。ただ日本人は商売をするときに会社でやるために、会社への忠誠心という別な場でそれが保たれている。一般にアジア人というのは、知識人になればなるほど小異にやかましくなり小異についての論理がするどくなる。(p132)
確かに今の日本も隣国間の関係がよろしくありません。私が国際機関で働いていたころ、やはり朝鮮人とは外見も似ているし発想も似ている、と思ったことがある。アメリカ人やヨーロッパ人なんか日本人と発想がまるで違ってついていけないと思ったものだ。
ところが日本に帰ってみると日本人は小さなことを気にしてアレコレ言っている。これは近づくと小さなことに目が付きやすいからだとろうと思う。
実際、ヨーロッパの国々も隣国とは仲があまりよくないようです。
やはりアイデンティティを守ろうとするところから来ているのでしょうね。

人間の集団について その6

ベトナムという国の民族は、他の民族と違ったところがあるという。


  • 民族のためというスローガンは集団の昂揚のために必要でありつづけているが、普通人のためというスローガンがベトナムにおいては存在しないのである。(p95)
つまりナショナリズムが存在しないということでしょうか。

日本の場合、歴史的には外からの侵略の恐れのたびナショナリズムが沸き起こったが、ベトナムでは実際に侵略を受けてきたがそのようなことが起きなかったということです。
ベトナムにはちゃんと個人主義があるらしい。これは中国の個人主義、家族主義に関連しているのかもしれません。
ナショナリズムが為政者によって悪用されがちな今の時代においては、このような民族性はかえっていいことではないでしょうか。
  • 一つの国に育って、そこで成長した政治思想が、事情のちがう他の国に移植できるということはもはや迷信であると人類が思い知った時代にわれわれは生きている。(p80-81)
帝国主義というか覇権主義の弊害について人類は20世紀にいやというほど知らされてきた。しかし、東西冷戦の終結後かえってこのようなイデオロギーの復活しているのを知っている。
日本ではどうだったでしょうか。
  • 日本人はこの島国に一つの民族として何千年も住み、相互に影響しあって個が成立しにくいほど似てしまい、日常的にも歴史的にも相互に監視しあい、相互に心理的記号のような(相互のみ通用するようなササヤキとしての)日常語をつかい、ついには集団として特殊化して異郷や普遍的政界に踏み出しにくくなっている。(p96-97)
この日本の特殊性は長らくガラパゴスと自虐的に呼ばれたものだが、グローバル時代にも政策やメディア戦略によって固く守られてきました。
  • 宗教が後退すると国家がぬかりなくその役割を果たしている。たいていの人間は、タコ糸の切れたタコになりたくないのである。この点、群れに群れて、その上成年男子のたいていが会社に属している日本の社会からみると、他の地域のこのあたりのことがわかりにくい。(p103)
今の日本を苦しくしている原因がここに指摘されている。個人主義のベトナム、集団主義のベトナム。実際にベトナムに行かないと気づけないことです。それにしてもタコ糸にコントロールしてほしい日本人の集団主義とそれを利用して国民を統治しようとする政府の思惑には注意しなければなりません。

人間の集団について その5

東洋の組織を治めるには、どうしても「聖人」の要素が必要なようです。


  • 中国人は毛沢東の出現を「聖人出ヅ」と受け取っているということを外して中国の事情を理解することはできないと私は思うが、これは政府側が間断なくおこなっている宣伝の成果であるとは思えない。大衆というのは、どの人が老苦力であるかということが日本人が西郷をいまなお愛し続けているように感覚でわかるのである。(p79)
そういえば、習近平が汚職問題対策にに力を入れて国内で台頭していったことは、彼が現代の中国人も聖人を求めている、ということを知っているからなのだろう。一方の、日本の首相は組織でのし上がるのは権力だけだと思っているので、破綻をきたしているということが言えるのだろう。
  • 人間は孤立しては棲めない生物である。アフリカのシマウマのように群れて棲み、社会をつくって生存を保つのだが、しかし、都市生活はときに個々に孤立に似た状態を強いる。それに堪えられなくなったとき、たとえ短時間でも激しく群れたがる。(p72)
近代の都市生活というものは人間の動物としての本性から逸脱した生活を強いる。多くの人々は、そのことに気づいていないが、動物としての本性を抑えきれなくなったときに爆発する。
  • われわれは、人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代に生きている。それが19世紀のひとびとが思った人間の崇高さや高貴さをおとしめるものではなく、むしろいまとなっては、逆に人間の状況を破壊から救い出す唯一の拠点といえるかもしれない。われわれが処理しがたくなった巨大な消費文明の排泄が人間を腐らせつつあることから救いだすのも生物学的拠点からであろうし、反体制運動が政治学的世界よりもむしろ、生物学的世界になってしまっているところを冷静にみとめる次元もそうである。(p73)
きわめて重要な指摘である。司馬さんの指摘から40年以上の時を経て、社会はますます都市化し人間の分断を進めてきた。切り離され単体になった人々は生物としての人間として生きて行くことすら困難を強いられているのです。間に合うかどうかわかりませんが、司馬さんのこの指摘を冷静に読み日々の生活の中でどう対応できるのか考えていかねばなりません。

人間の集団について その4

司馬さんはアジアの文明について議論する。


  • 元来、人間の素朴な暮らしにとって国家は不要なものである。(p55)
全く同意です。人間の生活が素朴でなくなった時(複雑になったとき)国家という組織ができたのです。
  • 近代以前において、アジアで王朝国家をつくる形成は、二種類あった。ひとつは中国式で、ひとつはインド式である。
     どちらも、日本の鎌倉以後の歴史にみられるような多分に競争をたてまえとする社会ではなく、社会を停頓させることによって安定を図ろうとするやりかたである。(日本では徳川幕府がちがう形式の国家ながらそれを意図したが、江戸中期以後の西日本諸藩の産業的な膨張欲まではおさえることができなかった。
     インド式国家が永く安定しえたのは、民衆のインド的諦観の思想の上に王権が薄べりのように軽くひっそりと乗りかかってところにあるらしい。さらにインドの身分制(カースト)をまねた制度をつくって民衆を分断した秩序の維持に役立った。(p57)
アジアの封建制は長い平和な時代を維持することができたが、社会の停滞を招いた。アジアが西洋近代というものとの邂逅がなければそのまま平和な時代が続いていたでしょう。
ところが西洋近代という概念が入ってきて状況は急変しました。
  • 国民国家とは、王朝国家とちがい、国民がどの所属する国家を自分のものとして感じ得る国家体制のことである。といえばいいが、国家の側からいえば体はいいが、その国家に居住する人民をして「この国家の君のものであり、君が守るべきものだ」という前提において、よろこんで兵役に服せしめ、また重税を課し、あるいはよろこんで国家的労働に就かしめる体制をいう。(p59-60)
「国民国家」についての分かりやすい定義です。アジアの封建国家とヨーロッパ近代の国民国家がどう違っていたのか理解できます。
西洋近代のシステムをアジアに導入することはきわめて困難なことでした。
  • 「アジアには聖者願望というのがある」といって、そのひとは、やはり大連埠頭の苦力社会でのそっくりの話をしてくれた。
     苦力の生活は、人間以下のものであった。仕事はつらく、賃金はやっと生きられる程度しかもらえず、明日に希望がなく、国の政治に何の期待ももてない。そういう状況の中で苦力たちは聖者をつくるのである。心がやさしくて聡明な老苦力をえらび、その老苦力の重大な意味をたがいに感じあうのである。重大な意味とはどういうものかということになると、私はもううまく説明できない。…中国人のなかの願望の王というのは、聖人と同義語なのである。(p68-69)
中国人の中には古代における堯や舜のような聖人が王(天子)であるという願望があるのでしょう。これは中国文明から大きな影響を受けた日本にも残っているらしく、司馬さんは日本人の西郷隆盛への人気を挙げています。正統の政権の大久保利通に対する聖人、西郷隆盛。一方、中国でも正統の劉少奇に対する聖人としての毛沢東をなぞらえています。

人間の集団について その3

そもそも戦争とはどうして起こるのでしょうか。司馬さんによると、自分で自分の中で作り出した幻影を対象に投射して攻撃することからはじまる、というのです。


  • 「日本人は12才の子供だ」
    と、日本に進駐してきた米国の元帥がいったが、その軍人の母国は、たしかに日独伊の世界戦略というどうにも現実性のない大虚構をぼう大な火力でほろぼしたものの、そのあと皮肉なことに元帥のいうように12才の子供になってしまった。第二次世界大戦のあと、米国は「反共」を軸とする世界政策をもってしまったのである。
     反共というこのふしぎな思想(思想というような魔術のようなものが)ほど20世紀後半の政治を混乱させてきたものはない。だれが社会主義者であれ、またどの国が社会主義体制をとろうが、あくまでそれぞれの事情によるもので他者にとっては、ほとんど意とするに足りないものであるのに、ひとたび反共という魔術がかかる場合、視界にことごとく幼児のような幻影が立ちあらわれ、それを退治するためにありとあらゆるものを犠牲ににしてもかまわないという呪術的昂奮に駆られている。この呪術的興奮が、第二次世界大戦後の米国の権力者たちを夢中にさせた。(p31-32)
確かに、第二次世界大戦後の冷戦中だけではなく、冷戦終了後に続く地域紛争もアメリカの権力者たちが自らの頭の中に作り上げた幻影に対するリアクションであったことがよく分かります。
  • 自己がつくった幻影におびえ、それにいどみ、それがためにインドシナ半島の密林にぼう大な量の火薬をばらまきに行ったのだが虚構というのは物そうというものである。(p33)
考えてみれば人間の意識はどんなものでも作り出す機能がある。意識の作り出した幻影におびえる人間は何をしでかすかわかったものではない。
  • 米国は歴史的に民主主義の本山であることはまちがいない。米国を成立せしめたこの政治思想は思想というより現実感覚そのもので、他のどの思想よりも、思想が本来必要とするはずの虚構の量がすくなかった。…しかし米国が「反共」のための世界政略をもったときからこの伝統は対外的には変容したといっていい。(p34)
アメリカの第二次世界大戦後から今日までの血塗られた歴史を見ると幻影に踊らされたという司馬さんの指摘は全く当を得ている。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
をご覧ください。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
アーカイブ
Yoshiのアーカイブ
Yoshiの他の媒体の過去記事は、以下のリンクでご覧いただけます。
勇気の出る名言集
ギリシア・アルプスの旅
田捨女の不徹庵手記
安全文化論
よそみの楽しみ
最新コメント
メッセージ

記事の内容に関するご意見・ご質問、お問い合わせ等はこちらへどうぞ。

名前
メール
本文
アプリでフォローする
QRコード
QRコード
サイト内google検索
記事検索
yoshiのtweet