早いもので今年も終わろうとしています。
かつては一年の終わりというものに感慨を持ったものだけれど、最近はそういうものを感じることがあまりなくなったように思う。あんなことがあった、こんなことをした、といったことをしみじみと思うこともない。
なぜかと考えてみると、毎日がそれぞれかけがえのない日であって、充実しているからだろうと思う。だから何か一日や一年の目標があるわけでもなく、一日を終えて眠りに就く時も、感謝以外の思いはなく、何の悔いもない日々を送らせてもらっている。
だから、もし今、人生が終わるとしても何の悔いも残らないだろう。
そういえば、この頃、不足だとか不満だと思うことがほとんどなくなった。かつては自分がこうあるべきだとか境遇に対して不足や不満を感じることがあったが、最近は自分のありさまや与えられたことに対して不足を感じることがない。
朝、目が覚めた時も、感謝で新しい一日を迎え、朝ご飯をおいしくいただき、お茶を楽しみ、好きな本を読み・・・。
いわば、今を楽しめるようになったのだと思う。
そうだ、今を楽しめるようになったと言っていいだろう。
人からあなたは何を目標に生きているのか、とか聞かれたらこう答えよう。今、新しい気づきを喜び、感謝していると答えよう。
かつては一年の終わりというものに感慨を持ったものだけれど、最近はそういうものを感じることがあまりなくなったように思う。あんなことがあった、こんなことをした、といったことをしみじみと思うこともない。
なぜかと考えてみると、毎日がそれぞれかけがえのない日であって、充実しているからだろうと思う。だから何か一日や一年の目標があるわけでもなく、一日を終えて眠りに就く時も、感謝以外の思いはなく、何の悔いもない日々を送らせてもらっている。
だから、もし今、人生が終わるとしても何の悔いも残らないだろう。
そういえば、この頃、不足だとか不満だと思うことがほとんどなくなった。かつては自分がこうあるべきだとか境遇に対して不足や不満を感じることがあったが、最近は自分のありさまや与えられたことに対して不足を感じることがない。
朝、目が覚めた時も、感謝で新しい一日を迎え、朝ご飯をおいしくいただき、お茶を楽しみ、好きな本を読み・・・。
いわば、今を楽しめるようになったのだと思う。
そうだ、今を楽しめるようになったと言っていいだろう。
人からあなたは何を目標に生きているのか、とか聞かれたらこう答えよう。今、新しい気づきを喜び、感謝していると答えよう。