では、現在の日本社会をどのような形態で表現することができるでしょうか。私は、図2と図3の折衷的な構造として、図4のように表現してみました。
日本には引き続き大きなエネルギーを持つ世間(海)が存在しています。このような巨大な世間のエネルギーを管理して近代国家を作るため明治以降、日本人は大変な努力をして西洋の社会の基礎(システム)を導入してきました。しかし、残念なことには、輸入したシステムと日本の文化・歴史はあまりにもかけ離れているので、船を支える姿は不自然で不安定です。世間のエネルギーが高まって、波立てばバランスを失い。社会ルールの支えから振り落とされ波(世間)に流され、基礎から遠く離れてしまいます。基礎を失った人々は新しい基礎を探し求め、目
新しい基礎に飛びつく。例として、太平洋戦争に負けた際に慎重な判断もなく戦前のすべてのシステムが悪かったかのように捨て去り、アメリカから導入された民主制を歓呼して受け入れたこと、バブル崩壊後、構造改革と称して米国式の金融の考え方を導入したこと等をあげることが出来ます。
そこで現代社会のこのような問題点に対応するためには、以下の3つのオプションが考えられます。
① 昔の長屋時代(図2)に戻る
② 西洋式の強固な社会システム(図3)を構築する
③ 現状のシステム(図4)を修正する
皆さんもご承知の通り、①に戻ることは不可能であると思われます。②は現代まで日本人かたゆみなく努力してきたところですが、木に竹を継ごうとしているような次第で、世間の海のエネルギーに耐えられるような強固な社会システムの構築は困難と思われます。
残るは③ということになります。私は、現代の日本人が目に見える②の仕組みで生活しているということを信じすぎている、あるいは隠れた世間のエネルギーというものを過小評価し過ぎているのではないかと思っています。現代社会においても、引き続き世間のエネルギーはコントロール不能なほど大きく、時として社会問題を引き起こしているのです。
そこで私は、2つ提案したいことがあります。一つ目は、われわれは現代日本社会においても厳然として世間の論理・力学が働いていることを認識するべきだということです。二つ目は、社会の基礎から流された時でも、基礎を捨ててしまうのではなく元の基礎に戻ってきて、今まで営々として構築してきた基礎の弱点を見出し補修・補強を行うことです。そうすることによって社会の基礎を強化することができ、より安全な社会を作ることができます。
日本では、大きな労力を払い築いてきた社会の基礎から一度世間の海の波浪で流された際、その基礎そのものか適さないとして見捨てることが多いように思います。日本の社会システムに継続性がないといわれるゆえんではありますが、余りにももったいないことだと思います。
世間のエネルギーに翻弄され、「超法規的措置」を取らされた場合においても、日本のハイブリッドシステムの何に問題があったか真摯に解明し対策・補強を続けていくことが肝要であると考えております。
これで安全文化論Ⅺ章「世間の研究-人間はなぜ反省しないのか」は終了です。オリジナルはこちら。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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