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過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2015年06月

安全文化論Ⅺその6

では、現在の日本社会をどのような形態で表現することができるでしょうか。私は、図2と図3の折衷的な構造として、図4のように表現してみました。
 ハイブリッドシステム
日本には引き続き大きなエネルギーを持つ世間(海)が存在しています。このような巨大な世間のエネルギーを管理して近代国家を作るため明治以降、日本人は大変な努力をして西洋の社会の基礎(システム)を導入してきました。しかし、残念なことには、輸入したシステムと日本の文化・歴史はあまりにもかけ離れているので、船を支える姿は不自然で不安定です。世間のエネルギーが高まって、波立てばバランスを失い。社会ルールの支えから振り落とされ波(世間)に流され、基礎から遠く離れてしまいます。基礎を失った人々は新しい基礎を探し求め、目
新しい基礎に飛びつく。例として、太平洋戦争に負けた際に慎重な判断もなく戦前のすべてのシステムが悪かったかのように捨て去り、アメリカから導入された民主制を歓呼して受け入れたこと、バブル崩壊後、構造改革と称して米国式の金融の考え方を導入したこと等をあげることが出来ます。
そこで現代社会のこのような問題点に対応するためには、以下の3つのオプションが考えられます。
昔の長屋時代(図2)に戻る
西洋式の強固な社会システム(図3)を構築する
現状のシステム(図4)を修正する
皆さんもご承知の通り、①に戻ることは不可能であると思われます。②は現代まで日本人かたゆみなく努力してきたところですが、木に竹を継ごうとしているような次第で、世間の海のエネルギーに耐えられるような強固な社会システムの構築は困難と思われます。
残るは③ということになります。私は、現代の日本人が目に見える②の仕組みで生活しているということを信じすぎている、あるいは隠れた世間のエネルギーというものを過小評価し過ぎているのではないかと思っています。現代社会においても、引き続き世間のエネルギーはコントロール不能なほど大きく、時として社会問題を引き起こしているのです。
そこで私は、2つ提案したいことがあります。一つ目は、われわれは現代日本社会においても厳然として世間の論理・力学が働いていることを認識するべきだということです。二つ目は、社会の基礎から流された時でも、基礎を捨ててしまうのではなく元の基礎に戻ってきて、今まで営々として構築してきた基礎の弱点を見出し補修・補強を行うことです。そうすることによって社会の基礎を強化することができ、より安全な社会を作ることができます。
日本では、大きな労力を払い築いてきた社会の基礎から一度世間の海の波浪で流された際、その基礎そのものか適さないとして見捨てることが多いように思います。日本の社会システムに継続性がないといわれるゆえんではありますが、余りにももったいないことだと思います。
世間のエネルギーに翻弄され、「超法規的措置」を取らされた場合においても、日本のハイブリッドシステムの何に問題があったか真摯に解明し対策・補強を続けていくことが肝要であると考えております。

これで安全文化論Ⅺ章「世間の研究-人間はなぜ反省しないのか」は終了です。オリジナルはこちら

本日もお読みいただきありがとうございました。 

安全文化論Ⅺその5

4. 「世間の原則」と「社会のルール」

ここで長屋における「世間の原則」と「社会のルール」の関係を考察してみたいと思います。まず、「世間」とは「原則を身につけて渡っていく」ものと言うことができるでしょう。一方、「社会のルール」とは社会(あるいは世間)で生活する上で最小限度必要な決め事と定義することかできるでしょう。このような状態を図2のような海に浮かぶ船になぞらえることができます。
世間と社会のルール


世間の中で生きるには、最低限度の社会ルールを守らねばならない。ルールを守ることは最低限世間を渡るために必要な条件となります。これらを守らない人々は「村八分」「勘当」とかの扱いを受けることになります。したがって。この条件が満たされて初めて世間に船出することが出来るのです。しかし、船があっても船の操り方をマスターしていなければ、座礁・漂流するなどして遭難する。自分の進むべき方向性を持っていることが第一である上に、その方向へ操舵する技能としての世間の原則をマスターしておかなければなりません。
 一方、西洋型の社会では、図3のような構造物になぞらえることができるでしょう。
社会の構造
 
欧州文化の根底であるキリスト教を基とした思想、ギリシア・ローマ文明を基とした社会全体の了解という強固な理念が社会の基礎を形成しているのです。このような基礎から、個別の問題について法令や契約等のルールが詳細に定められてきます。

本日もお読みいただきありがとうございました。 

安全文化論Ⅺその4

3. 長屋における「社会ルール」

それでは、長屋における「社会」のしくみとはどのような形で見ることができるでしょうか?前回は「社会」を「明確化された法令等の規範・ルールの前提の下で組織と個人との間に権利義務等の関係(契約)が規定される関係」と定義しております。そのような関係は、この物語の中では以下のような所で見ることができます。
栄吉が差配の新兵衛と裏店の賃貸に合意をして店を借りることに決まって、大家に金を支払い、印判のある店賃証文を受け取るという場面がある。このように江戸時代の長屋でも明確な契約手続きがあったことをあらわしております。
また、栄太郎が博打打ちや平田屋から金を借りた時にも証文を書いており、この始末のために京やは積み上げた財産をほとんど失ってしまう。この時におふみは、後のことを考えることなく直ちに返済している。このことから金銭の貸し借り等の社会のルールが人々にいかに尊重されているかということを知ることができます。
この辺のおふみの様子を見ると、江戸時代の日本人は契約に律儀な人々だったことがわかります。栄太郎の姿は、金が足りないといって安易にローンに頼り、返せなくなったと言って自己破産するという現代人の無責任な姿とダブります。また、返済能力のない栄太郎に金を借りろ借りろと勧める平田屋の姿は、現代日本の金融業界の姿そのものではありますまいか。
次に登場する厳しいルールは、相州屋の土地・建物の沽券状である。相州屋の妻おしのが江戸屋の女将秀弥に沽券状(権利書)の管理を委ねる。現在では不動産は国に登記されていますが、江戸時代は個人から個人への譲渡されるものであったようです。
もう一つが平田屋の庄六と傅蔵が結んだ起請文。起請文とは本来、約束を神仏に誓うというものであった。約束を破ったら神仏の罰を受けるという意味合いです。起請文の様式は、先ず約束の内容を記述し、その後に約束を破ったら神仏からこのような罰を受けます、というのが一般的です。しかし、この物語での起請文には神仏の罰を受けます、ということがないようです。傳蔵が庄六と起請文を結ぼうといったのは、神仏に代わって自分が庄六に罰を与えようという意図であったようです。
以上のように、この物語の中から読み取れる江戸時代の長屋において、明確な書き物として表現されている社会の基本ルールは、金や不動産などの価値の高いものの譲渡などに係る店賃証文、沽券状、起請文等の契約に係るものに限定されていたことがわかります。
現代社会は、法令をはじめ文書化されたルールで人々ががんじがらめになっていますが、江戸時代の長屋では、実にシンプルでありながら、現代同様あるいはそれ以上に律儀かつ厳格に守ることが要求されていたことがわかります。

本日もお読みいただきありがとうございました。 

安全文化論Ⅺその3

2. 長屋における「世間の原則」

少し長い引用になりましたが、お分かりいただけるように、この物語は家族の葛藤と和解というのが、主なテーマですが、長屋における世間という舞台がなければ成立しない物語であるということかお分かりいただけると思います。
それでは、この物語における「世間」の基本原則を紹介しながら長屋という世間を分析していくことにしましょう。
まず、栄古は、京都の豆腐屋という世間から出て江戸深川の裏店という異なった世間に入ろうとします。彼は。京と江戸の豆腐のサイズ・味の違いという製品そのものの違いは直ちに理解するものの、裏店での世間の渡りかたを知らないために困惑する。(ここで世間を渡るという表現も印象的です。暮らすといった具体的な表現に比べると不安定な所をバランスを取りながら進めて行くというニュアンスを感じます)。
栄吉が新しい裏店という「世間」に入るに当たって、どのように行動したかを確認してみましょう。この物語では最初は挨拶が大切であることを教えてくれます。物語では棒手振りの嘉次郎は、おふみに商いを始める前に、町内にきちっと挨拶することを求めています。(①「挨拶の原則」)
次に栄吉が自分の生い立ちを源治に語るが、新しく世間に入っていく人間が自分はどのような人間かを示さなくてはならないという原則を示している(②「自己開示の原則」)。ただし、自己開示しただけでは、その世間には入れてもらえない。入っていく人間の人間性が「正しく筋の通った」ものでなければならない。(③「正義(筋)の原則」)
これは、源治は栄吉から身の上話を聞き、親に邪険にされたとは言え、親に疎遠であることを指摘し、それを直すことを条件に裏店世間への参加を許可していることから読み取れます。源治はさらに「深川てえところは、貧乏人が助け合って暮らすところだ」と「助け合いの精神」を求める(④「助け合い(ボランティア)の原則」)。
次に面白いのは、異なった「世間」グループの不介入の原則である。相州屋の清兵衛は平田屋が京やの永代寺への喜捨を止めさせようと干渉した時に「あたしの町内のことだ、他町のおまいさんにあれこれ詮議される筋合いはない」とキッパリ拒否する。長屋という世間は独立性を持ち、お互いの干渉をしてはならないという「世間」の哲学がここに現れている。別の世間からの干渉は無用であるということを明確化している。(⑤「不干渉の原則」)
また、浅間山の大噴火で大豆の値が上がって、平田屋を中心とした豆腐屋の組合が、栄太郎に京やの豆腐も値上げすることを迫る場面も、現代日本にも残る「世間」の力学である。(⑤「談合の原則」)
この原則は、④「助け合いの原則」の裏面を示しているということができるかもしれません。談合に関与する「世間」のみに限定すると「助け合い」なのですが、その外に対する影響には⑤の「不干渉の原則」を取ることになります。
このように長屋という世間は、小さな単位で成り立ち、世間同士の干渉あるいは迷惑が発生しないことが原則になっていますが、個人が別の世間を共有することになると、このような複合世間をつくることになります。このような複合を形成した場合、どちらを優先するかというジレンマに陥ります。この問題を解決するのに、この物語で清兵衛は③正義の原則を優先させましたが、現代社会では、しばしば談合の原則というネガティブな面が優先された結果、事件となっているケースを多くみかけるように思われます。
これらの「世間」の基本原則を図式化すると図1のようなものとなります。このような、図式は単に江戸時代の長屋での生活に留まらず、現代の日本社会にも通ずるものであることが理解していただけると思います。
世間の基本原則
 
本日もお読みいただきありがとうございました。 

安全文化論Ⅺその2

1. 「あかね空」のあらすじ

時は宝暦12年(1762年)8月の江戸深川蛤町の裏店(長屋)に、京都から栄吉という豆腐職人が訪れるところから物語が始まる。

  • 栄吉は京都東山の貧農の三男。両親に疎まれ12歳の時に豆腐屋「平野屋」に奉公に出る。暖簾分けの時期になるが、両親のそばで店を開くことを嫌い江戸に出て店を開こうとする。
  • 栄吉は、桶職人源治の娘おふみに助けてもらい、良い井戸のある裏店を借りることにし、大家に支払いをすませ、店賃証文(契約書)を受け取る。
  • 栄吉は、源治家の夕食に招かれる。源治は、栄吉の話を聞き、両親と連絡を絶っていることに意見をする。さらに栄吉に両親と連絡を取り仕送りをすることを約束させた上で、栄吉を受け入れ豆腐屋の道具誂えを請け負う。
  • 栄吉は、豆腐屋「京や」を裏店に開店する。物珍しさが受けて初日は売り切れる。
  • 豆腐の担ぎ売りをしている嘉次郎は、裏店に顔を見せた時、栄吉か挨拶しなかったことに不満を感じるが、京やの豆腐が美味であると評価する。
  • 二日目以降豆腐は、さっぱり売れなくなる。嘉次郎は、おふみに「商いを始める前に、町内に出入りの俸手振りや近所の店にきちっとあいさつをしろ」と伝える。また余った豆腐を永代寺に喜捨することを示唆する。
  • 源治は栄吉に、「深川てえところは、貧乏人が助け合って暮らすところだ…」とたしなめる。
  • 栄吉は永代寺門前の豆腐屋「相州屋」清兵衛に永代寺に喜拾することの許しを願う。清兵衛は良い返事こそしなかったが、否定もしなかった。
  • 嘉次郎に豆腐を卸している豆腐屋「平田屋」庄六は、深川での勢力拡大を目論む。相州屋に京やの永代寺への喜拾をやめさせるように迫る。清兵衛は、「あたしの町内のことだ、他町のおまいさんにあれこれ詮議される筋合いはない」と突っぱねる。
  • 永代寺では京やの豆腐が好評で、買ってもらえることになり、京やの商いは軌道に乗る。栄吉はおふみと結婚する。
  • 相州屋の清兵衛は、栄吉・おふみの祝言の朝、この世を去る。妻おしのは栄吉を行方不明の息子・正吉になぞらえ、料亭「江戸屋」の女将、秀弥に沽券状(権利書)を預け「正吉が訪ねてきたら渡す。20年過ぎても正吉が現れなかったら京やに貸してほしい」と伝え、江戸を去る。
  • おふみが長男・栄太郎を産む。おふみが誤って栄太郎にケガをさせる。おふみは、栄太郎をねこかわいがりし、次の子を産まないと八幡様に約束する。
  • おふみは次男・悟郎と長女・おきみを産むが、父源治・母おみつが長女おきみがかかわった原因により相次いで亡くなる。おふみは、八幡様との約束を違えたためと、悟郎とおきみを遠ざけるようになる。
  • 栄吉は、栄太郎を材木屋に奉公させ、19歳のとき京やに戻す。江戸屋のほからいで相州屋を借してもらうことになり、家族5人心を一つにして京やの仕事に励む。
  • 天明3年浅間山の大噴火により、大豆の値段か高騰するが、栄吉は豆腐の値段を上げようとしない。
  • ヤクザが栄太郎に5両の借金の取立てに来る。豆腐屋の組合が、値を上げない京やの気を変えさせるため、傅蔵親分の賭場に栄太郎を誘っていた。
  • 江戸屋が栄吉に相州屋を買わないかと持ちかける。栄吉がおふみに告げたところ、栄太郎が博打で負けて金がないことを知る。栄吉は栄太郎を勘当し、失意の内に52歳の生涯を閉じる。
  • 栄太郎は、京やに戻る。おふみと子ども3人で豆腐つくりを再開する。おふみは、栄太郎に京やを継がせることに熱中する。
  • 栄太郎の博打は止まらず、家族喧嘩となり、栄太郎は30両と引きかえに、悟郎に店を譲ると言い、おふみは有り金すべてを栄太郎に渡す。栄太郎は京やを出て、鳶の政五郎に身を寄せる。
  • 悟郎、すみと結婚する。おふみは悟郎が結婚しても栄太郎が帰ってきて後を継がせる気である。
  • おふみが倒れる。おふみは栄太郎に京やの後を継がせると遺言する。おふみの葬式は栄太郎が仕切り、栄太郎は鳶の政五郎に手配を頼む。
  • 平田屋の庄六は、栄太郎をだまして返金の時に焼却しなかった証文一枚を種に、京やを乗っ取ろうと企て、傳蔵に協力を求める。傅蔵は、きたない平田屋の仕事に乗り気がせず、庄六をこらしめるため彼と起請文を交わす。
  • 京やの兄弟3人が言い争いをしている所に、鳶の政五郎が弔いに訪れる。悟郎とおきみの言い分を間いた上で、隠されたおふみと栄太郎の家族に対する気持ちを伝える、兄弟たちは、お互いを思いながら素直になれない状態を反省し、和解する。栄太郎は、京やを悟郎に任せ、自分は鳶になることを表明する。
  • そこへ庄六と傅蔵がやってきて庄六が証文をもとに、おふみの初七日に京やを引き渡すことを要求する。傳蔵は細工をした起請文により平田屋の身代をそっくり巻き上げる。
  • 傳蔵は、おれたちやくざに勝てるのは家族の和が何よりであると京やの人々に告げる。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
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「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
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