日々の気づきノートです。

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過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2015年02月

福沢諭吉の文明論(58)

さて、いよいよ最後の章は、
第十章 自国の独立を論ず
です。

冒頭、八章、九章を概括します。

西洋諸国と日本との文明の由来を論じ、その全体の有様を察してこれを比較すれば、日本の文明は西洋の文明よりも後れたるものといわざるを得ず。

と言い切っています。そして、文明の進んだ国は後れた国を制するのである。そのことを後れた国が知ったなら、自国の独立できるかどうかが問題になる。
また、そもそも文明というものは広大にして人類の精神の達する所は、際限のないものである。外国に対する独立などという問題は、文明論の中では些細な一項目であるが、文明の進歩は段階的に行われるものであるから、その進歩の度に相当な処置が必要となる。
今、日本国民が自国の独立の心配をしているのであれば国民の精神のレベルがあたかもこの一事に限って他を顧みる余裕すらないレベルであることの証拠である。

うーん、参った。この懐の深さ。人間の精神の可能性に対する絶対的な信頼ですね。集団的精神はどこまでも進化する可能性を秘めていることが分かっているのです。先生は。
ただ、明治初期のこの時期、日本の独立について心配する状況だったのでしょう。その疑問に答えて最後の章を割いてあげますよ。老婆心ですよ、という感じで語っています。
そして、全体の文明論については、後学の諸君お願いね、と無責任ともいうべきメッセージを送っています。

尽く文明の蘊奥を発して、その詳なるを究るが如きは、これを他日後進の学者に任ずるのみ

それにしても重たい宿題ですね。福沢先生のお弟子さんの中でこの宿題を果たした人がいるのかなあ。私は、先生の文明論に出会っただけで幸せですが。

さて、戻りまして。

西洋の文明に及ばないことを知った日本の識者は何をしたか。

世の識者、我日本の不文なる所以の源因を求めて、先ず第一番にこれを我古風習慣の宜しからざるに帰し、乃ちこ古習を一掃せんとして、専らその改革に手を着け、廃藩置県を始として都て旧物を廃し、・・・富貴福禄はただ人々の働次第にて、いわゆる功名自在、手に唾して取るべきの時節と為り、開闢以来我人民の心の底に染込みたる恩義、由緒、名分、差別等の考は、漸く消散して、働の一方に重心を偏し、無理によくこれを名状すれば、人心の活発にして、今の世俗にいう所の文明駸々乎として進むの有様と為りたり。

西洋との比較において文明の遅れを自覚した日本の識者たちは、その原因を求めて古い習慣が悪いと考え、廃藩置県を始めとした改革を断行した。その結果、貧富は人々の働き次第で手に入り、開闢以来、日本人の心に染込んだ恩義、由緒、名分、差別の考えは消散して、働きに重心を移して、言ってみれば人心が活発化し、今の世間では文明が駸々として進んでいくようであると。

ところが、福沢先生は、この後そんなこっちゃだめだよと言っておられるのです。それは一体なぜでしょう。それは明日のお楽しみ。

本日もお読みいただきありがとうございました。 

福沢諭吉の文明論(57)

このように日本では、権力の偏在とともに経済についても統治者と被統治者の考え方の違いが大いに問題だと指摘しているのです。
何となれば、

被統治者流の節倹勉強は、その形を改めて貪欲吝嗇と為り、治者流の活発敢為は、その性を変じて浪費乱用と為り、共に理財の用に適せず、以て今日の有様に至りしものなり。そもそも我日本を貧なりというといえども、天然の産物、乏しきにあらず、いわんや農耕の一事に於ては、世界万国に対して誇るべきもの多きをや。決してこれを天然の貧国というべからず。あるいは税法、過酷ならんか、税法過酷なりといえども、その税は集めてこれを海に投げるにあらざれば、国内に留て財本の一部分たらざるを得ず。然るに今日の有様にて、全国の貧なるは何ぞや。必竟、財の乏しきにあらず、その財を理するの智力に乏しきなり。その智力を両断して、上下各その一部分を保つが故なり。これを概言すれば、日本国の財は開闢の初より今日に至るまで、いまだこれに相応ずべき智力に逢わざるものというべし。 

またしても、福沢先生の獅子吼です。迫力ですね。権力の偏在の話と違ったことを言っているのかと思ったら、なーんだ経済でも同じだということを言いたかったのですね。すなわち、統治者と被統治者がお互い別々の思いを持って毎日暮らしているという問題なのです。その結果、上と下の智力が分断して有効に機能しないのです。

けだしこの智力の両断したるものを調和して一と為し、実際の用に適せしむるは、経済の急務なれども、数千年の習慣を成したるものなれば、一朝一夕の運動を以て変革すべき事にあらず。

なかなか日本の権利の偏在という風土病はやっかいです。確かに、個人の感覚としても政治と庶民大衆の距離は大きいと思います。かつてに比べると政府の施策を監視するという動きはあるのはあるが、それほど有効であるようにも思えません。
このような現状を見るにつけ暗澹たる気持ちになるのは私ばかりではないと思いますが、一番溜息をついているのは、福沢先生なのです。

蕩々たる天下の大勢は、上古より流れて今世に及び、億兆の人類を推倒して、その向う所に傾きしものなれば、今に於て俄にこれに抗抵すること能わざるもまた、宜なりというべし

獅子吼からこの溜息への展開、どうです。福沢先生のような偉大な精神を持った人でも日本の引きずっている文化のありさまに溜息をつかざるを得ないのです。
われわれも、大きな問題を目の前にして溜息とつくことがありますが、福沢先生の溜息を聞いてちょっと安心しました。余り偉大すぎる先生の姿ばかり見せつけられると疲れますもんね。

これで第九章の終わりです。楽しんでいただけましたでしょうか。

本日もお読みいただきありがとうございました。 

私の散歩コース

私たちが宝塚の仁川にあった社宅から今の家に引っ越してきたのは、阪神大震災の次の年なので、もう19年経ったことになります。引っ越した次の年に単身赴任が始まりましたので、実際に居た時間は半分以下ということになります。
単身赴任中も頻繁に帰宅していたので、帰宅時の休日の生活と大きく変わるわけではありません。
休日の楽しみな日課に散歩があります。散歩ではあるのですが標高200メートル位の荒川山塊を歩きます。町に居ながらにして自然の中に入っていくという贅沢な散歩なのです。
昨日は、午前中は母の確定申告作業、目途がついたのと暖かかったので思いつき昼ご飯の後、しばらく休んで14時頃に家を出ました。自転車で10分程度で鬢櫛山(びんぐしやま)登山口に到着。JR姫新線播磨高岡駅からだと南に100メートルほどのところに登山口があります。
CIMG1133
    ジャージに地下足袋
CIMG1118
登山口(送電線の巡視ルート)

コースは送電線の巡視ルートになっていて整備されております。岩場の急登ですが、地下足袋が岩場に吸い付くようで気持ちいいです。
最初のピークは大きな一枚岩になっていて名前はないのですが気持ちのいい展望台になっています。昨年までは、初日の出はここで拝んでいましたが、今年はメジャーな名古山に変更しました。
第一ピーク
    第一ピークの巨岩
姫路城を望む
     ピークから姫路城
白鳥城
      ピークから白鳥城

ここの展望台からは東に向けば姫路城、西に向けば白鳥城が望めます。ルードビッヒ2世のお城に対する執着は異常だが、考えてみれば日本のお城も信長の安土城、秀吉の大阪城、家康の江戸城も己の権威を示すためという意味をもった特殊な建築物だと思う。
姫路城も戦国時代が終わった以上、本来不要なものであったはずである。戦国大名たちにとっては城こそ権威の象徴だったのですね。だから池田輝政は姫路城を建てた。おかげで世界遺産・国宝姫路城が観光資源になっている。白鳥城がどのような欲求に基づき建てられたのかは定かではない。
第一ピークを下り、上り返して第二ピークへ。特徴のないピークだが送電鉄塔が立っていて、鬢櫛山を真正面に望むことができる。少しの登りで鬢櫛山頂上だ。
鬢櫛山
       鬢櫛山を望む
鬢櫛山頂上

鬢櫛山頂上(186M)

鬢櫛山は、播磨国風土記の記述の、「
梳匣落処者、即号匣丘」(梳匣(くしげ)落ちし処は、即ち匣丘(くしがおか)と号(なづ)く)という記述がありこの山のことだと私は思っている。風土記にまで記述されている有名な山なのだ。1300年前から愛された山なんですね。
このあたりで今年初めてのウグイスの鳴き声を聞く。初音です。
鬢櫛山を後に籾取山(もみとりやま)を目指す。
籾取山を望む   
   籾取山を望む
籾取山山頂

    籾取山頂上

籾取山頂上に到着。籾取山頂上には200.3m四等三角点標石(点名:籾取)と、三つに折れた小振りな石碑がある。石碑には「明治33年4月〇〇(文字不明)日 伏見宮貞愛親王殿下採蕨之跡」と刻まれている。明治33年というと西暦1900年で伏見宮親王は明治31年に日清戦争後の軍事拡張の一環として姫路に新しく第10師団が設立され、師団長として赴任している。その2年後に蕨採りに来たというのだ。日露戦争の前に師団長がワラビ採りというのも長閑でいいですね。
帝国憲法では天皇が大元帥なので皇族がみな軍人になったのですね。
明治34年には、第一師団長に栄転し、明治37年には日露戦争に出征している。
今年は戦後70年というけれど、その40年前が日露戦争なんですね。日本は40年以上戦争ばかりやっていたのに、負けてから戦争放棄という選択をして、70年間平和な世の中が維持できたということは奇跡のように思えます。普段は当たり前だと思っていますが。

散歩としては十分に身体が温まったので同じ道を引き返します。このまま縦走路を進むと苫編山を経て本徳寺廟所に至る。JR英賀保まで出れるので縦走しても交通至便です。

少しだけれどゴミが落ちていたので、拾いながら歩く。
ゴミを拾うというのは、いいことです。一つ拾えば一つきれいになる。拾うという行為が心をきれいにすることと一致します。ゴミを拾いながら下りると心がきれいになって下界に戻ることができます。
この山を歩く人は、山を愛する人が多いようで、ほとんど少なかったです。空き缶などは相当古いモノで、いかにゴミが少ないかということが分かりました。
拾ったゴミ
自転車で自宅に帰り着いたのは15時20分頃。自宅を出て1時間半かかっていません。この町は、自然を身近に味わうことができる素晴らしい所だと思いました。

お読みいただきありがとうございました。 

福沢諭吉の文明論(56)

おそらく福沢先生としては、前回で第九章の言いたいこと(日本文明の由来)は言い尽くしておられると思います。しかし、日本は権力偏重という歴史を引きずっている、と指摘しただけでは無責任と思ったか、処方箋を取って付けたように言及しています。

この権力偏重よりして、全国の経済に差響きたる有様も、等閑に看過すべからざるものなり。そもそも経済の議論は頗る入組たるものにて、これを了解すること甚だ易からず、各国の事態時状に由りて一様なるものにあらざれば、西洋諸国の経済論を以て、直ちに我国に施すべからざるは固(もと)より論を俟たずといえども、ここに何れかの国に於ても、何れの時にありても、普く通用すべき二則の要諦あり

といって、読者の期待を盛り上げてくれます。日本の風土病ともいうべき権力偏重に利く薬とはと耳をそばだてると、

即ちその第一則は、財を積てまた散ずることなり。而してこの積むと散ずるとの両様の関係は、最も近密にして、決して相離るべきものにあらず。積は即ち散の術なり、散は即ち積の方便なり。・・・経済の要は、決して費散を禁ずるにあらず、ただこれを費しこれを散じたる後に、得る所の物に多少を見て、その費散の得失を断ずるのみ。

ということで、余り珍しいことを言っているわけではなさそうです。
しかし、ちょっと気づいたのは最近よく取り上げられるトマ・ピケティの「21世紀の資本」です。ピケティは現代社会の格差を発生させている要因は、資産収益率が経済成長率よりも高いことによる、ということだそうですが、財を積み(資本を積み上げて)また散じることで経済成長が起こればこういったアンバランスは発生しないようにも思い、福沢先生は実はいい指摘をされているのかもしれません。
福沢先生のイメージは資産を積み上げた人はすべて使い切ってしまうだろうから散ずることによって全体が潤うとお考えになったにちがいありません。しかし、現代の世界は金余りで貯めた資産を散じることによって実質経済以上の儲けを発生してしまうのでこうなるのかな、と素人考えをしています。 専門家の方、もしご存知なら教えてください。 
権力の偏在も問題だけれども資産の偏在も文明の進歩に余り良い影響を与えないように思います。 

次に第二則、財を蓄積しまたこれを費散するには、その財に相応すべき智力と、その事を処するの習慣なかるべからず

おお、お金の使い方にも智力が必要だと。

いわゆる理財の智、理財の習慣なるもの、これなり。譬えば、千金の子、その家を亡し、博奕に贏(か)つ者、永くその富を保つこと能わざるが如し。何れも皆その財とその智力習慣と相当せざるものなり。智力なき者へ過分の財を附するは、徒にその財を失うのみならず、小児に手に利刀を任すが如く、かえってこれを以て身を害し人を傷うの禍を致すべし。

そうですね。大金持ちの子どもが身上を潰したり、博打で儲けた人の人生が狂ったりする話は良くきくところです。
一方、社会全体に議論を広げれば、民衆はお金を生み出すものだが、税金を払うばかりで残ったお金で細々と生活を営むことしか考えない。だから税金がどのように使われているのか知らない。一方、税金を召し上げたお上は税金を使うことしか頭にないし、貯めることなど頭にこれっぽっちもない。
ということでお金の蓄積と配分のバランスが取れていないのだ。

かくの如く上下の心を二様に分て、各その所見の利益を別にし、互に相知らざるのみならず、互いにその挙動を見て相怪むに至れり。安ぞ経済の不都合を生ぜざるを得んや。費やすべきに費さず、費やすべからざるに費し、到底その割合の宜しきを得べからざるなり。

うーん、今の国民と政府の関係そのままですね。
この後、福沢先生はこの議論をどうまとめてくれるのでしょうか。

本日もお読みいただきありがとうございました。 

自分の期待に応える

19日に退職して17年の単身赴任を終えて23日に家に戻ってきました。正常な生活を始めて3日目ということになります。
最初に気づいたのは、毎朝起きた時、心身共に力が漲っているという感覚を感じることです。
今まで自分にこんな力があるのを感じたことがないという位です。
なぜ、こんなことになったのか、考えてみました。

36年間サラリーマン生活を送ってきましたが、自分では組織の中でも自律的にやってきたつもりでした。また、周りからは私ほど社内で自分の思うことをやってきた人間はいないかのように言われたものでした。しかし、いくら私ほど我儘にやってきた人間でも、組織の期待に応えるということから逃れることはできませんでした。できることは組織の発展に自分の持ち味を生かしていかに貢献するかという観点でした。
しかし、今思うのは、組織の社員への期待というものは多くの人々の多くの思いの交錯した複合体です。これに応えるというのは一筋縄ではいかないものです。
そんな中で複合体のためにどうして貢献するか苦闘するのがサラリーマン人生というものだったのですね。

そして今、私は自分の期待に応えることを第一にすれば良いのだということを心から納得したのです。自分の期待とは周りの人々が少しでも気持ちよく生活することを実現してあげることです。

こんな気持ちの良い生き方があったとは。このことに気づかせてくれたのも36年のサラリーマン生活があったからです。 あらためで感謝です。

自分の思いのままに生きること。これが私の心身を強靭なものにしてくれているのです。

お読みいただきありがとうございました。 
ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
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勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
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