さて、いよいよ最後の章は、
第十章 自国の独立を論ず
です。
冒頭、八章、九章を概括します。
西洋諸国と日本との文明の由来を論じ、その全体の有様を察してこれを比較すれば、日本の文明は西洋の文明よりも後れたるものといわざるを得ず。
と言い切っています。そして、文明の進んだ国は後れた国を制するのである。そのことを後れた国が知ったなら、自国の独立できるかどうかが問題になる。
また、そもそも文明というものは広大にして人類の精神の達する所は、際限のないものである。外国に対する独立などという問題は、文明論の中では些細な一項目であるが、文明の進歩は段階的に行われるものであるから、その進歩の度に相当な処置が必要となる。
今、日本国民が自国の独立の心配をしているのであれば国民の精神のレベルがあたかもこの一事に限って他を顧みる余裕すらないレベルであることの証拠である。
うーん、参った。この懐の深さ。人間の精神の可能性に対する絶対的な信頼ですね。集団的精神はどこまでも進化する可能性を秘めていることが分かっているのです。先生は。
ただ、明治初期のこの時期、日本の独立について心配する状況だったのでしょう。その疑問に答えて最後の章を割いてあげますよ。老婆心ですよ、という感じで語っています。
そして、全体の文明論については、後学の諸君お願いね、と無責任ともいうべきメッセージを送っています。
尽く文明の蘊奥を発して、その詳なるを究るが如きは、これを他日後進の学者に任ずるのみ。
それにしても重たい宿題ですね。福沢先生のお弟子さんの中でこの宿題を果たした人がいるのかなあ。私は、先生の文明論に出会っただけで幸せですが。
さて、戻りまして。
西洋の文明に及ばないことを知った日本の識者は何をしたか。
世の識者、我日本の不文なる所以の源因を求めて、先ず第一番にこれを我古風習慣の宜しからざるに帰し、乃ちこ古習を一掃せんとして、専らその改革に手を着け、廃藩置県を始として都て旧物を廃し、・・・富貴福禄はただ人々の働次第にて、いわゆる功名自在、手に唾して取るべきの時節と為り、開闢以来我人民の心の底に染込みたる恩義、由緒、名分、差別等の考は、漸く消散して、働の一方に重心を偏し、無理によくこれを名状すれば、人心の活発にして、今の世俗にいう所の文明駸々乎として進むの有様と為りたり。
西洋との比較において文明の遅れを自覚した日本の識者たちは、その原因を求めて古い習慣が悪いと考え、廃藩置県を始めとした改革を断行した。その結果、貧富は人々の働き次第で手に入り、開闢以来、日本人の心に染込んだ恩義、由緒、名分、差別の考えは消散して、働きに重心を移して、言ってみれば人心が活発化し、今の世間では文明が駸々として進んでいくようであると。
ところが、福沢先生は、この後そんなこっちゃだめだよと言っておられるのです。それは一体なぜでしょう。それは明日のお楽しみ。
本日もお読みいただきありがとうございました。
第十章 自国の独立を論ず
です。
冒頭、八章、九章を概括します。
西洋諸国と日本との文明の由来を論じ、その全体の有様を察してこれを比較すれば、日本の文明は西洋の文明よりも後れたるものといわざるを得ず。
と言い切っています。そして、文明の進んだ国は後れた国を制するのである。そのことを後れた国が知ったなら、自国の独立できるかどうかが問題になる。
また、そもそも文明というものは広大にして人類の精神の達する所は、際限のないものである。外国に対する独立などという問題は、文明論の中では些細な一項目であるが、文明の進歩は段階的に行われるものであるから、その進歩の度に相当な処置が必要となる。
今、日本国民が自国の独立の心配をしているのであれば国民の精神のレベルがあたかもこの一事に限って他を顧みる余裕すらないレベルであることの証拠である。
うーん、参った。この懐の深さ。人間の精神の可能性に対する絶対的な信頼ですね。集団的精神はどこまでも進化する可能性を秘めていることが分かっているのです。先生は。
ただ、明治初期のこの時期、日本の独立について心配する状況だったのでしょう。その疑問に答えて最後の章を割いてあげますよ。老婆心ですよ、という感じで語っています。
そして、全体の文明論については、後学の諸君お願いね、と無責任ともいうべきメッセージを送っています。
尽く文明の蘊奥を発して、その詳なるを究るが如きは、これを他日後進の学者に任ずるのみ。
それにしても重たい宿題ですね。福沢先生のお弟子さんの中でこの宿題を果たした人がいるのかなあ。私は、先生の文明論に出会っただけで幸せですが。
さて、戻りまして。
西洋の文明に及ばないことを知った日本の識者は何をしたか。
世の識者、我日本の不文なる所以の源因を求めて、先ず第一番にこれを我古風習慣の宜しからざるに帰し、乃ちこ古習を一掃せんとして、専らその改革に手を着け、廃藩置県を始として都て旧物を廃し、・・・富貴福禄はただ人々の働次第にて、いわゆる功名自在、手に唾して取るべきの時節と為り、開闢以来我人民の心の底に染込みたる恩義、由緒、名分、差別等の考は、漸く消散して、働の一方に重心を偏し、無理によくこれを名状すれば、人心の活発にして、今の世俗にいう所の文明駸々乎として進むの有様と為りたり。
西洋との比較において文明の遅れを自覚した日本の識者たちは、その原因を求めて古い習慣が悪いと考え、廃藩置県を始めとした改革を断行した。その結果、貧富は人々の働き次第で手に入り、開闢以来、日本人の心に染込んだ恩義、由緒、名分、差別の考えは消散して、働きに重心を移して、言ってみれば人心が活発化し、今の世間では文明が駸々として進んでいくようであると。
ところが、福沢先生は、この後そんなこっちゃだめだよと言っておられるのです。それは一体なぜでしょう。それは明日のお楽しみ。
本日もお読みいただきありがとうございました。