日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2014年12月

平成26年を振り返って

いろんなことがあった一年でした。
平成26年(2014年)最後の日に一年間の気づきを振り返り、来年への糧にしたいと思います。

【一月】 
2014初日の出

元旦は美しい初日の出を拝み、天への感謝と新年の誓いをしました。

3日に上京すべく最寄りの駅に向かうも有楽町駅周辺の火災で新幹線が大きく遅れ間引き運転となりたくさんのお客さんが待ちぼうけしていました。幸いにして予約していたのぞみは3時間遅れながら無事に発車し、予定の3時間半遅ながら無事に品川着。本当にラッキーでした。電車を待っている間、ヤキモキするものですが、心配して仕方のないものは、心を落ち着けて待っているのが一番であることに気づかせてもらいました

4日は早朝の便で中国福建省のアモイ(シャーメン、Xiamen)へ。2週間の予定で福建にある中国の新規プラントの現場レビュー。
中国は、2回目の訪問でした。1回目は、家族旅行で北京、西安、上海でしたので福建は初めて。対岸は台湾ということで温暖な気候です。美味しい果物がたっぷり。真冬にもかかわらずホテルの部屋に毎日果物を籠一杯にしてくれるのでそれだけでお腹一杯でした。特に金柑とライチが美味しかったです。
ホテルのあたりは新興開発地域で、アジアらしい商店街が少なく、受け入れ会社が週末に1回スーパーマーケット(カルフール)に連れていってくれましたが、かつての中国のように安いから買っとこうというモノも見つからず、中国の物価高騰に驚きました。最近鈍ったと言われる経済成長ですが、サラリーマンの給料はそれほど上がっていないとのことで、日本はデフレで恵まれているなあと改めて感謝した次第です。
中国の現場を見せてもらって、意外と日本人の考え方や職場風土も似ているなと感じました。やっぱり日本文化の根っこは中国の文明であるというのをあらためて感じました。また同じ職種の職場の人々というのは共通した文化を形成するものだなとも感じました。漢字をはじめとするアジアの共通の文化基盤である中国文明、それと同じ仕事をやるという共通基盤。こういったものをベースとして現場レベルで共通理解を得ることは可能であるということを実感した2週間でした
お土産に立派な「孫子」の漢英対訳本をいただきました。現代中国もやっと古典に学ぶという姿勢が復活しているというのが分かって頼もしく思いました。 

【2月】
2014020210390000
     石巻の巻石
2014020210400000
       雄島

1月末から2週間強の東北地方のプラントの現場レビュー。 ホテルは、石巻の駅に近いところで津波の影響を見たり、聞いたりすることができて大変印象的でした。
石巻の町の名の由来となった巻石というのがあります。立派な松のある小さな島(雄島)があって、そこから巻石を見ることができるのですが、津波の被害で立派な松は枯れ無残な姿です。岸から赤い橋が小島に架かっているのですが、岸側が1メートルほどの高さの堤防で塞がれていました。これでは、地元の人々も島に渡る気がしないでしょう(私は堤防を乗越えて島に上がりましたが)。
芭蕉も訪れた名勝をここまでないがしろにしていいのか、と思って意外な気がしました。もっとも復興に躍起な行政としては、それどころではないということなのでしょうが。


20-22日に冬の京都観光。
20140221無隣庵
       無鄰菴

冬のシーズンオフの京都旅行に行きました。静かな京都を楽しめました。
特に今回は、蹴上疎水について多くのことを学びました。疎水は、明治18年(1885年)に着工、弱冠24歳の田邉朔郎に設計・施工を任せられました。用水のみではなく、発電、インクラインによる運搬により生活の便利に大いに貢献したことはもちろんですが、疎水を利用した南禅寺界隈の庭園作りにも貢献しています。山県有朋の別荘であった「無鄰菴」をはじめとして南禅寺前の別荘の庭園という文化財を生んでくれました。当時の元勲たちがどれだけ大きな金を持っていたかという問題設定もありますが、これから先も含めて何百年も価値を持つであろう文化財が、富の偏在と近代文明から生まれたということは、意義のあることであると思うのです。現代の文明が生み出した六本木ヒルズやスカイツリーが果たしてこれから先、人々の心をひき付けるものであるようには思えません。そういう意味で田邉朔郎の仕事は偉大だったと思いました。

【3月】
     虹の松原
ホテルのベランダから見た虹ノ松原からの日の出

佐賀県の現場で2週間強のレビュー。いつもレビュー中は現場に近いホテルに泊まりこみとなる。昼間、現場レビューをして夜は遅くまでレポートの作成というパターンが続きます。慌しい毎日ではありますが、後半に入ると少し余裕が出てくる。
そこで
ブログを書くことを思いつきました。今までのサラリーマン生活のライフワークとも言うべき「幸せ職場」の実現ということがテーマですが、個人の心の幸せにつながるようなエッセイも書こうと思ったのでした。
人に読んでほしいという気持ちもありますが、自分が書きたいこと、読みたいことを書くということもあります。
実際やってみると、考えていてもはっきりしなかった話が書いてみて初めて考えていたことの意味が分かるということにも気づきました。書きだめがあるので、ひどい時は2月前に書いた記事を忘れていて、自分でなるほどいいこと言うてるなーと感心することがあり、こんな醍醐味を無料で提供してくれるLivedoorさんに感謝しています

【4月】
20140404浅草
      浅草からスカイツリー

上旬に家内が東京見物に来ました。一緒に散歩したり食事したりで地元とは違う生活で家内も少しは楽しめたでしょうか。何せ部屋がワンルームなので狭いので窮屈ではありますが、少し新婚生活を思い出すような気もしました。ちょうど桜が満開から散り初めの時期で春の東京を楽しめたようです。
江東区の散歩では、私が芭蕉等の史跡に興味があるのに対して、家内はカフェやお店に興味ということですれ違いですが、店に入っても東京にしかないというモノはなかなかないようで、それほどの買物はしていませんでした。今や都会であろうと地方であろうと、みんな物質には充足しているんですね。みんな気づいていないのかもしれませんが、やっぱり日本はモノから文化などのソフトに価値が移行している過渡期にいるのですね
おそらく京都やパリの人たちは文化の価値について良く分かっているのでしょうね。成熟している気がします。私は、東京もオリンピックではなく、そっちの方面にシフトしてはどうかと思っているのです。江戸時代の知恵ともいうべき文化は結構残っているし、それを海外に知ってもらうというのがいいと思うのです。

【5月】
20140501勝山町並
     真庭市勝山地区

GWには岡山県の真庭市にドライブ。勝山地区で東京から移住してきたパン屋さんのカフェでお茶。勝山地区は、寅さんの最終48作のロケ地でもあり風向明媚な街道が残されていて、パン屋さんのご主人の「腐る経済」を読んで訪れることにしたのです。 
東日本大震災以降、東京から地方へ移住するムーブメントが見えてきたということを聞きますが、実態を見てなるほどと納得しました。私も東京で生活していて、便利はいいけど、「それで?」と聞かれて答えがないのが東京だと思います。
やっぱりオリンピックじゃないでしょう、という思いが湧いてきました。グローバル資本主義の欠点が見えて違った行動する人が増えてきているのだと思います
次の日に蒜山に登りましたが、登山よりも下山後の塩釜冷泉が美味でした。岡山の田舎って本当にいいですね。

中旬には韓国の現場で2週間強のレビュー。実は、私にとって韓国は初めての訪問。
一番驚いたのが韓国の女性通訳たちが元気なこと。行き帰りのバスの中、食事中など元気一杯。女性が男性より元気なのは現代日本と同じですが、通訳という職業に限定すると日本では、バスの中はひたすら眠るという人が多いのに対して対照的でした。
レビュー中に気づいたのは、先の中国同様、職場風土が日本と似た気がしました。やっぱり中国・儒教の影響を受けた国なので似た文化ベースだと思います。若い頃にヨーロッパの国際機関で3年間働いたことがありますが、西洋人とくらべるとやはり国は違っても東洋人の考え方や行動に類似性があるのだと思います。
最近、日本と中国・韓国などの周辺の国との関係がうまくいっていないようですが、違うところを一生懸命探すからこうなるんでしょうね。似ているところを探すようにすればいいのに、と思います
いいところも悪いところも似ています、本当に。
ついでに話すと中国と同じで物価も日本と変わりませんでした。日本っていいところ多いですよね。デフレの悪いところばかりを論うのでしょうか。デフレにいいところを有難く思って生活していればいいのと違いますかね。
韓国の京都と呼ばれるキョンジュ郊外のホテルに泊まったのですが、湖に面したリゾート地で週末には多くの家族連れやカップルが散歩したり、ちょっとヨーロッパのリゾートの雰囲気でした。遊園地もあるのですが、湖の周りを散歩する人もあり時間の流れを楽しむという様子で良かったです。

  
      国立慶州博物館


  ルビーの金冠

新羅時代の博物館を訪問する機会がありました。新羅というのはすごい国だったのですね。古墳の副葬品の豪華さには驚きました。大国に隣接しながら朝鮮という国を維持してきたことは、秀でた外交力があったからに違いありません。われわれは韓国から学ぶことが少なすぎるような気がします。
また、日本よりグローバル化が進んだ韓国がどのような問題を生じているかも日本ではあまり紹介されません。これから先、TPPでグローバル化が一気に進みそうなわが国でも学んでおくべきではないかと思いました。

【6月】
CIMG0679small

初旬に初孫の誕生。おじいちゃんになりました。女の子で母子共に健康。何よりでした。ちょうど休みで家に帰っていたので、早速対面しました。
赤ちゃんは泣くのが仕事といいますが、寝ているか泣いているかのどちらかですね。これは、赤ちゃんって魂と身体だけでまだ心ができていないんですね。だから神様が肉体を持っているのと同じなのです。神様と同じ魂をいただいて生まれてきて(分け御霊)、心ができて喜怒哀楽を経験し悩み苦しみを味わうのです。最初から神様ならそれでいいじゃないか、という話なのですが一旦人間になってまた悟っていくというのが人生なんですね。人間の一生とは面白いものです。初孫と出会って、あらためて面白いものだと気がつきました。

【7月】
業界の安全セミナーがあり、パネリストとして参加しました。「幸せな職場をめざして」というテーマでお話させていただきました。グローバル化が進む日本の職場で管理者としてどのような対応が可能かということについてお話ししました。他のパネリストやコーディネーターの発言も面白い話がたくさなってとても勉強になり良かったです。
終了後にパネル討論の参加者の皆さんと懇談の機会がありましたが、現場には複数の人間が存在する場に特有の力が発生する、ということに気づき「現場力」とは「現場・力」ではなく「現・場力」ではないかという考え方に到りました。大変有意義な機会でした。

7月最後の週には、新潟のプラントで1週間の現場フォローアップレビューに参加しました。
ここでは、全社的品質管理(TQM:Total Quality Management)活動を熱心に実施しており印象的でした。私の会社も私が入社してしばらくして導入されたことを思い出しました。本当に大変な時代でしたが今となっては懐かしい思い出です。
ただ、この種の活動は、どうしても見せることに力が入りすぎて、本当に現場で役に立つ実質的なものにしている職場が少ないという印象を持っています。

【8月】 
同窓会

お盆休みの間に高校の同窓会がありました。余り同窓会に熱心ではない年次なんですが還暦を記念にということでの開催となりました。百数十名の参加で、幹事さんのおかげで愉快な時間を過ごすことができました。
すでに、サラリーマンの人々は定年になった人もいて、再就職した人、まだ決まっていない人がいました。40年以上の時を経て風貌は変わったものの何か変わらないものが感じられ、人間変わらないところもあるなあ、と改めて感慨深いものを感じました。しかし、これはきっと自分というものは変わらないものだ、という確信みたいなものがあるからなんだな。確信を持たなければ会っても分からないだろうと思いました。
そんな中で、卒業後一度も会ったことのないO君と話をしました。彼は化学がダントツに出来て私は天才のように思っていた人でした。やはり、有名国立大学に行って化学を専攻したそうです。卒業してアメリカの有名な研究所に行く機会があったとのこと。しかし、周りはノーベル賞受賞者または候補のような人々ばかりだったとのこと。とてもやっていけないと思い、研究者の道をあきらめ、実家の家業を継いだというのです。なるほど会わない内にみんないろんな経験をしているんだなあ、と思いました。商売は、大変なようでしたが、額が輝いて元気そうでした。一人一人にかけがえのない歴史があるのだなあ、と感じました。人の話を聞くのって本当に勉強になりますね。

【9月】
9月中旬、一足早く会社の定年退職行事に家内とともに招かれました。社長が一人一人に感謝状を授与し、美味しい昼食をいただきました。本当に、この会社に勤められて良かったと思いました。現場の人たちも多く参加していて、昔話に懐かしい時間を過ごしました。現場で余り処遇されなかった人がいて個人的なつきあいはなかったのですが、話し出したら止まらない人があり、人間って本当に人に認めてもらいたいんだな、ということが痛いほどわかりました。いい会に出席できて良かったと思いました。
また。奥さん連れでない人に聞いたら、つい最近亡くなったとか調子が悪くてとか言う人があり、この年になると夫婦双方の健康が大事だなとあらためて感じた次第です。

下旬からは、今年2回目の韓国での現場レビュー。終わりの頃になってレビューの対応をしてくれていた人の上司が突然現われ、私のレポートを受け入れられない、と言う。話に論理性がなく、要はこんなレポートを出されたら自分の立場がない、ということらしい。日本でもこういう人と出会ったことはありますが、客観的な立場からすると役職者が自分の立場というものの見方しかできないと、いつまでたっても現場は改善せされないし、自分の職務を果たしたことにもなりません。第一立場を守らなければという気持ちは自分を苦しくさせるばかりだと思いました。最終会議の席上で私にChallengeすると言っていましたが、実際は下を向いて一言も発言はありませんでした。こういう気の毒な人が日本にも他の国にもいることを残念に思いました。

お昼は毎日サンドイッチのお弁当が出たのですが、とても美味しいのでこんな田舎にどこのパン屋かと聞くとParis Bagguetteというチェーン店だという。クロワッサンもパリにあるようなものだったので褒めると、これ以外にもParis Croissantというチェーン店がありクロワッサンはそっちの方が美味しいという。韓国のパンチェーン店、恐るべし。お土産に空港でParis Bagguetteのナッツのパウンドケーキを買って帰りましたが、家内と娘に好評でした。調べてみると米国には進出しているのに日本には進出していないようですが、どうも日本のコピーだかららしい。確かに空港のカフェを見ると日本の雰囲気と似てました。菓子パンも充実してました。

【10月】 
9日に韓国から帰国して、しばらく自宅で休養。おかげで充実した読書を楽しむことができました。こうして、豊かな文明に生きて何が良いかといって良い読書時間や考える時間が持てるということではないでしょうか。私はやっぱり「本があって、人があって、社会がある」のが真の姿なんだと思います。 みんな本を読んだり考えたりすることが面倒なのでモノの世界に浸りきりになるんだろうなと。

【11月】
中旬から台湾の現場のレビュー。私個人としては、2回目の訪問(1回目は台北に家族旅行)ですが、仕事では初めてになります。全体の印象として南国特有のユルさが何ともいえませんね。親日的なのもありがたい。現場の人で日本に行ったことがある人が多いので話題を見つけやすい。意外だったのは、結構英語ができる人が多い。私たちの年代の現場の人でそこそこ英語ができるので、通訳も通常の半数程度の5人手配したのですが彼らも手持ち無沙汰というありさまでした。

淡水
    淡水市街の夜市

ホテルは、台北から北に車で1時間ほどの淡水という所だったのですが、結構な観光地らしく期間中の週末には、JTBのツアーの一行を見かけました。週末には川沿いのマーケットに大勢の人出があり、祭のようでした。トロピカルな雰囲気のいい町でした。後で聞いたら台湾のベニスと呼ばれているとのこと。

往きの便で機内ビデオで小津安二郎の「秋日和」(128分)をうっかり見始めてしまい、まったりと2時間以上を過ごしてしまいました。帰りの便では、機内ビデオにあった「南風」という映画の舞台に淡水も入っていることを知り、順番が逆だったなと苦笑いでした。
このビデオを見ると、台湾の有名な高級自転車メーカーでGIANTというのがあるんだとか、知りました。四国のしまなみ街道も舞台になっています。まあ、帰りの便で見ることができて良かったです。
政治的状況から全面的にグローバリズムに突っ込んでいくこともできない国情ですが、台北101の前で独立派と大陸派のデモを見たりするとこの国にはまだ政治の世界があるのだということに気づきました。建前上は、中華民国なわけで、いずれ本土に戻り、政府を立ち上げるということになっている。しかし、台湾として独立することは建前を捨てるわけで、なかなか心情的にも簡単ではないということを感じます。年号も日本と同じように民国紀元を使っています(少し驚きました)。こういう文化的なものというものは、なかなか捨てがたいものなのですよね
でも、グローバリズムとは少し距離を置き、大陸との関係もありながら南国のまったりして温暖な気候で親日的とあれば本当にいい国ですよね。
もう一つ気がついたことで、町のいたるところに檳榔(ビンロウ)の店がある。たいていは掘っ立て小屋みたいな店で、緑と青の放射状のネオンサインがチカチカしている。ビンロウとは嗜好性のある木の実でこれを噛むと、タバコのような興奮作用があるらしい。町で噛んでいる人を余り見ないのになぜこんなに店が多いのかと聞くと、地元の人によると運転手が買うらしい。眠気覚ましのようだ。
なぜ、こんなことが気になるかというと、台湾の町でこのような目につくネオンサインは檳榔の店以外に見当たらないからだ。日本であれば、まずパチンコ屋が派手なネオンで客引きをしているが、台湾ではそんな大々的な広告は見当たらない。こんなことも台湾を好ましく思う要因の一つでもあります。
そうやって、調べていくと日本統治時代は、児玉源太郎が第4代の総督で民生長官が後藤新平であった時代があったのですね。当時の日本の力の入れ方が分かります。

CIMG0815 (2)
      英虞湾

台湾から帰って、小学校の修学旅行以来の伊勢神宮にお参りしました。還暦になったらお伊勢さんに参るもんだという話を聞いたことがあるので、還暦を目前にお参りしましょうということで家内と一緒に行きました。

一日目(日曜日)は、志摩の海岸をドライブ。美しいリアス式海岸のドライブと眺めを堪能しました。英虞湾のあたりの植生が全くの照葉樹林で西日本の山の本来の姿であることに気づきました。お伊勢さんから見て日の昇る伊勢志摩地域が日本の原風景を残していることが嬉しいですね。

夫婦岩
    二見の夫婦岩

お伊勢さん参りは前日に二見にというのがトラディッショナルだという話なので夫婦岩前の大石屋さんに泊まりました。すべてにおいて行き届いた宿で、良かったです。木鶏というコーナーがあり、「知致」や心を磨く良い本が置かれていて経営者の姿勢が知られて好ましかったです。
いよいよ、お伊勢さんのお参りは、まず外宮に向かい「せんぐう館」でお伊勢さんについての下調べ。そこの説明者に聞いたところ、財テクで運営しているとのことでした。専門家をやとっていのか聞いたら、神主さんがやっているとのことでびっくりしました。

赤福本店
      赤福本店

内宮に参り、おかげ横丁で捨豚でメンチカツとコロッケ、赤福本店で赤福餅を楽しみました。赤福を頼むとほうじ茶がついてくるのですが、それが美味しかったです。店で焙じているので界隈に香ばしい匂いが漂って寄らずにはおられません。名物、伊勢うどんで昼食。最近は讃岐うどんがポピュラーになってコシのあるうどんがあたりまえみたいですが、伊勢うどんは柔らかいのが特徴。濃い色の醤油を混ぜていただく。味わいがあって美味しかったです。
外人の観光客を見つけて感じたのは、ここは意外に外人が少ないのですね。伊勢神宮一帯は、世界遺産になっていないのですが、しない方がいいと思います。やはり日本人の心のふるさとなんだな、と思いました。
本当にいい旅でした。

【12月】
中旬に1週間、鹿児島のプラントの現場レビュー。今回のチームは小規模で通訳を入れ全体で10人程度のメンバー。私のエリアは米、英、日の4人で構成されました。リーダーが米国人だったのですが、レビュー中、何か改善要事項を見つけようとして常にイライラしていました。終盤にプラント側にレビュー結果をプラント側にフィードバックする際には、正に鬼の首を取ったような態度で辟易しました。この分野におけるアメリカの思想がいかに未熟なやり方であるかを実感した一週間でした。
人間というものは理性で受け入れることができるのだ、という誤解がこのような行動に結びついたのでしょうが、お客さんに受け入れてもらえなかったら、何の意味もない活動であることに気づいていないようでした
後味の良くない経験でしたが、おかげで多くのことを学ばせてもらえました。

こうして大晦日を無事に迎えることができたのですが、命をいただいたおかげて今年も多くのことを学ばせていただきました。本当に人間として命をいただくということがどれほど有難いことであるか思ったことはありませんでした。これも私にそのことを気づかせてくれた実り多き平成26年でありました。
このような有難い経験を重ねて、より皆さんのお役に立てるような記事を書き続けてまいります。

本日も長い記事をお読みいただき誠にありがとうございました。 

含羞という意味

ブログネタ
「高倉健」 最も印象に残っているものは? に参加中!
今年11月に、高倉健さんが亡くなりました。以前2回にわたって高倉さんのインタビューの記事を紹介しました。そのインタビューが読売新聞に出たのが15年前のことでした。
このインタビューの記事を再読して思うのが、日本の「
やっと、金儲けの上手さだけでは、心の豊かさを生み出さないことに、少しずつ気がつきはじめたのではないでしょうか」という健さんの期待にもかかわらず、さほど変わっている気がしません。もう一度読み返してみましょう。

戦後55年間、経済的な豊かさばかりを追い続ける風潮や、学ぶ楽しみを置き去りにし、(例えば、言葉を学ぶ楽しみはその先にある経済のためではなく、まずその言葉の持つ文化を学び、感じることになるでしょう)、成績を数字でしか評価してこなかった教育は、先人たちの持っていた心意気を失わせ、有り余る商品に囲まれながらもなお不安を拭えずに暮らす、貧しさをもたらしたのではないでしょうか
だがやっと、金儲けの上手さだけでは、心の豊かさを生み出さないことに、少しずつ気がつきはじめたのではないでしょうか。ブラウン管に映る、お金を繰り、また繰り損なった人たちの表情。あまりにも情けなく思えてくるのは、僕だけでしょうか。含羞という言葉の意味を、とっても深く考えさせられます

健さんは、本当に日本人がかつて持っていた志を失ったことを大変残念に思っていたのだと思います。その気持ちが映画の画面に現れて聴衆の気持ちを引きつけてきたのですね。含羞という言葉のよく似合う人でした。
このインタビューでの発言は、俳優としての健さん以上の意味を持つほどの重い言葉だと噛み締めています。
健さんこの遺志を引き継ぎ、及ばずながら人間の幸せについて引き続き考えていきたいと思います。

本日もお読みいただきありがとうございました。

瑕瑾(かきん)なきは人材にあらず

   
   荻生徂徠(1666-1728)

いつの時代も社会では人材が何より大事だと言われ続けてきました。そしてそれぞれの時代に求められる人材の基準があったのだろうと思います。
現代のグローバル経済の時代に評価されるのは、英語ができて金儲けの知識・スキルがあり、今日言われれば明日には地球上のどこへでも行けるという人のことを言い、そのような人々のことをグローバル人材と呼ぶそうです。
日本の大学でもそのような人材を育てることを目標にしているようです。大学の広告でもそのようなことを臆面もなくメディアに流しております。本当にそのような人が日本人として幸せなのでしょうか。彼らは、きっと自分が金儲けをするためにしか働かないような気がします。私は、はっきり言って、そんな人が近くにいてほしくありません(そんな人が私に近づいてくるとも思えませんが)。そしてそのような人々は、自分の欲を満たしていることが同時に日本から富を流出させていることに気づくこともありますまい。
世界のお金持ちの株主のために働く人ばかりになったら、日本の社会や職場はいったいどうなるか考えているの、と文部科学省や教育関係者には聞きたいもんです。最近は大学どころか小学校まで英語教育というんですから。子どもたちをどう育てたいのでしょうか?私には分かりません。

皆さんは、しっかり自分の頭で使って考えてみてくださいね。
さて江戸中期の儒学者、荻生徂徠(おぎゅう そらい)が「答問書」で人材について以下のように言っている。

貴方も戦乱のご先祖のことをお聞きになっていることでしょうが、現代(江戸中期)の目からみますと、そのころの有名な人物というのはみなどこかに傷のある人です。これは別にわけのあることでも何でもありません。その時分は、表面をとりつくろうことがなかったので、疵が見えるだけのことです。疵が見えれば人才も見えます。現代でも、世間の悪い習俗に染みていない人は、この疵が多くあるので、疵のあるもの者でなければ人才がないものと考えて、疵のある者の中から人材を選ばれればよろしいかと存じます。疵がなく、才能があるような人を探そうとしますと、先ほど申しあげた自分の好みの注文ということになります。疵のない人は『論語』にいう郷愿(きょうげん)のように、人の顔色ばかりうかがうつまらない人間か、口ばかり上手な巧言令色の徒か、また『荀子』のいう庸人のような、ごくつまらない人物とお思いください。

胸のすくような論の展開です。「答問書」は庄内藩家老水野元朗(1692-1748)の質問に徂徠が回答した内容を書いたものです。徂徠は、落語の「徂徠豆腐」という話にもあるように食うに困るほどの苦境の時期があったらしい。
世の中が安定してくると保身のため、隠し立てする人間が増えてくる。そうなると人材を見つけることは困難なことになる。しかし、そういう安定した時代でも疵が見えるような人材は、同時に才能も見やすいのでその人を採用すれば間違いがない、という指摘です。
なるほどですね。今の就活でどのように人材を見極めているのか知りませんが、企業の人事の人々にこのようなセンスが欲しいですね。

本日もお寄りいただきありがとうございました。 

面子にこだわるな

会社でよく面子にこだわる人っていますね。
面子って何だろう?自我のことです。
いつも言っていますが、自我がなければ個の人間として成り立ちませんが。しかし、自我にこだわるとしんどくなります。だからこだわりなさんな、というのは私の主張なのです。
面子にこだわる人を観察していると、その人は自分の弱いところを守っていることが分かります。それは何かというと本当の自分が何だということが分かっていないからです。

弘兼憲史「なぜ、この人はここ一番に強いのか」から、 

男の面子とか家の面子とか、課長の面子、先輩の面子、そんなものはすべて捨てていい。「面子が立たない」なんて言葉はどうせ体面の取り繕いなのだ。その場しのぎの虚勢に過ぎない。けれども、最後に残されたものは守れ。ふだんはどんなに意気地のないやつだと思われてもいいから、自分にとって本当に大切なものが傷つけられそうな時は、捨身になっても守るしかない。捨身になるということは、一切の面子をかなぐり捨てるということなのだ

日頃、私たちは自我というお面(ペルソナ)をかぶって生活しています。曰く、男、今宿葦、59歳、葦塾塾頭、幸せ職場コーチ等々というお面をかぶっていろいろな人々とかかわっています。
分かりやすく言うと、面子=お面=自我、ということになります。
しかし、普通に生活しているとそのお面自身が自分なんだと勘違いしてしまうのです。
一人の人間というものはそのようなお面では語りつくせない存在なのですね。
そのような自分の底にある真の実在といったものは、お面がなくならないと出てきませんが、普通の人間は日頃そんなことは考えません。
考えなければならなくなるのは、一切のお面をかなぐり捨てる時なのです。お面の下にある本当の自分がお面からの圧力に耐え切れなくかなぐり捨てる時、本来の自分が現れるのです。
捨身にならなければならないほどの困難、これこそが人生の試練でありかつ最大のチャンスでもあるのですね。

本日もお付き合いきただきありがとうございました。 

常識の壁

常識にしたがわなければ、事は前に進まない。しかし、常識に縛られていては情況の変化に対応していけません。その勘所は曰く言いがたいところがあります。

常識には先人の知恵がいっぱい蓄積されています。だから、何かにつけて役に立つ。もし中途半端に常識に外れたことをしようものなら、失敗して周囲に迷惑を及ぼす結果となる。そして誰それは常識がない、などと言われてしまう。そんなことから、危険を冒さずに無難に、ということになりがちです。常識の壁はわれわれの想像以上に固くて厚いようです
しかし、常識の壁を時と情況に応じて、破る必要がある。さもなければ、時々刻々、速く激しく動いている世間に対応できなくなってしまうからです。そのような変化に対応するために、常識にとらわれない発想、工夫が、どうしても必要になるのです。
壁を破る一つの大事な鍵は、職場を改善するという熱意があるかどうかということだと思います。熱意があるところ、人は新しい視野をひらき、とらわれない発想を次々に生み出す。常識では考えられないことをやってのけて、新しい道をひらく。このようにして常識の壁を破っていくのです。
特に、職場のリーダーに改善の熱意があるかどうかというのが職場の空気に大きな影響を与えるのです。

本日もお読みいただきありがとうございます。

ごあいさつ
日々の生活の気づきから人生の成熟を目指しています。

幸せ職場の考え方は、
幸せ職場
をご覧ください。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
アーカイブ
Yoshiのアーカイブ
Yoshiの他の媒体の過去記事は、以下のリンクでご覧いただけます。
勇気の出る名言集
ギリシア・アルプスの旅
田捨女の不徹庵手記
安全文化論
よそみの楽しみ
最新コメント
メッセージ

記事の内容に関するご意見・ご質問、お問い合わせ等はこちらへどうぞ。

名前
メール
本文
アプリでフォローする
QRコード
QRコード
サイト内google検索
記事検索
yoshiのtweet