日々の気づきノートです。

姉妹ブログ「勇気の出る名言集」を始めました。
過去に読んだ本で気に入ったテクストのアンソロジーです。

「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14

2014年04月

病んでいるのは誰?

毎日マスコミに流れるさまざまなニュースについて、コメンテーターと称する人々が気楽な議論をされています。しかし、このような問題に対して自分の問題として捉えないと、自分にとって何の意味もないことになってしまいます。世の中の問題を、傍観者の立場で見るのではなく自分自身の問題として見て考えることは自分を成長させることにつながるのです。
作家の五木寛之氏が「病んでいるのは私たち自身」と言っています。

・罪を犯す人間は、私たちの敵ではない。他人でもない。それは私たちの一部であり、私たち自身なのだ。外科手術で切り取るようにそれを排除し、放射線で焼くように消去することは不可能だと私は思う。

・私たちは時代の闇に不安をおぼえ、それに苛立ち、なにかしようとする。しかし、それは外なる敵への経済制裁、軍事行動のようなものであっていいわけがない。戦略戦術を練り、処刑を研究し、対策を論じあう前に、もういちど胸に手を当ててみる必要がありそうだ。社会の病理は、橋のむこう側にある風景ではない。病んでいるのは私たち自身なのである。そこから出発するしかないだろう。

心の空虚さを情報で埋める

毎日のテレビ、新聞、ネットで情報は盛りだくさんですが、人間が生きていくうえで果たして本当に必要なものなのでしょうか?人間のいろいろな活動は、人間が一人でじっとしておれないから発生するのだという考え方は私の一つの仮説です。

情報化時代とは結局、情報氾濫時代であり、情報に翻弄された自分の行き方を見失いかねない時代ともいえましょう。作家の高村薫さんが「情報と人間を『消費』」として以下のような発言をしています。

モノを買い続け、無限に流される情報に慣れた20世紀の私たちは(この記事の発表された時期)、「なぜ自分は生きているのか」「社会とは、家族とは何か」という一番大切なことを考えることを忘れてはいないでしょうか?心しなければなりません。

「健康」に縛られる

今の健康志向は度が外れていないだろうか。もちろん健康は尊くありがたいことである。しかしながら、健康や病気についての情報がメディアに現れる頻度は半端ではない。苦しそうな顔をして昼休みにジョギングしている人を見るにつけこの人は「健康病」なのではないかと思ってしまう。

すでに世界で最長の寿命を誇る日本人であれば、もっと違う健康へのアプローチがありそうな気がする。
河合隼雄「こころの処方箋」から

人間の人生については実に多様な見方が可能なのだということである。多様な見方によって豊かな人生を送れるはずを、健康というただひとつのことに縛られてしまうということの精神の貧しさを指摘したいのである。

大好きという幸せ

子どもの教育というと、知識をつけて偏差値を向上させるということのように思われがちですが、それで本当にいいのか疑問です。歴史上立派な仕事をした人々は、他人の価値観に縛られたり強制されたりせず、自分が好きなことを見つけてそれを伸ばして偉大な仕事をしたものでした。この子どもの「大すきという幸せ」について歌人で動物学者(ヘビ博士)の高田栄一氏(1925-2009)は、このように述べております。

こどもは可能性のかたまりで、どんな天才が眠っているかわからない。が、「大すき」なら必ずひそんでいる。・・・「大すき」を押さえ込んで偏差値や学歴を競ってみても「蛙の子は蛙」である。池に住めば素晴らしく生きられるものを、陸に上げて、ムリをさせれば、のびやかなよろこびなど心に育つわけはない。子どもの事件が目立つのはそのためで、問題は大人の社会にある。価値観をお金のことばかり求めていて、子どもの心を受けとめないからだ。

正義と力への欲動

国際的にはウクライナの紛争、小さいもので仲間内のけんか等、大小の紛争・もめごとを見るたびに思います。
なぜ自分の怒りや憎悪を正当化し、正義の名のもとに暴力を振るうのか。
すべての人間は怒りや憎むことが悪いということを知っています。なのになぜあえて行おうとするのか。

こうではないでしょうか?悪いことを正々堂々と行うことは自分自身気持ちが悪いし、世間や社会からも批判されて面白くない。したがって何か怒り憎悪を表現することが正しいと正当化することによって自分の心を静めたい。しかし、実際は正当化した怒りの爆発はさらに自分の心を蝕む。蝕まれた心を癒すためにさらに言い訳としての正当化を行う。その結果、ますます心は傷ついてしまうのです。

もうやめましょうよ。こんなこと。大きな国際的な紛争も結局は当事者の心に従わない行動から始まっています。本心に従って生きていれば、大きな間違いは生じないし自ずと解決策も見つかるのではないでしょうか。ユング派の精神分析家のA・グッゲンビュール・クレイグの「心理療法の光と影」(絶版。ただしAmazonで入手可)から

力への欲動というものは、客観的道徳的な正しさというマントを着て現れることが許される時ほど、また無制限に荒れ狂うこともないのである。つまり人間は「良いこと」を無慈悲な手段で行うことが許されていればいるほど、もっとも残忍になりうるのである。

ごあいさつ
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「勇気の名言集 第2巻」が出版されました。

勇気の名言集 第2巻
今宿 葦
2022-02-14
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