先日、BS3チャンネルの「アナザーストーリーズ」で「時代に翻弄された歌 イムジン河」が放送された。

イムジン川

フォーククルセダーズ(フォークル)が歌っていて、1968年2月レコードをリリースする直前に発売禁止になったことをリアルタイムで知っている。
当時、ラジオのリクエスト番組をずっと聞いていて、突然、放送されなくなったことを残念に思ったことを覚えている。



原曲の由来や、この曲が日本で広まり、北朝鮮、韓国へと広まっていったことにこの曲の運命のようなものを感じた。
この番組を見れば冷戦の時代に朝鮮総連が発売禁止を要請した事情もわかるし、ピョンヤンの演奏会では反応がなかったのに日本からの帰国者が多く住んでいたウェンサンでの演奏では反響が大きかったというのもよく分かる。
拉致されていた蓮池薫さんもこの曲を聴いて力を得たという。

朝鮮人学校でこの曲の扱いについても取り上げられたが、生徒たちの明るい表情には救われた気がした。
この番組を見ていると民族差別の問題が通奏低音のように響く。在日の人々も、北朝鮮に帰国した人々もそれぞれに差別を受けているようだ。なにゆえそのような差別を受けなければならないのか。

民族の差別は国境という線を引いたところからそれを守るために差別が始まるが、今のコロナ禍においては、さらに自分の皮膚まで差別の線が迫ってきているようだ。これからさらに先は、脳にまで進んでくるのかもしれない。

差別は相手だけではなく自分自身も縛り自由を奪う。自由を獲得したければ、差別とさよならすればいい。そうすれば、世界はどこまでも歩ける平地となる。