広島・長崎に原爆が落とされ、日本が敗戦して75年になる。高齢化により生存被災者が少なくなり、経験と教訓が忘れられることを懸念する声が多い。



安倍首相のあいさつに今年も核兵器禁止条約に関する言及はなかった。

短いスピーチなので全文を引用して彼が何を考えているのか、考えてみたい。

本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

形どおりのお見舞い。

 新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。

この式典とは何の関係もない、新型コロナウィルスについての言及。日本政府はボーッとしてる現状で、いきなり世界の人々の話を出す意義とは何だろう?

 75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。

この惨禍を引き起こした要因に言及もせず、「先人たち」による復興と平和に言及していることは、「また同じことが起こるかもしれないけれど、その時はまたよろしく」と言われているような気がしてならない。現在のコロナ禍や大雨災害への政府の対応を見ると本当にこの人に任していていいのか、という気がする。

 広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。

「国際社会が現在行なっている努力を着実に前に進めることが我が国の使命」とはどういうことだろう。普通は唯一の被爆国の日本が先頭を切ってというのが当りまえじゃないのだろうか。言いたいのは国際情勢に乗り遅れない程度に、ということではないだろうか。

 現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
 特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
 本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。

現状において日本が核廃絶に向かって汗を搔いているという姿は見当たらない。アメリカに忖度して黙っているか、核全廃条約に反対するありさまである。
国際社会で沈黙しながら、国内でこんな大口を叩けるもんだとあきれる。

 「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
 被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。

被爆者訴訟の被告は常に国や行政であったことを忘れたようによくこんなことを言えたもんだと感心する。

 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

広島まで出向いてよくこんな実態の伴わない空虚なスピーチができたもんだと感心する。
私は、やる気のないことを「誓う」などといったことは人間が人生において決してしてはならないことだと思っている。こんな重い言葉を軽くしゃべってスタスタ去っていく首相を見てこれも才能かと感心した。

あらためて全体を読んでみて、安倍首相としては「広島・長崎・原爆」というようなものは他人事なんだということがはっきり分かった。