水野さんは、21世紀はまさにゼロ成長が当たり前の時代だと言うのです。

株式会社の終焉
水野 和夫
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2016-09-30

  • 21世紀は「デフレの時代」であるとみなせば、潜在成長率がゼロ近辺であるのは正常で、低金利であることも特異な環境ではなくなります。(p48)
成長が当たり前の時代が長く続いたのですが、日本が経験した20年以上のゼロ成長時代の経験は、それが当然であるということを証明しているのです。
  • 世界的に資本が「過剰」なまでに積み上がるというのは、資本主義のもつ宿命であり、なるべくしてなったともいえます。(p55)
ゼロ金利になって企業が儲けのため資本を過剰に積み上げたものの、さっぱり効果が出ない。そこで人件費の削減をして何とかしのいでいる、というのが事実だと思います。
  • 資本は近代社会において権力の源泉なのです。ですから、外部からは何らかの制約を加えない限り、貨幣を資本化するプロセスには永続性があり、資本は「過剰、飽和、過多」に積み上がっていきます。(p56)
権力の源泉になった資本は自己制御できず膨れ上がり制御不能となるのです。
  • マイナス金利政策は政府の「資本帝国」の側についたのに続いて「日銀よお前もか」ということだったと思います。日銀も「資本帝国」の軍門に下って、というのが真実といえます。マイナス金利政策で、株や土地などは、資産価格が上がりますから、資本の自己増殖は続くことになります。(p58)
資本の自己増殖は自己制御できない以上、崩壊するまで暴走します。その後は、さらに酷いデフレが待っています。
  • 結局、企業、経営者からすると、デフレは一番の問題ではありません。むしろ問題の過剰生産性にあるのです。(p66)
まず、このことに気づかなければなりません。
  • 利子率が近代国家の「地理的、物的空間」に立脚する国民国家の「経済」をみるものであったならば、マイナス金利は近代の終わりの象徴です。そして、その「近代」の次に来るもの、すなわちポスト近代の有力な方向を示唆するものとして株価を指標にしるのなら21世紀は「資本帝国」の幕開けだということになります。「電子・金融帝国」をホームグラウンドとする資本帝国です。
     資本帝国の時代における株式会社は、資本蓄積に励むことになります。そして、資本帝国の時代の株式会社は、かつてのイギリス東インド会社がそうであったように、国家を凌ぐ権力を手にすることでしょう。
     一方、近代が終わり、かく資本帝国の時代を拒否する選択をすれば、株式会社は終焉することになります。(p70)
確かに周りの世界を眺めると表面的にはアメリカと中国の経済戦争になっているようですが、将来はこれらの国家を凌ぐ巨大資本帝国が出現して世界を支配するようになるのかもしれません。