日本のデフレが問題であるように報道されていますが、果たして本当なのでしょうか。株式会社がもたらしたグローバリズムとその限界、デフレの長期化とは何を意味するかということについて民主党政権時代のブレーンだった水野和夫さんの「株式会社の終焉」から学びます。

株式会社の終焉
水野 和夫
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2016-09-30

  • 従来「株価」と「利子率(金利)」はどちらも景気の尺度でした。企業利益の増加は、雇用者所得の増加を伴っていたからです。ところが21世紀になると、この関係が断ち切られ、雇用者所得が減ろうが減るまいが、利益だけが増加するようになって、「株価」はいわば「資本帝国」のパフォーマンスを表す尺度へと大きく変貌しました。
     一方、「利子率」は人類5000年は歴史を通じて「蒐集」の尺度です。…秩序が維持されているほど利子率が低いことは…近代においては「利子率」は、国民の生活水準の良し悪しを表す「国民国家」の尺度であり、理想はゼロ金利なのです。(p12)
これを読むと、本来ゼロ金利とは歓迎されるべきことであって、何も悲観したり無理やり上げる必要もないものなのです。ところが、企業のエゴというか極度の不安感が雇用者の所得を搾取して企業の所得のみを増やそうとした結果このありさまになってしまったのです。
また、政府と日銀がキャッシュを市場に無理やり放出したために株価が上がっている、という日本のお金の経済の姿が示されています。
つまり、
  • 20世紀末になると、新自由主義が世界を席巻し、国家は国民に離縁状をたたきつけ、資本と再婚することを選びました。当然のことは「株価ー利子率の離婚」を意味します。(p13)
ということです。
  • 21世紀になると、資本家が、ヒト、モノ、お金を国境を自由に超えて往来させる手段を手にしたことで、株価は世界の企業利益を映す鏡となり、利益率は国境で分断された国民の所得を映すようになったのです。(p17)
確かにその通りです。
  • 自然利子率がマイナスになったのは潜在成長率がゼロ近辺まで低下していたことを反映したものであり、将来、人口減や「過剰」資本などを背景に潜在成長率がマイナスになることを織り込み始めたからだと理解することができます。(p47)
こうした状況が当然のことであるのなら、受け入れざるを得ないのです。それを悪あがきして傷口を開けようとしているのが日本の企業や政府の現在行っていることのようです。