養老さんは、日本人が当面している問題を議論します。

「自分」の壁 (新潮新書)
養老 孟司
新潮社
2014-06-13

  • 誰かが感情的に批判をするときは、そのところに嘘がある。そんなふうに私は考えるようにしています。(p49)
感情的に批判するときは、自分の都合の悪いことを隠蔽しようとするときにアタマが感情を使ってまで隠蔽を成功させようとしているからです。
これは単に他人の行動から観察できるだけではなく、自分の行動にも適用することができます。
次に、話が飛ぶようですがヒトの生物的成り立ちに言及されます。
  • 我々の細胞は根本的に外来の原核生物がいくつも住み着いてできあがった複合体だ。(リン・マーギュリス、p56)
リン・マーギュリスはアメリカの生物学者です。彼女の言葉からすると人間の細胞は、外来の生物とつながっているということを意味している。
別の観点からすると「外来の細胞を住まわせている自分」ということもできる。じゃあ、住まわせている主体とは何だ、という面白い問いも生まれてくる。
  • 「世界とつながっている」と考えてみる。そしてそう考えれば福島第一原発の事故も、エネルギーの問題も自分自身の問題だと捉えざるをえなくなります。
     そんなふうに考えたくない、不愉快だという気持ちはわかります。しかし、これまで「原発なんて俺は、知らない、関係ない」とほとんどの人が切って捨ててしまっていたから問題が起きたとも考えられます。(p66-67)
すべての問題について自分とつながっている問題だと考えることができれば、生きるスタンスが変わってきます。いわゆる主体的な人生が始まる。
  • 現実を冷静に見る場合、本当に考えるべきなのは、「どの程度までのエネルギー消費ならば、みんなが我慢できるのか」ということのほうなのです。(p73)
政府のエネルギー需給計画も想定を高めに見積もって電源がさらに必要である、という前提で進められてきた。これは、産業界の必要性から始まったことでした。設備を更新、増設したいという成長路線に沿った経済界の要請でした。
ところが福島第一原発事故が起こって全原発が停止しても大規模な電源不足が起らなかったという現実は重い。

以前の「これからこうなる」という前提から「われわれはこれからこうする」、という自律的な目標が必要なのだ。
そうならないように為政者は現状を厳しい認識で見て、高めの設定に向かって国民の連帯を要請します。そのためには国民が事実に正しい理解をされることは望ましいことではありません。
  • つい思い出してしまうのが戦争の時のことです。連帯といえばあんなに国中で連帯していることはありませんでした。あの連帯の強さを考えると、その後の連帯はどれも生ぬるいものです。
     あの時と今度は違うのだと言われても、どこか似て見えてしまいます。(p83)
私の見る所「政府の財政問題」に関してはこれが逆になっていて政府は常に甘い目の見通しを国民に与えて、自分たちはフリーハンドで税金を使うというけしからぬ行動を取っています。
逆に、安全保障については厳しい評価を国民に与えて為政者や財界の喜ぶような方向に進めているのです。
こういう流れは、昭和の時代と何も変わっていません。