普遍語を日本語に翻訳するという使命を帯びた明治の文学者たちの一部は最終的にこの仕事から離れていったという。


  • 漱石を代表とする当時の日本の知識人が大学の外へ飛び出したのは、…さらにもう一つの動機があった。それは、大きな翻訳機関でしかない大学に身をおいていては、自分が生きている日本の<現実>を真に理解する言葉をもてないということにほかならない。また、自分が生きている日本の<現実>に形を与えてほしい読者の欲望に応えることができないということにほかならない。実際、学問=洋学の場では、日本とは何か、日本にとっての西洋とは何か、アジアなどというものが果たして存在するのか、そもそも近代とは何かなど、日本人が日本人としてもっとも切実に考えなければならないことを考えるためには大学を飛び出し、在野の学者になったり、批評家になったり、さらには小説家になったりす構造的な必然性があったのである。(p275)
真の自分の課題に正面から向き合うためには組織を出て個人になった活動が必要になる。これは明治の時代だけではなく現在でも共通の問題であると言えます。
組織の中であえて行動するか、外に飛び出して活動するかはそれぞれの立場の人が自分で判断しなければならない。
私の場合をふり返ってみると、組織の中でもそれなりに自分の考えで行動したがどうしても制約があったことは否めない。結局、リタイアの後、真の自分の課題に向き合う毎日を過ごしているが、こういう生き方に全く悔いはありません。
逆に、国の都合でリタイアさせずに人々を組織の中で働かせ続けようとする政策は日本人をますます主体性のない人間にしてしまうと思います。
  • 断絶があることによって「近代文学」という概念が存在するのは、「西洋の衝撃」を受けた非西洋の国々の文学、そのなかでも、かつては別の文学の伝統をもっていた国々の文学においてのことなのである。(p279)
「西洋の衝撃」は世界でも日本において最も顕著な現象を引き起こしたのでした。
漱石は以下のように語ります。
  • 日本の開化はあの時から急激に曲折し始めたのであります。又曲折しなければならない程の衝動を受けたのであります。之を前の言葉で表現しますと、今迄内発的に展開してきたのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしに其言ふ通りにしなければ立ち行かないといふ有様になったのであります。…恐らく永久に今日の如く押されて行かなければ日本が日本として存在出来ないのだから外発的といふより外に仕方がない。(漱石「現代日本の開化」)(p283)
外発的な力に動かされている日本という姿は現代に引き継がれたままなのです。
これは日本人全員が反省しなければならないことではないでしょうか。また、漱石が「永久に」と指摘していることにあらためて彼の眼のレンジの広さにも驚きます。