私からご紹介する池田晶子さんの「考える日々」の最後のエッセイとなります。
考える日々 全編
池田 晶子
毎日新聞社
2014-11-27

  • 「私」という代名詞によって代名されているところのそれ、それをこそ問おうとすることが、「私とは何か」という問いの、正しい形なのである。いや、「私とは何か」ではない。「何が私であるのか」である
  • 自分であるということが完璧に底が抜けているからである。自分とは自分であると思い込み、汲々と過ごす一生と、自分とは誰かと問い続けている不死の生、どちらをあなたは選びます?(3年目12月「何が私であるのか」) 
池田さんは心の底を探求し、「私とは何者か」を問い続けた。
この問いを続けていくと、いつか自我というものの壁が取り払わせてしまうようだ。池田さんも自我の壁が崩壊して宇宙と一体になったりしたことがしばしば紹介されている。

彼女は、考え続けているうちにどうやら、自分を宇宙の立場がひっくり返って「何かが私をしている」という 感覚を持つにいたったようである。

池田さんの指摘するように、ほとんどの人間は自我が作り上げた自分という幻想を疑わず、毎日汲々として生きている。そして人生の最後の日に幻想であったことを知る。まあ、それでもいいじゃないか、といえばいいのだけれど、死ぬ瞬間にそのことがわかってたとしたら余りにも遅すぎないでしょうか?

遅すぎる気づきよりも、一日でも早く、この幻想を見破って、存在の本来の意義に出会い、感謝の人生を生きたいものです。

本日もお読みいただきありがとうございました。