5. 「世間」を照らす光

論理的な考え方が優先する現代社会においては、悪者のごとくみなされることの多い「世間」ではありますが、これは日本の文化そのものであるということが言えると思います、また、これまではこの「世間」があったからこそ日本という国が維持できてきたものだと思います。
それでは、日本においてかつては「世間」は、どのように機能してきたのでしょうか?
 図2においては、いかにも集団の中の無数の個人間の相互作用・牽制関係のみによって組織雰囲気が形成されるように表現されていますが、実はそれ以外に作用する影響力が存在しています。それが、図3で赤い矢印で示した光のような普遍的な彫響力と言えましょう。煩悩にまみれた人間を清々しいニュートラルな状態に戻す目に見えない働きを人々は「中庸」、「無」、「空」、「気」、「神ながら」、「無量光」、「阿弥陀」、「ブラフマン」と呼んで尊重してきたのでした。このような働きは、人間と生まれた以上すべての人に与えられるものですが、俗世にまみれたわれわれ現代の衆生は、そのような本来の人間に与えられた素晴らしい力を曇らせているのです。
日本人は、古来とりわけこのような働きを大事に思い、それを維持する方策を編み出し発展させる営みを「しきたり」、「しつけ」という方法で行ってきました。
しかし、そのような手段が劣化してしまい、結果として「世間」そのものが劣化してしまったように思います。日本人が世間の呪縛を逃れられないという現状からみて、「世間」の表層に浮かぶ社会のルールだけを強化することだけでは、すべての問題を解決ができないことを認識しなければならない時期に来ていると思います。そして「世間」そのものを良くする取り組みを始めなければならないのです。

これで、第10章 「世間の研究-人間はなぜ反省しないのか-」は終了です。
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